ひょんなことから、「北海道に残存する背負い籠の形態と用途」という抜き刷りを見つけました。
もとの報告書は、『北海道開拓記念館調査報告 第30号』というもので、抜き刷りの部分を書いた人は、舟山直治・氏家等となっています。『北海道開拓記念館調査報告 第30号』は1991年に上梓されていて、同年に抜き刷りもつくられています。
たった20ページの抜き刷りですが、当時すでに消えかかっていた北海道の竹でできた背負い籠について、地域、用途、つくり方などが紹介されていて、興味深いものでした。
舟山直治さんは、北海道博物館の学芸員で、さまざまな時代や地域を経て北海道に伝わった有形・無形の民俗資料を対象に、それぞれの経緯や過程を整理するとともに、それらが積雪寒冷地で伝承されている意義とその役割について、考察されている方のようです。
北海道の背負い籠といえば、すぐ思い浮かべるのが
木のモッコです。
私が、2019年にのらさんのお世話で北海道に行ったとき、興味津々で眺めたのは、ニシン漁が盛んになるとともにたくさん使われ、ニシン漁衰退とともに消えてしまった木のモッコでした。
干からびたニシンのうろこが残っている木のモッコを見て、当時の賑わいを思い浮かべたりもしました。
そのときは、寒冷地の北海道では竹細工はさして盛んではなかっただろうという先入観があり、各地の博物館で竹籠を見ることがあっても、「本州から、もたらされたものだろう」くらいに思って、さして気にもしませんでした。事実、本州から持ってきた竹籠、本州からの行商人から買った竹籠などを目にしました。
そんな竹細工の背負い籠について、全道とまではいきませんが、たくさんの町村で実際に使われているものや、資料館の収蔵品を見て、まとめられているのがこの抜き刷りです。
道がまだ少なく、舗装されてもいなかった時代、竹の背負い籠はとくに内陸部に多く見られ、畑仕事に行くときなどに使われました。当時も、リヤカーや一輪車はありましたが値の張るものであり、ものの運搬には背負い籠が一般的でした。
畑仕事、買いものなど目的別に違ったサイズの背負い籠を持っていたり、家族一人一人の背負い籠を揃えていた地域もあったようです。
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| 積丹町 |
海辺でも、竹の背負い籠は木のモッコより軽いので、自家用の昆布などを取りに行くときに使われました。
この抜き刷りでは、北海道で見られる背負い籠を、6種類の形に分けています。
どうやら、用途によってさまざまな形になったというより、出身地の形を踏襲して根づいたものが多かったようです。
呼称も、ショイカゴのほか、タンガラ(福島出身者)、タガラ(新潟県出身者)、モッコ(宮城県出身者)、ツンボリ(富山県、福井県出身者)など、出身地によって別の名前で呼ばれていました。
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| 標津・函館 屏風絵、部分 |
1860年に描かれた「標津・函館 屏風絵」の中に見える背負い籠は、分類6の漏斗形です。
史料が少ないので断定はできないとしながらも、この抜き刷りでは、北海道での背負い籠の起源は、1818年に書かれた『模地数理』の中の「松前の物売り 夜番の図」にある「連尺」ではないかと、推察しています。
連尺って何?
なんと、背負い紐のことだそうです。知りませんでした。
竹籠は、本土の行商人からももたらされましたが、北海道内でも製造されました。
ほとんどの籠は根曲がり竹(チシマザサ)でつくられましたが、底の補強などには、本州からの真竹も使われました。
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| 利尻町 |
底が補強されてない背負い籠を使う地域では、底がすぐ抜けるので、布で補強したり、荷負い縄と梯子で支えていたそうですから、底に差し込む真竹は、手に入りにくかったり、遠くから運ばれてくるので高価だったりしたのかもしれません。
通常、竹細工の技術は親から子へ、あるいは親方から弟子へと伝承されます。北海道における技術は、移住前に習得されていたものが多いのですが、北海道において技術が習得された例もあります。
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| 講習会 |
大正8年から各地で行われた副業奨励政策の一環の講習会では、多くのつくり手を育てることができました。講習会では、手籠、椀籠、目籠、カツギ籠、ショイ籠、ホマザル、豆腐籠、雲丹籠などの生活用具がつくられ、販売もされました。
主要な市町村では、籠師として専業化する人もいましたが、農家の副業としてつくられたものも数多くありました。
農村部での背負い籠の利用は、昭和30年前後、袋入りの化学肥料が売られるようになってから、堆肥の運搬の必要がなくなり、廃れていきます。
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| 浜益町 |
さて、この抜き刷りには、これまで私が見たことがなかった、フゴ形(ビク形)の背負い籠が、北海道各地で使われていたことが報告されています。
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| 2005年1月8日の朝日新聞。高知市の福井浩之さんのコレクション |
思いついて、以前朝日新聞に掲載された、日曜版の連載「こだわり博物館」の中にあった背負い籠コレクターの方の記事を出してみましたが、この写真で見る限り、ビク形の背負い籠はありません。
背負い籠は、重いものを入れるので、底を頑丈にでつくることと、背負い紐をしっかりつけることが重要です。
この写真でもわかるように、多くの背負い籠は縁に背負い紐をつけています。背負い籠は、紐をつける部分が壊れたり、縁が壊れるなど、つけ根に力がかかる宿命を持っていると言えます。
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| 神恵内村 |
ところが、ビク形にすれば、くびれたところに紐を回して、それに背負い紐をつければいいので、一点に力がかかりません。なかなか良い方法です。
北海道以外でつくられていた事例もあったのでしょうか?
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| 浜益町 |
この抜き刷りでは、ビク形の背負い籠が普及している理由として、悪路を歩いても、中のものが飛び出しにくいことをあげていますが、背負い紐をつけるのに適していたということも言えるのではないかと思いました。
なんと、私の撮った写真、小平町(おびらちょう)の旧花田鰊(ニシン)番屋の横に建てられた、道の駅の二階の資料室にも、奥の方にビク形の背負い籠がありました。
抜き刷りを参照すると、小平町ではフゴ形(ビク形)と釣鐘形の背負い籠が、郷土資料館に残されていて、いずれも農家で、豆などを運ぶときに使われたものだとのことです。
ビク形の背負い籠がないかと、ネットで検索していたら、フナコレタロさんの背負い籠に関する
過去の記事がヒットしました。
いろいろな形の背負い籠が紹介されていて、とくに急峻な山の中で威力を発揮する、底が小さい背負い籠(抜き刷りで言うところの漏斗形)が宮崎県のかるい以外にもいろいろあって、興味深かったのですが、ビク形の背負い籠はありませんでした。
余談ですが、我が家にある日本の背負い籠といえば、
かるい、関東の丸い籠、そして
四角い籠と
アケビの籠くらいです。
関東形(1の円筒体形)の
落ち葉籠も持っていましたが、大切に使っても壊れやすく、とっくに使い倒してしまいました。
追記:何の関係もありませんが、フナコレタロさんのコメントに応える形で、2019年に羽幌の博物館に行ったときに撮った、籠の写真をUPします。
台所道具の棚に、米揚げ笊、みそこし、うどんすくいなど見えますが、どれも本州からもたらされたものだと侮って、説明札など読んでもいませんでした。
また、穀物用の漏斗も見ました。お米だけでなく、小豆や大豆にも使ったものと思われます。
小平町ほど大規模ではありませんが、羽幌にもニシン番屋が立ち並んでいた時期もあったようでした。