2024年9月27日金曜日

『暮らしの手帖』、あれこれ


M+MのMちゃんが、
「糸島が載ってるよ」
と『暮しの手帖』を貸してくれました。 


糸島で塩をつくっている人のお話でした。


平川秀一さんは、糸島の半島の先で、立体式で塩をつくっています。


水分を飛ばして、塩分濃度を濃く濃くして、


煮詰めてつくるそうです。


以前、息子からもらった「いとしお」があります。
が、これは玄界灘の塩を使ったとは書いてありますが、塩の生産者の名前は書いてありません。玄界灘の塩を言えば『暮らしの手帖』に載っている平川さんしかいないとも思われますが、どうなんでしょう?
ちなみに右は奥能登の「藻塩」で、いただいたのは地震直前の昨年暮れのことでした。


さて、『暮らしの手帖』で私が塩よりも興味を惹かれたのは、ひょんなことから稲わらで俵をつくるようになり、やがて大相撲の土俵をつくることになった酒井裕司さんのお話でした。
勤め人だった酒井さんは、越してきた伊奈郡飯島町で、地域活性化のため俵を担いでマラソンする「米俵マラソン」の企画をたて、参加者も集まったので農家さんに米俵をつくってもらおうとしました。
「今どき米俵をつくれる人がいるの?」
「えっ、つくれないの?」
となり、ネットで調べると、米俵は1つ9000円で売っていました。
参加者は50人で参加費は2000円、単純計算しても自分が35万円払わなくてはならないことがわかり、では自分でつくるしかないと酒井さんは米農家でわら細工職人だった80歳の平澤福さんに弟子入りしました。
マラソン大会も回を重ね、3回目に出発点とゴールを町役場にしたいと考えました。米俵を陣屋に運び込むという物語ができるからです。そうすると、国道を一時車止めにしなくてはならない。個人ではできないのでしかたなく、法人格を取るために家族にも内緒で会社を立ち上げ、仕事をやめて俵づくりに専念することになりました。
ところが、マラソンが終わってみると仕事がありません。アルバイトを掛け持ちしながら、平澤さんのところで「猫つぐら」や保温のためにお櫃を入れる「わらいずみ」などを習い、わらを手に入れるために農家の稲刈りを手伝い、寝る暇もない日々を過ごしました。
そんな起業してから3年目の酒井さんに、電話がかかって来て、いきなり、
「米俵をどのくらいつくれるか?」
とたずねられましたが、酒井さんは米俵づくりには自信がありました。
じつは、大相撲の土俵づくりを一手に引き受けていた人が高齢と病気で急にやめることになって、相撲協会としては「わらにもすがる」思いで酒井さんを探し当てたのでした。


土俵づくりを引き受けたころ、酒井さんは朝は新聞配達、栗拾いのバイトは最盛期、土日はソフトクリームを売るバイトもあり、稲刈りの手伝いとわらの乾燥もしなくてはならない。そんな中での土俵づくりで寝るのは2日に1回だったそうです。
米俵づくりも土俵づくりも同じ、中に土を詰めれば土俵になります。


土俵築は3日間かけて、呼び出しさんたちで行われ、まず古い土俵を壊すところから始めます。


酒井さんのつくった俵に土を詰め、叩いて叩いて、そして踏んで踏んで、「叩く」と「踏む」だけで土俵をつくります。
土俵づくりに携わって6年、いまだに酒井さんは、力士が踏ん張ったら土俵が崩れはしないかと、大相撲をまともに観ることができないそうです。
伝統技術は残さねばの思いを強くしていた酒井さんは、2022年に、奈良市の春日大社にある若宮神宮で20年に1度の「式年造替」が行われたとき、神楽殿のしめ縄かけ替えで、長さ25メートルの大しめ縄の製作も請け負いました。
たった一人で始めたわら仕事ですが、今では70人のわら仲間がいるそうです。

以下、余談です。
土俵づくりのことは、正直、考えてみたこともありませんでしたが、私は大相撲の塩を入れる籠がいつも青いのを不思議に思っています。青竹でつくった籠は、すぐ茶色くなります。
「どうして、塩を入れる籠はいつも青いんだろう?」
「毎回、新しい籠を使っているの? それとも塩を入れておくと青さが保たれるの?」
おそらく、毎回新しい籠を編んで使っているのでしょう。
「誰がつくっているのかな?」
いつか誰かに訊いてみたいと思っています。






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