2013年1月10日木曜日
サラダの友だち
サラダにはサラダサーバーがつきものです。
煮物などを大鉢から取り分けるにも、取り箸より、スッカラ(韓国の匙)やサラダサーバーを使うことが多いのですが、なにしろサラダはドレッシングと混ぜるという仕事がありますので、サラダサーバーが欠かせません。
このメキシコガラスのサラダボウル、ずいぶん前からあるのですが、大きすぎてなかなか使えません。あらかじめサラダを混ぜて、均等に分けて盛るスタイルならともかく、食卓において回すなら、持ちにくいし、重いのです。
したがって、このサラダボウルにぴったりの大きめのサラダサーバーも、あまり出番がありません。そろそろ調理用にでもまわした方がよさそうです。
漆の器だと、金属のサラダサーバーを使うのがためらわれます。
漆は案ずるより強いものですが、この漆器の下地が花火の紙の玉だと知っているので、余計に弱いものだと感じてしまうのかもしれません。
もっとも出番が多い、柳宋理氏デザインのサラダサーバーです。
もう、30年ほど使っているでしょうか。他のカトラリーとともに、長い長いおつき合いです。
こちら、フランス製のサラダサーバーはちょっと重いので、サラダボウルが小さいと、やや不安定な感じがします。
以前は、洋銀と呼ばれるカトラリーを古臭いものと思い、ステンレスがおしゃれだと思っていました。でも今頃見ると、洋銀も洋銀なりの味があります。
めっきの剥がれそうなところなども、なんだかおもしろいと思えるようになりました。
サラダを食べる歴史は、古代ギリシャからあったそうです。
野草に塩をかけて食べていた、herba salata(塩をふったハーブ)がサラダの語源です。
タイ、ヴェトナム、ラオスの人々は、たくさんの生野菜を食べます。野菜と言うより山菜と言ってもいい雑草や木の葉を、むしゃむしゃと食べます。
タイの農家に泊ると、ご飯とおかずの他に、毎食いろいろな野草が洗っただけで食卓に出されます。それを魚醤(ナムプラー)にトウガラシ、ときにはにんにくも混ぜたたれにつけて、ご飯と一緒に食べるのです。苦味があったり、甘みがあったり、酸っぱみがあったり。
いくらでも食べられて、ご飯も進みます。
タイ人は、同じ野草を続けて食べるのは、
「ブア(=飽きるよな)」
と言って、とっかえひっかえいろいろな草を食べます。その種類は、一日に十種以上にのぼるでしょうか。こんな草も食べるのかと思うほどいろいろ食べます。
自然卵養鶏の父と呼ばれている、中島正さんは、おいくつになられるのでしょう。95歳くらいだと思われますが、心も身体もかくしゃくとされています。お元気の秘密は、毎日野草を生で食べることとか、外を歩くとき、オオバコ、ヨモギ、カタバミなどを摘み取っては生で食べていらっしゃるようです。
もちろんそれだけではないと思いますが、なまの植物の力、素晴らしいものです。
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2 件のコメント:
カタバミも食用になるとは知らなかった。よく似た紫色のも同様なのかな。柳さんの鍋をつかっていますが、非常に気に入ってます。洗ったあとに鍋の縁に水が溜まらない一枚仕立てなのがなによりお気に入り部分です。前記事の陶器粘土は、一番簡単ですね。
hattoさん
子どもの頃、カタバミ食べませんでしたか?私としてはオオバコの方が違和感があります。かたいから。
オオバコは塩で揉んで(漬けて)噛んで遊んでいましたが、食べたことはありません。
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