2023年4月7日金曜日

極細のビス

やっと息子の家の風呂場のタイルの目地を埋め終えて、ヒノキ材での壁張りに取り掛かっています。


風呂場の壁は杉ではなく水に強いヒノキを使います。
本実(ほんざね)加工されているもので、普通はタッカーでパチンパチンと止めていくのかもしれませんが、私は細いビスを使っています。


上がコースレッド、右下がスリムスレッド、左下がその細いビスです。


細いだけでなく、頭の大きさがまったく違います。


もちろん、インパクトドライバーのビットも細いものを使います。


上の段、ビスを打っているのが見えるでしょうか?
お風呂の壁は、4分の3ほど張り終わりましたが、あと少しのところで、買い置きの極細ネジがなくなりかけてきました。

私が愛用しているのは線径1.5ミリで頭径が3.5ミリというビスですが、ネットでは線径2ミリ以下のネジが見つかりませんでした。ネットでも手に入るような、線径が2ミリのビスは前から持っているのですが、残念ながらこれでは使えないのです。
というわけで、明日は久しぶりにホームセンターのジョイフル本田に行ってみます。ただ、極細のビスを買ったのはずいぶん前、母屋の壁を張っていたときのことですから、今でも同じものを売っているかどうか、ちょっと心配です。





 

2023年4月6日木曜日

初・城里町

展望台から見た、Sさんの炭焼き小屋や出小屋など

茨城県城里町の、夫のFB友だちのSさんの家に遊びに行ってきました。
Sさんは、退職前から有機農業もやっていらっしゃる方で、炭焼きの伝統を残したいと、20年ほど前に山中の土地を買い、炭焼き窯を手づくりされて、炭を焼いていらっしゃいます。


これが炭焼き小屋です。


昭ちゃんのお連れ合いのご両親がやっていたような、昔の、ある場所でしばらく炭を焼いたら場所を移動して新たに窯をつくるのではなく、永続的な窯を築かれています。


しかし、原理は同じようでした。
この窯のドーム部分をつくるには、過去に炭焼きした土でなくてはならないということで、このあたりの古い窯跡を探して、そこから土を貰ってこられたそうです。
また、窯の周りにはSさんの工夫で大谷石を立てているので、窯が崩れたりするのを防いでいるそうです。
残念ながら焼きあがった炭の写真を撮り忘れましたが、硬い、とても美しい炭でした。ちなみに、炭を焼くときは、できるだけ空気の供給を少なくしたままで、約1週間焼き続けて水分を抜くそうです。


山のふもとには、そのSさんのお師匠さんとも言うべき方のご子孫の炭焼き窯がありましたが、このあたり、今ではほかに炭を焼いている方はいらっしゃらないそうです。


クヌギ、コナラより堅いカシが一番いい炭になるとか、これが炭の材料のカシです。竹炭にする竹も見えます。


炭焼き小屋の回りにはたくさんの割った薪が積み上げられていましたが、それらクヌギやコナラは炭にするのではなく、お風呂の焚きつけにされるそうです。


ご自宅は、炭を焼く場所から12キロほど離れたところにあり、100歳になられる母上がいらっしゃるので、出小屋に泊まることはあまりないそうですが、出小屋は小屋というより素敵なおうちでした。そして、出小屋の前には、舞台のような素敵なテラスがつくられていて、遠くを一望することができます。


テラスからの展望は、花曇りでしたが遠くに筑波山も見えました。


東海村の火力発電所の煙突も、かすかに見えました。
冬には太平洋から上る日の出も見えるそうです。


お昼には、羽釜で炊いた筍ご飯をご馳走になりました。
この窯で炊くと意外と燃料がいらない。薪ではなく、焚きつけのような細い枝だけでご飯が炊けてびっくりでした。
昼食でいただいた野菜類は全部自家製、とてもおいしくいただきました。
ごちそうさまでした。





2023年4月5日水曜日

眺めのいい家

現在はつくばに住んでいらっしゃるafさんの、八郷の家の建設(の前準備)がはじまりました。


購入された敷地には、前の持ち主が移築した小屋が建っていますが、これは移動せず、お手洗いをつけてゲストハウスとして使うことになり、4月に入ってから工事の方が、裏側にお手洗いを増築するための基礎をつくりはじめました。


この小屋はどこから移築したか忘れましたが、安藤邦弘さんの設計で、壁が落とし込み(板倉造り)になっています。


こんな筋交いがあるのですね。おもしろい。


前の持ち主の方は、いずれここに住みたいと思っていらっしゃったのですが、ちょっと離れたところに住むお連れ合いのご両親が老齢で柿農家を続けることができなくなったので、それを継ぐことを決心され、ここを泣く泣く手放されたようです。
もっとも、果樹の手入れなどが好きな方なので、広大な柿畑の作業はやりがいがあり、楽しく作業なさるものと思います。


景色は、筑波山から加波山まで一望できます。
これから、写真の手前に母屋の建設がはじまります。




 

2023年4月4日火曜日

さっちゃん

先日、川崎毅さんの写真を探そうとアルバムやら箱やらを引っ張り出していたとき、さっちゃんの写真が出てきました。


ブログには、何度もさっちゃんとやすこさんと旅行したことを書いてきました。
東北地方に一度、石川、京都、岡山に一度、たった二度しか一緒に旅をしたことがなかったのですが、それぞれ2週間ずつ一緒に過ごし、郷土玩具に魅せられていたさっちゃんに連れられておもちゃをつくっている人を訪ね、影響を受けて郷土玩具好きになるには十分な長さでした。


これは京都郊外、大原だと思います。
牛との2ショットを撮ったのですが、当時は何とも思わなかった背景がすごい!美しい茅葺き屋根です。


やすこさんが撮った、さっちゃんの写真を撮っている私の姿も残っています。
大学1年生の春休みでした。

もともと留年して上の学年から落ちてきて、しかもあまり学校に出てこなかったさっちゃんでしたが、2年生になるとまったく出てこなくなくなりました。
しばらくして、学校はやめてスイスに渡ったと聞きました。
当時は自由に外国に行くことができない時代、日本は貧しくて欧米の物価水準とは大きく違うし、1ドルは360円だし、両替して海外に持ち出せるお金は500ドルまでと決まっていたし、さっちゃんがどうして日本を出ることができたかは謎でした。
さっちゃんにはスイス人の留学生のボーイフレンドがいたのですが、ボーイフレンドはただの、海外に出るための踏み台だったと噂する人もいました。
以後、さっちゃんに会ったことはないし、噂も聞かないし、さっちゃんがどうなったかは謎のままです。

この時買った藁の椅子嵯峨人形、今でも持っています。




 

2023年4月3日月曜日

出番が多い!


直径9センチの小さなボウル、おもちゃみたいだけれど、なかなか重宝なものです。


おろししょうが、刻みネギなどさっと入れられて、場所もとらず洗うのも簡単です。


私の仕舞い方のせいもあるのだけれど、ボウルの下に置いてあるアルマイトのお皿(柳宗理のボウルの下で見えてない)などは、
「あっ、使いたい」
と思っても、料理中に濡れた手で取り出しにくく、他のもので代用してしまうことがありますが、この小さいボウルはさっと取り出せます。
もっとも、料理をはじめるとき、あらかじめ必要なボウルや皿を準備して置けば問題ないのですが。




 

2023年4月2日日曜日

木製の電線ドラム


私たちは夫婦で家を自力建設したのですが、最初の1年半はアパートを借りて住んでいました。
建設現場に倉庫をつくって、刈り払い機など大きな道具は置いていましたが、毎日、その日に使う工具やお弁当を持って、犬を連れて軽トラックで、アパートから8キロほどの距離を通いました。
忘れものはできないし、通う時間はもったいないものでした。家賃ももったいなかったので、建設現場に鉄骨でビニールハウスの仮設小屋をつくり、そこにしばらく住むつもりが、結果的には6年間も住んでしまいました。
その当時、食卓代わりとなっていたのは庭に置いた電線ドラムでした。町の電線会社から、古くなって使えなくなったものをもらって来ていたのです。


元々、古くなったものを貰ってきているし雨ざらしなので傷み、修理しても使えなくなるとまたもらってきました。電線会社の方は、捨てる手間が省けるのか、快くくださいました。


電線ドラムにペンキを塗ったりつなげたり、普段もここで食事をすることがありましたが、客人と昼食を食べるときは、室内が狭いので、雨さえ降ってなければ冬でもここを使いました。
約束の日があいにくの雨だったので、雨除けの大きなシートを張って、雨の中で食事したこともありました。


電線ドラムは、新しく補充したり修理したりしながら使い続けましたが、ときおり電線会社のそばを通ると、広い敷地に置いてある電線ドラムはだんだんと木製ではないものに取って代わられていて、やがて木製のものはほとんど見かけなくなりました。
もっともその頃には家も完成して、テラスもできて、テラス用のテーブルもつくったので、庭で食事をすることはなくなり、電線ドラムが手に入らなくても困ることはありませんでした。


現在は、電線ドラムにも見えますが違うもの、古い椅子の脚に、その昔ビニールハウスの床として張っていた合板を丸く切ってくっつけたものを、庭のテーブルとして使っています。
元椅子の脚にはキャスターがついているので、芝を刈るとき押せば動くのがいいところです。


ところで先日、東京に行ったおり、木製の電線ドラムを運んでいるトラックを見かけました。
電線ドラムはもう、すべて金属製やプラスチック製のものに取って代わられて、木製のものはつくられていないと思ったのに、トラックに近づいて見たら新品でした。
久しぶりに見た木製の電線ドラム、なんだか嬉しくなりました。








2023年4月1日土曜日

川崎毅さんを偲ぶ

生涯の友だった、川崎毅さんが亡くなられました。
お連れ合いの頌子さんに掛ける言葉もありませんが、慰めに出かけました。


直前までお元気だったので、仕事場にはたくさんの素焼きされてない作品が並んでいました。
糞のように見えるのは、針金を使って木として立つものです。


こんな感じです。


丁寧につくられたかわいいものたち。
頌子さんは、
「私でも素焼きはできるけれど、釉を掛けるのは、塩梅が難しいの」
と言います。


白い釉を、この魚のように薄く掛けるのですが、頭の方から掛けるのと尻尾の方から掛けるのでは、まったく違う印象になるらしい。本人だけができる技だったのです。


なかには、出来上がった作品もあり、釉は掛けたものの絵つけをしてない作品もありました。


食卓に置いてあったこの大鉢は、ファンだったご夫婦の方から、
「大好きで愛用していたけれど、私たちは年取ったので、今後どうなるかわからないのでお返ししたい」
と、最近返されたというもので、川崎キャラクターが総出演しています。


食卓の上には、直径30センチ以上ある、半球の大作も置いてありました。
頌子さんは、特に気に入った作品だけは手元に置きたいと、彼に申し出でてもいつも渋られるので、これは展覧会の初日に駆けつけて、大枚はたいて自分で買って、仕舞っておいたものだそうです。


私たちに見せたいと出しておいてくれていました。


存在感のある、どこかの美術館に収まって、大勢の方に見ていただきたい大作です。


いつもの素敵な階段が、地下深くに誘っています。


以前は、我が家と川崎家は家が近かったので、頻繁に行き来していました。
ところが私たちが東京の郊外を離れてからなかなか行けなくなり、訪問したのは40年ぶりくらいでしょうか。


家は自力建設したもので、増築もしたけれど、ほぼ昔の雰囲気を残したままです
壁には子どもたちが遊んだ三輪車が飾ってありました。


川崎さんと一緒に移っている写真があるので探してみたのですが、どこへしまったか目当ての写真は出てこなくて、こんな写真が出てきました。左の男性が川崎さん、右のしゃがんでいるのが私です。場所は鹿児島県の最南端の鰻池で、大勢で夏いっぱい楽しく過ごしたときの写真です。


頌子さんとの写真もありました。左が頌子さん、右が私です。
これは有田か唐津の窯元さんを訪ねた時の写真です。


2010年ごろからの、川崎毅さんの展覧会の案内状です。


一番最近のは昨年の10月、その時はもちろんお元気だったのですが。


慰めに行ったのに、お土産をいただいてしまいました。