2020年2月15日土曜日

炭焼き


お正月に、人生の先輩昭ちゃんが、お連れ合いのご両親が生業とされていた炭焼き小屋の写真を、絵葉書仕立てにして送ってくださいました。
それを、私のブログに載せると、さらに炭焼きの行程を追った写真のコピーも送ってくださったので、
「昭ちゃん自身が、ご自分のブログに炭焼きのことを書いたら?」
と勧めていたのですが、昭ちゃんは先日、ブログの休業宣言をされてしまいました。
昭和2年(1927年)生まれの昭ちゃん、ブログには手が回らなくなったようでした。
そして、さらに残念なことに、ブログのプロバイダーの都合なのか、昭ちゃんのこれまでのブログは消えて、閲覧できなくなってしまっています。

そんなことがあり、炭焼きを実際に目にしたことのない私ですが、昭ちゃんが昔写された貴重な写真で、昭ちゃんの代わりに炭焼きの一部始終をまとめておくことにしました。
昭ちゃんのお連れ合いがご両親と3人でやっていらしたのは、「大正式(築窯式)」という炭焼きの方法です。


炭焼きは、まず山を切り開いて、石や水が容易に入手できる場所に、炭窯の位置を決めます。1枚目の写真を見ると、谷川で拾った石を積んでいるのがわかります。
上の写真は、昭ちゃんのお連れ合いと、そのお母上でしょうか。1950年代だと思われます。


窯を築く場所を決めたら穴を掘ります。
左に人影が見えるので、穴の大きさがわかります。真ん中あたりに窯に被せる屋根が置いてあるので、これはもう何度か使っている窯なのでしょう。


炭の材料となる木(原木)を伐って、それを窯のそばに集めます。


原木は、窯の深さに合わせた長さに切ってあり、それを窯に立てて詰めます。
見たところ、1本の長さは150センチ弱くらいでしょうか?


その上に、短く切った木を並べて真ん中を高くして、丸い上部をつくります。


その上に、ふもとから運びあげた稲わらを並べ、わらが動かないように気をつけながら、下の方から土をかぶせていきます。


盛った土を、手づくりの平たい槌で叩き固めます。
何日も叩いていると、土の水分でどんどん固くなっていきますが、これはかなりの重労働だそうです。どの作業も重労働そうなのに、土を叩く仕事が重労働と昭ちゃんの説明にあったので、一連の作業の中でも、とりわけ重労働だったのでしょう。
しっかり土を締め固めておかないと、火を入れた後、天頂が焼け落ちてしまいます。


雨が降ると土が流れるので、炭窯に屋根を掛ける小屋づくりは急ぐ仕事です。雑木の曲がり具合を見ながら小屋を組んで、茅の屋根を乗せます。


大正式では、煙突は最上部と左右の3ヵ所に立て、焚口は下部につくります。
火を入れた後は焚口をふさぎ、中の様子は煙で判断します。


これは、焼きあがって窯出しをしているところでしょうか。
一度の炭焼きで、約80俵の炭ができます。


炭俵は、地域によっては丸いのもありましたが、九州北部では、四角い炭俵でした。
1俵の重さは、4貫300匁(約16キログラム)あったそうです。


若き日の昭ちゃん。


そして、若き日のお連れ合いです。

お連れ合いのご両親の家は、標高300メートルほどのところにあり、炭窯は標高500メートルから600メートルのところにありました。窯の周辺の木を伐りつくしたら、新しい場所に窯を築いたり、古い窯を修復して使いました。
山を切り開くところから、焼いた炭を運び出すまでの工程をすべて、親子三人でやっていたなんて、今では信じられないことです。

ブログを休業されましたが、昭ちゃんはお元気です。
若い友人の博士論文のお手伝いと、これまでに拾われた化石の整理をされていらっしゃるとか、ブログまで手が回らないようです。







37 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

有難うございます数回に分け側面からコメントを入れさせてください。
日本で石油の取れる処は新潟と小学校時代習いましたこれは地質時代日本列島の成因に関係ありです。
 日支事件が泥沼状態になりアメリカの対日向けのガソリンのストップと
これが当時の標語です。「ガソリンの一滴は血の一滴に等しい」っと、
そこで「木炭自動車の登場・木炭の増産」に繋がってくる訳です。
昭和17年官庁の公用車は全て木炭自動車になり徐々にバスやハイヤーに移行します。
  つづく。

さんのコメント...

昭ちゃん
そうでしたね。家庭の燃料だけでなく、木炭自動車がありました。
NHKのオンディマンドで、ブラタモリの石油発掘跡というのを見ました。それに昔の写真が紹介されていて、田んぼのようなところに、石油を採るための櫓が、いくつも組まれていたようでした。

昭ちゃん さんのコメント...

春姐さん雑木の木炭は丸で樫の木は四角い俵で
焼けている木を出して土で消したのが「白炭」です。



さんのコメント...

昭ちゃん
えぇっ、雑木の炭と樫の木の炭を、俵の形で分けていたのですか?
それでは、お連れ合いのご家族は、丸い俵も、四角い俵もつくっていたということですね。
「白炭」の梱包はどんなだったのですか?

あきら さんのコメント...

樫炭の方が価格が高いそうです
白炭は小倉方面の炭窯で、俵まで見ていません。

昭ちゃん さんのコメント...

苗字の転換忘れたー

af さんのコメント...

春さん、大作ですね。さすがの纏め文章力に圧倒されます。でも、それもどこへやら、昭ちゃん、かっこいい〜!
持ってるものは物騒だけど、そういう時代だったのでしょうね…
今の若者には感じられない、野性的な力強さがただよってきます。一方、奥様は柔和な感じで、昭ちゃんが全力で守ってきたんだろうなぁって、少しセンチメンタルな気分にもなりました。よく、こんな、いい写真が残っていましたねー。

炭といえば、本当に小さい頃、1965年ごろ、戸越の家に炭火鉢がまだあり、ヤカンをかけていたような気がするのと、火傷をしないように気をつけなさいと、おばあちゃんにいつも怒られてました。そんな接点しかない炭火ですが、この炭火造りはとても魅力を感じました。いいのができれば、お金がたくさん貰えて、だめなら…の世界ですよね。
今の時代、そんな、リスキーさを嫌うのか、変なルールばかりで、物作りがつまらなくなってるように思います。
昭ちゃんの解説、楽しみです〜

hatto さんのコメント...

懐かしい風景です。私は昭和40年生まれですが小学生の頃までは母の実家(三重県飯南郡飯南町)現在の松阪市飯南町にもこうした炭焼き小屋がありました。山の麓に小屋があり出入りする職人さんを見かけることはあっても小屋の中がどうであったのか、また炭がどのように作られるのかは実際に見たことがありませんでした。この昭ちゃんさんのお写真で初めて知るその作業工程は非常に興味深いです。貴重な資料ですね。

昭ちゃん さんのコメント...

akemiさん  hattoさん有難うございます。
猟銃や罠作り猟犬は山の生活には欠かせない昭和20年代です。
彼女も「テンや狸」の襟巻を持って我が家にきましたが毛皮の管理は難しいです。
 SLを動かす石炭もキャンプで使用する木炭も同じ木で作られた物で
恐竜以後大森林の時代が有り埋没した「樹林」が地熱や火山活動で石炭になりました。
「雑木林」を伐採して蒸し焼きにした木炭どちらも軽い訳です。

 

昭ちゃん さんのコメント...

 akemiさん長火鉢は日本の家庭には欠かせない道具で
いつも燗のつけられる「どうこ」とセットで子供は灰ならしで遊びます。
戦後アメリカが買い締め本国に送りましたね。

さんのコメント...

あきらさん
コメントありがとうございます。
私、しらっと書きましたが、白炭は見たことがありません。高級品だったのですね。
樫は玄能の柄とか、カンナの台にする堅い木ですが炭にしても火持ちがよかったのでしょう。
面白いですが、手鋸できるのはさぞかし大変だったことでしょう。

さんのコメント...

akemifujimaさん
昭ちゃんが書くべきことですが、ブログを休んでしまったので、仕方ない、書いてみました(笑)。
書かないで写真をサラッとみている分には、「へぇぇ」で済みましたが、書くとなると整合性が取れてなくてはと、ちょっと考えたりしましたが....。
それにしても、山を切り開いて、そして売るために外に積みだすまでの工程、全部3人でやられていたなんて、すごいなぁと感心してしまいます。
今は、住居があったところも廃墟になっているようです。
東京生まれの昭ちゃんにとっては、何もかも珍しかったことでしょう。

さんのコメント...

hattoさん
私には、炭焼き小屋とか炭窯を見たという記憶が、残念ながらないんです。地域によって違っていたのでしょうね。
小さいころ、祖母の家の台所の竃は薪で、それは山から屈強な男の人に松を切り出してもらって、三尺のものを半分に切って割っていましたからよく覚えていますが、炭はどこから来ていたのかしら?
火鉢にはいつも炭がありましたし、竈の横に置いてあった七輪でも炭を使っていて、納屋には炭俵もありました。もしかしたら、そう遠くないところによい炭の産地があったのかもしれません。
それにしても、何もかも手に入りづらく自給自足に近かった時代、近くに炭焼きがなかったのは、ちょっと変ですね。今となっては、誰にも聞きようがありませんが。

昭ちゃん さんのコメント...

 戦後世の中が徐々に安定してくるのが昭和25年前後でプロパンガスのボンベ普及が
昭和30年近く旅館から、
一日の始まりが竈の火からは昔話ですね。

さんのコメント...

昭ちゃん
炭も石炭ももとは木で、同じものだとおっしゃりたいのに、私に届いていませんでしたね。樹木には本当にお世話になっています。
改めて、生活の基本は衣食住。そしてそれらを支えてくれる動植物や土などだと思いました。

匿名 さんのコメント...

白炭は今でも茶道の炭点前で使います。とても大切に扱われますが、一般の炭との製法の違いを初めて知る事が出来ました。

rei さんのコメント...

すみません。先程の匿名投稿はreiからのものでした。

さんのコメント...

reiさん
ありがとうございました。
そうですか、茶道は全然知らないのですが、そんな炭を使っていたのですね。ということは、今でもつくられているのでしょうね。
古い友人で、熱帯林伐採反対の運動をしていた人が、炭焼きになると言って新潟に住み着きましたが、輸入物の炭と競争できなかったみたい、今では炭焼きはやめて森林組合に勤めています(^^♪
ホームセンターなどに売られている炭は、熱帯のマングローブでつくったものが多いです。これも硬い、いい炭ができるのでしょうね。昔の日本の炭焼きの炭は一定期間置いておくと、ひこばえなどがすぐ成長する木で持続的に焼かれていたと思いますが、マングローブは一旦伐採されるとあたりの土壌が流れたりして、生態系が崩れていきます。

昭ちゃん さんのコメント...

なにごとも注意が必要で
一酸化ガスがでるので密閉したところでは危険です。

さんのコメント...

昭ちゃん
掘りごたつに炭を入れて頭だけ出して、すっぽりもぐったりしてましたよ(^^♪
昔の家は、寒いからと部屋と縁側の間の障子を閉めても、三角に隙間が空いていたりしていて、そういう意味では安全でしたね。

kuskus さんのコメント...

わあ、とても興味深かったです。
春さんのブログに寄せられる昭ちゃんのコメントは、一人の人間が人生でこんなにもいろんなことを体験できるのか。。。
と、いつもびっくりしますが、こうして画像があると当時の生活がよりはっきりと想像できますね。
春さんはうちの近くの温泉の登り口の左側に炭焼き小屋があるのは知ってますか?
随分前に一度、窯の中を見せてもらったことがありましたが、定置型の窯なので穴を掘ったような形ではなく
(少し床が低かったかもしれませんが)焼き物の窯と同じような感じでした。
場所を移動して焼く炭窯は、穴を掘ることで壁を積み上げる手間を省けたのでしょうか?
だんなさんが亡くなったので一人で炭焼きをやっていると炭焼きのおばさんは言ってて、わりと最近まで姿を
見かけてたような気がするのですが、今は男の人が木を切ったりしてる姿が見えます。
今も定期的に炭を焼いています。ここの炭はカシの木だけだそうです。

さんのコメント...

kuskusさん
昭ちゃんの一生、すごいですよね。生家は東京大空襲でなくなり、米軍で働き、職を求めて九州へ流れて炭鉱で閉山まで働き、合間に炭焼きのお手伝いもしたのかな?化石をたくさん拾い、小学校で何度も出前授業をやり、今も大学生の論文のお手伝いされています。

炭焼き小屋があるってこと、全然知りませんでした。
もしかしたら、子どもの頃も、近くにあったのに知らなかっただけかしら?心配になってきました(笑)。
でも、温泉のあたり、歩いたことはないので、気がつかなかったのかもしれません。今度気をつけて見てみます。ありがとう。

昭ちゃん さんのコメント...

平地でも枕木やいろいろ焼いていますが全てユンボで、、、
昭和28年1957年の写真です。

さんのコメント...

昭ちゃん
ユンボは便利ですよ(笑)。
でも、何でもすぐユンボに頼ってしまうようになりますね。
うちのユンボは昨年から壊れているので、このところいろいろ頭を使いながら、どうやって重いものを持つかとかやっています(笑)。知恵は出てきます(^^♪

やっぱり写真は1950年代だったのですね。大当たりでした(笑)。

株式会社あお 小林 さんのコメント...

突然申し訳ございません。

私、朝日放送でポツンと一軒家というテレビ番組を制作しております、
株式会社あおの小林と申します。

こちらのHPで拝見させていただいきまして、
炭焼きのお写真を3枚、番組内でお借りさせていただきたく、
ご連絡させていただきました。

今回のポツンと一軒家のご主人が炭焼きのご経験がありまして、
視聴者の方々にわかりやすくお伝えさせていただくためにも、
お写真をお借りできないかご相談させていただければと考えております。

お借りしたいお写真ですが、
2020年2月15日のブログのお写真なのですが、
お手数ですが、下記のURLからお借りしたいお写真をご確認いただけると幸いです。
https://xgf.nu/4jJh
https://xgf.nu/LHPN
https://xgf.nu/z231
何卒、よろしくお願い致します。

さんのコメント...

あお小林さん
この写真は、もともとは私の友人である昭ちゃんの写真です。
私としては、ブログに上げるということは、ご自由に使っていただいていいということ、私に写真を送ってくれた昭ちゃんも、同意見だと思います。
ただし、絵葉書にしたりコピーしたりして送ってくれたもので、写真のこれ以上の精度は望めませんのでこのまま使っていただく以外ありません。
放送日など決まったら、お知らせください。
昭ちゃんはご高齢なのでテレビをご覧になるかどうかわかりませんが、炭焼きの生活なら懐かしく拝見すると思うので、知らせたいと思います。

株式会社あお 小林 さんのコメント...

春様

朝日放送でポツンと一軒家というテレビ番組を制作しております、
株式会社あおの小林と申します。

お返事が遅くなってしまい、申し訳ございません。

お写真のご許可いただき、誠にありがとうございます。

お写真の精度の件、承知しました。

放送日は12/26(日)19:00〜21:56に放送予定になっております。

併せてクレジットの有無がございましたら、
ご連絡よろしくお願いいたします。
例) 提供:@@  など

再放送やネット配信でも使わせていただきます。
ご了承のほどお願い致します。
(ネット配信:TVer、GAYO、U-NEXT、Amazon、hulu)

何卒、よろしくお願い致します。

さんのコメント...

あお 小林さん
ご連絡ありがとうございました。
クレジットに関しては昭ちゃんに問い合わせています。メールを見てくれるといいんだけど。
というわけで、もし昭ちゃんが本名か、あるいは「昭ちゃん」を使いたいと連絡して来たらお知らせします。

株式会社あお 小林 さんのコメント...

春様

朝日放送でポツンと一軒家というテレビ番組を制作しております、
株式会社あおの小林と申します。

クレジットの件、承知しました。

何卒、よろしくお願い致します。

さんのコメント...

あお 小林さん
クレジットは「昭ちゃん」のみでお願いしたいということです。
よろしくお願いします。

株式会社あお 小林 さんのコメント...

春様

株式会社あおの小林と申します。

早急なご対応、ありがとうございます。

クレジットの件、承知いたしました。

この度は、番組制作にご協力いただき、誠にありがとうございます。

ご本人にもその旨をお伝えいただけると幸いです。

今後とも、よろしくお願い致します。

株式会社あお 山本 さんのコメント...

突然のご連絡失礼致します。
以前小林がお世話になりました
ポツンと一軒家という番組を制作しております
株式会社あおの山本と申します。

今回も、炭焼きのお写真をお借りしたく、ご連絡させて頂きました。
ご確認、ご検討のほど宜しくお願い致します。

さんのコメント...

山本さん
ご連絡ありがとう。
炭焼きの写真、どうぞお使いください。

株式会社あお 山本 さんのコメント...

ご確認頂き使用可能とのこと、
ありがとうございます。
クレジットは無しで問題ございませんでしょうか。
ご確認のほど宜しくお願い致します。

さんのコメント...

山本さん
もちろんです。
炭焼きのこと、広く知ってもらいたいですね。

株式会社あお 山本 さんのコメント...

春様

お世話になっております。
ご確認頂きありがとうございます。
承知致しました。

そうですね。
炭焼きが広く伝わればと思います。

今後ともどうぞ宜しくお願い致します。

さんのコメント...

山本さん
素敵な番組になるよう、お祈りしています。