骨董市のまことさんの店にふいごが置いてありました。
持ち上げて、持ち手を上下に動かすと、先端からかすかですが風が出てきました。畳んである紙は破れていないようでした。
真ん中に外形と同じ板に持ち手をつけたものを入れ、その上下に紙をたたんで貼り合わせて、風をためる部屋をつくっています。持ち手を上下させると、部屋の中の空気がつぶされて、先端の小さな穴から風が出てくるのです。
鍛冶屋さんや鋳物屋さんが火をカンカンに起こしたいときは、こんなふいごでは間に合いません。また、お風呂を焚くときなどは火吹き竹でいいわけだから、こんなかったるいものは使いません。
きっとお茶室で使用するものではないかとネットでさがすと、似たものがありました。
ヤフオクだったみたい |
風炉釜にはぴったりのふいごです。
焼き印が押してあったようですが、すっかり消えています。
薄い杉板を直接釘打ちせず鉄板で留めてあるところ、先端の直した後のようなところなど、みやびというより素朴なところが、気に入ってしまいました。
4 件のコメント:
筑波大学で工業デザインを学ぶ歴代の学生達が、先輩を招いての「ふいご祭」を開催して来ました。教育大時代から受け継いで来たものですが、今でも続けられているのでしょうか。ふいごを見て思い出しました。
reiさん
えっ、reiさんもしかして筑波大(教育大)ですか?
筑波大の「ふいご祭り」については残念ながら知りません。ただ、私の母校では、在学時から毎年ふいご祭り(http://koharu2009.blogspot.com/2018/11/blog-post_10.html)をやっていました。今でも刃物が好きとかふいごが好きというのは、なんか引きずっているものがあるのでしょうかね(笑)。
もっとも、私は四十の手習いで筑波大に入学して文化人類学を学んだので、筑波大も母校と言えます。研修生とフィールドワーク留年で4年もいたんだけれど、あまり母校という感じはありませんが(笑)。
私は春さんと同じく四十の手習い(社会人入試)で、筑波大学の大学院(建築)で学びましたが、夫は教育大の最後の卒業生でした。先生方はそのまま筑波大に移ったり、職場の上司や先輩が後に筑波大の教師になったり、息子やその連れ合いが卒業生だったりと、筑波大とは色々とご縁があります。(個人情報満載でごめんなさい。)
これも遥か昔の事、彫金を習っていた時に、足踏み式のふいごを使っていた記憶があります。
reiさん
そうでしたか。ご縁がありましたね。
社会人入試など知らず(そのころはなかった?)一般入試で、外国語が2つもあったため途方に暮れましたが、ちょうどタイ人が交換教師で来るということだったので、研修生を1年やらしてもらって、タイ語の読み書きの勉強をしました。もっともその先生は語学教師ではなかったので、「文化人類学」とか「心理学」とかの単語を教えてくれただけでした(笑)。しかし、雑談の域を出ないとはいえ日常的にタイ語に触れていた1年だったので大いに助かりました。
入学後も語学は二か国語履修しなくてはならず、タイ人の先生は2年で帰ってしまい、そのあと「今更フランス語でもないだろう」とヒンディーをとりました。生徒は私一人きりでマンツーマン。「1年でガンジーが読めるようになった生徒もいた」などとあおられ、宿題が山のように出て、何をしに大学院に入ったかわからない1年となりました(笑)。しかも、ヒンディーは見事に全部忘れました。やれやれでした。
ちなみに、入試のタイ語の試験問題はタイ人と結婚されているタイ研究の先生がつくりました。
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