ゼンマイで動く日本通運のトラックです。
かつて、日本通運は、鉄道で運べないところの大規模運輸に携わる、全国的な運搬網でした。物資の輸送はほぼ鉄道によって行われ、鉄道の駅の近くには日通のトラックの駐車場があり、たくさんのトラックが働いていました。
そんななか、個人が引っ越しも含めて何か送りたいときはとても手間でした。木のリンゴ箱やミカン箱に詰めた荷物を駅まで持って行き、チッキとして受けつけてもらったら、また到着した駅まで出向いて受け取らなくてはならなかったと記憶しています。
日本通運のトラックは、消防自動車とまったく同じ形をしています。
底も同じ、同じ工場でつくられたものですが、こんなに大きく日本通運と書いてあるので、輸出用ではなく国内向けだったのでしょうか?
消防自動車にはMADE IN JAPANと書いてあります。
ところで、日本通運のトラックのおもちゃを検索したらいろいろ出てきたのですが、中にアメリカのMARX社がつくった日本通運のトラックというのがありました。アメリカで日通のトラックがつくられたくらいなら、ゼンマイのトラックも輸出されていたと考えられないこともないのですが、MARX社の「日本通運」の文字とマークはシールなので、輸出国に合わせていろんなシールを貼りわけた中の一つの日本向けのものと考える方が、素直な気がします。
以下、検索で出てきた黄色い日通のトラックのブリキのおもちゃをUPしておきます。
ヨネザワブリキ製 |
野村トーイ製 |
ノーブランド |
野村トーイ製 |
どれも、なかなか素敵です。
蒸気機関車、消防自動車、そして日本通運のトラック以外にも、同じ会社でつくられたゼンマイで動く乗り物はあったのでしょうか?
4 件のコメント:
昔の引っ越しは大変だったのですね。チッキと言う言葉は初めて聞きました。駅の近くでトラックが待機していたなんて、今は想像できません。
年末に大阪に帰るのに夜中に出発したら高速道路はトラックだらけで、どんだけ色んなものが西へ東へと運ばれているんだかと考えてしまいました。
hiyocoさん
チッキは死語ですね(笑)。面倒な手続きをして、切符も見せて別送荷物の引換証をもらうことを「チッキで送る」と言いましたが、人が移動しなかったらもっと荷物を送るのは難しかったので送りませんでしたね。それと、移動する人に荷物を託して、便宜的にチッキにしてもらったりしていたかも。
デパートの配送はいつから始まったのかしら?あれは便利でお歳暮時期など人が群がっていましたが。
以前書きましたよね。学生だった頃、渋谷の既製服店(女の子向けの手ごろな既製服の草分け的存在の店だった)で椅子を見て、「配達してくれますか?」と訊いたら配達してくれるというので買ったら、男の人が椅子を持ってついてきて、山手線に乗って、降りて五反田駅から15分くらい歩く家まで一緒に歩いて配達してくれたってこと、今だったら考えられません(笑)。
スズヤのスペインの椅子のエピソード、大好きです!四コマ漫画のサザエさんの話にありそう(笑)。
hiyocoさん
男の人(店に出ている店員さんはみんな女性だったような)と2人でドアの近くに立って、話もしないで椅子を見つめていましたが、乗客にじろじろ見られてましたね(笑)。なんとなく夏だったような。当時は山手線にも地下鉄にも冷房はありませんでした(^^♪
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