その気になったときを逃してはいけないと、昨日、棚の掃除を済ませてからお雛さまを飾りました。
まず、神棚の脇の天袋から雛壇を降ろしました。
板には番号を打ってあるので、その通りにビスで留めます。
出来上がりです。
緋毛氈は、母が使っていたものです。
邪魔くさいことに、猫どもが興味津々、すぐちょっかいを出してきます。
木目込み人形の10人揃い。
骨董屋玩古さんの、楽しいうんちくつきで買いました。
中野土人形の12人揃い。
中野土人形はなかなか手に入らないのですが、東京郊外に住んでいたとき、家を訪ねていらした初対面の方が、中野人形の窯元のお知り合いで、制作を頼んでくださったものです。
下川原土人形の12人揃い。
数年前に閉じてしまった郡上八幡の日本土鈴館からやってきたもの、どれも土笛になっています。
中山土人形。
学生時代に東北を旅したとき、窯元を訪ねて手に入れたものです。
我が家で一番古い紙のお雛さま。
江戸時代につくられたもの、骨董市で、まことさんが持っていらしたものです。
そして、私のお雛さま。
もとをただせば、ひな人形どころではなかった時代に生まれた私が譲り受けた、父の妹の大正時代のお雛さまです。
男雛の笏(しゃく)は、残念ながらなくなってしまいました。
今年も、なんとか飾りました。
左が私のお雛さま、右は妹の連れ合いのやすおさんの姉上の形見の木目込みのお雛さまです。
そしてこちらが土間入り口の飾り棚のお雛さま。
どのお雛さまにも、つくってくれた人、作者さんとつないでくれた人、売ってくれた人、買ってくれた母などの顔が目に浮かぶお雛さまばかりです。
あっ、そういえば稲畑土人形のお雛さまはどこに行ってしまったんだろう?まだ、子どもたちが小さいころ、窯元を訪ねて手に入れたお雛さまです。
学生時代に京都の骨董屋さんで買ったお雛さまもない!ない!
文字が関土人形の雛壇はどこ?
来年はみんな探し出してやりたいものです。天袋の中でしょうか?
学生時代に京都の骨董屋さんで買ったお雛さまもない!ない!
文字が関土人形の雛壇はどこ?
来年はみんな探し出してやりたいものです。天袋の中でしょうか?
7 件のコメント:
おおっ、賑々しくなりましたね!こんなに大勢のお雛様を飾る個人のおうちはいないのでは(笑)。
土人形は月日が経っても古びないですね。ネコたちにやられないことを祈ります。もう落ち着いたかな?
hiyocoさん
「飾ろうかなぁ」と考えているときは結構おっくうですが、飾りはじめると夢中になります。
ただ、こうして毎年写真に撮っていると、どこからかあることも忘れていたものが出てきたり、どうしたのか見えなくなったりしている(笑)。
猫どもは、お雛さまにはわりあい早くに興味を失いました。よかった!
昨日は客人の履いてきた編み上げ靴の紐が気になって、何度追い払っても靴ひもで遊んで、しまいには靴に布を被せました(笑)。
久し振りの日光を浴びて、お雛様たちが嬉しそうです。迷子のお雛様も早く見つかります様に。
猫ども、シッシッ。
小学生の頃から、旅行のお土産は必ず土鈴でした。どうしてその頃から郷土玩具に興味を持っていたのかは分かりませんが。残念な事に、実家に置きっ放しにした為、建て替えの際に処分されてしまいました。
日本土鈴館が存在した事は知りませんでした。現存しないとの事、こちらも残念です。
reiさん
お雛さまは待機時間の方が長いのに、布でできていて、持ちものがいっぱいなので、しわになったり、ひん曲がったり、失われたりしてしまいます。また、昔は糊をネズミに齧られて、頭髪が落ちたりなくなったりしていましたね。
1年に一度は日の目を見ないとかわいそうです!!!
私は大学生になってから郷土玩具に興味を持ちましたが、全部飾るのが好きで、実家の低くて狭い天井に賑々しく百足凧や蝉凧などを飾っていましたが、引っ越しも多かったので、とくに紙ものは劣化して失われてしまいました。
また、実家などに置いて行ったのもや、酔狂にもアフリカやアメリカにまで連れて行ったのも、傷んだり割れたりしました(苦笑)。
日本土鈴館は郡上八幡の橋を渡ったところの左側にありました。私は土鈴館を訪ねたことはありませんが、併設されていた郷土玩具の店には行ったことがあります。館長さんは今でもお元気ですがご高齢で、残念ながら閉められてしまいました。
今でも、『鈴を振りふり』という、日本土鈴館のブログをのぞくことができますよ。
郷土雛の画像検索で辿りつきました。
いずれも味わい深く、見入ってしまいました。
他の項目も圧倒的な雰囲気で、愉しみに拝見させて頂きます☆
実は偶然にも、私も土鈴館で下川原のセットを入手しました。
掲載品と衣の色違いです。
ところで、「中野土人形」は「富山土人形(渡辺信秀)」ではないかと見受けます。
勘違いかも知れません。
茶々丸さん
コメントありがとうございます。
楽しんでいただけて何よりです。
中野土人形のことですが、私も後年、これにそっくりな雛人形は富山人形でしか見たことがないので、いったいどういうことになっているのかと思いながらそのままにしていたところです。
1970年代の半ば頃、私はあるものを制作する仕事をしていました。私の作品を雑誌で見て、手紙をくれて長野県中野の女性がわざわざ家に訪ねてきてくれたことがありました。おもには手仕事の話をしたのですが、当時の私の飾り棚にたくさんあった郷土玩具を見て、「中野人形の作家さんと懇意にしていて雛人形をつくっていただいたのですが、欲しかったら頼んであげましょうか?」と言ってくれたので、一も二もなくお願いしました。しばらくは、マジックインキだったか筆だったかで大書きした箱にそのまま入れていましたが引っ越しやら何やらでご住所を書いた箱はなくしてしまいましたが、中野土人形に間違いないのです。(http://koharu2009.blogspot.com/2010/02/blog-post_07.html)
作者は確か奈良さんだったと思うのですが、中野ひな市の写真の中に似た土人形を見ることはないし、富山の土人形は酷似しているし、私もどう考えたらいいのかまったくわかりません。紹介してくださった方とはしばらくは年賀状のやり取りなどしていましたが、海外で暮らすことが多くなったり引っ越ししたりで、立ちぎれてしまいました。
雛人形をつくって欲しいと言われて親しい奈良さんが富山の型でつくった?
奈良さんが富山に発注した?
いやいや、どう考えても不自然です。
富山人形はなんとなく、膠が強すぎるのか塗料が剥がれるイメージがありますが、私の持っている雛人形にその気配はまったくありません。渡辺さんのおつくりになった雛人形はどうなのでしょう?
私も真相を知りたいです。
茶々丸さん
貼りつけたアドレスではうまくいきあたらなかったら、「八郷の日々、2010年2月7日」の記事を見てください。といっても詳しく書いてはいませんが。
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