2023年8月28日月曜日

美濃の竹細工(美濃6)

長々と続いた美濃レポート、これで最後です。
美濃の宿に到着し、夕食も済ませた後、久津輪さんからのメイルを見ました。
「 宿の近くの酒屋さんに、非常持ち出しの大きな籠があります」
次の朝、さっそく見に行きました。


今廣酒販店はすぐ見つかりました。


入り口を入ると、天井にぶら下げた大きな籠が目に入りました。壮観です。
籠目編みで四角い籠をつくり、底は木で台を組み、それに担ぐための棒がついています。


大胆ですが、細部まで精密につくられています。たくさんのものを放り込めば重いだろうから、担いで逃げられるかどうかは別にして、何を放り込んでも大丈夫なように底はしっかり補強してあります。


そして、担ぐ棒に木の台をつないでいる、一部つぶして一部は丸のままの竹の扱い方が美しく見事です。
幸い大火事に合うことなく、この籠は一度も使われずにぶら下げたままだそうです。
「いざというとき、籠はどうやって降ろすのですか?」


「あれを使って降ろします」


と、店主さんが指さしたところに、矢筈が掛けてありました。
矢筈の上のとげとげの棒は何するもの?
階段箪笥には手すりがついているから、実際に上り下りできるんだ!
大福帳が掛かっている!
金庫がはめ込まれている!
随所に時代が刻み込まれた家でした。
「このあたりでは、この非常用の籠は一般的だったのですか?」
「いえ、もう一軒だけ、まったく同じ籠を1つだけ持っている家があるのですが、そこでは非常用籠とは言っていないんです」
籠は針金で綴られていたので、古くても明治につくられたものだと思われますが、よく残っていたものです。
「天井に吊ってなかったら、邪魔だからさっさと処分していたでしょうね」
吊る場所も含めて、見事なつくりの酒屋さんでした。

今回、残念ながら以前本田さんが紹介してくださった徳山民俗資料収蔵庫に行くことはできませんでした。鵜籠といい、非常持ち出しの籠といい、素晴らしい籠を見ましたが、美濃のあたりでほかにはどんな竹細工があったのか、見た籠の数が少なすぎるので、何とも言えません。


それでも、宿で使われていたこの籠は、生活を知る一端になりました。
岡専旅館は典型的な町屋で、土間を入ると細長い中庭に続いていて、奥がとても深いのですが、その最深部の、壊れかけていて閉めることができない戸の奥に納屋があり、そこにこの籠が置いてありました。たぶん落ち葉などを集めるのに使っていると思われる箕形の籠で、使い古したものでした。


太い竹で箕の形に編み、持ち手を抜いてつくってある籠は、写真では知っていますが、実際に見るのは初めてでした。
宿のおかみさんにいろいろ訊いてみればよかったのですが、「奥はどうなっているんだろう?」と勝手に入り込んだプライベートな空間、寝間着の浴衣やタオルなど干した場所にあったので、そんなところで籠を見たとは言えず、そのままになってしまいました。

さて、美濃からの帰り道でのこと、関市にある名古屋行きの高速バス乗り場まで送っていただいたのですが、バスの本数は少なく、待ち時間がたっぷりありました。
バス停前には関市の文化会館があり、その3階に「ふるさと民具室」という、小さな展示室があったので、事務室に声をかけ、鍵を開けて見せていただきましたが、籠は多くはありませんでした。


どこでも見かけるような米あげ籠や、食器籠。


そして、蚕のために桑の葉を集めたり、蚕そのものを運んだりする籠くらいでした。


桑の葉を集める籠は背負子になったものが多いと思われますが、これは背負子になっていませんでした。







2 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

非常持ち出し籠は初耳です。でもこれだけ大きいと、いろいろ入れているうちに逃げ遅れそうです。

さんのコメント...

hiyocoさん
店主さんは「天井に吊るしてなかったらとっくに捨てていたでしょう」とおっしゃっていましたが、日ごろから考えてないと、火事のとき何を持って行くか、うろたえてしまうでしょうね。
非常持ち出しにしては大きすぎるし、中にものを詰める時間があっても欲張ったら重くて持てないし...。これを毎日見ることで「日ごろからいざというときのことを考えておきなさい」というご先祖様の、暗黙の教えかもしれません。
籠は見事でした。