浜松張子は明治元年ごろ、明治維新により禄を離れた旧幕臣三輪永保(ひさやす)が反古紙を使って江戸風の張子玩具をつくったのがはじまりです。永保は息子の永智(ながと、ー1955年)にも張子の技術を習得させて、父子二代で、武家好みの気品のある張子を制作しました。
昭和20年6月18日の浜松大空襲で工房は焼け落ち、張子の木型、資材などはすべて灰燼に帰しました。永智の妹の三代目二橋志乃さん(1880−1973年)は、戦後すぐに精力的に古型の復元に取りかかり、昭和32年(1957年)には、古型をほぼ復元して、浜松張子の継承に貢献されました。
写真は、志乃さんのご子息の妻、四代目の二橋加代さん(ー2017年)作の鯛車です。
左は加代さんの娘の五代目の鈴木伸江さんのつくった鯛車、祖母の志乃さんが復元された型を使っています。
右の、加代さんの鯛車には銘はありませんが、「浜松鯛車 56/1/11 例会」と書いたシールが貼ってあるので、「日本郷土玩具の会」か何かの昭和56年(1981年)の正月例会で、領分されたもののようです。
母と娘の鯛車を比べてみると、右の加代さんの鯛は、伸江さんの鯛よりも胸びれが横に開いていて、お腹が白いという違いが目につきます。
浜松張子には「ころがし」と呼ばれる車のついたものや、「首振り」、「起き上がり」、吊るして手足が動くものなど、動かして遊ぶ玩具も多く、どれをとってもかわいらしいのですが、ころんとした鯛車の可愛さは格別です。





0 件のコメント:
コメントを投稿