2025年1月22日水曜日

ブルー


冬になると手足がかゆい私は、皮膚科で処方していただいた薬だけ使っていましたが、夫に倣って保湿クリームも使うようになりました。
今冬のニベア(これ、字の通り読めばニヴェアだよね)も、小さい缶にはかわいい模様がついていて、使うのが楽しくなります。1缶使い切って、きれいに拭いて、きれいに洗っていて、いつもの色と違うことに気づきました。


昨冬の缶はニベアブルーだったのに、今冬の缶は色が明るくなっています。


私は明るいブルーの方が好きだけれど、模様入りでない缶の色はきっと今までと同じ、定着した色を変えるのは、なかなか難しいことでしょう。
さて来冬、模様入りの缶はどんなブルーになるのでしょう?







 

2025年1月21日火曜日

地球が狭い!

レトルト食品はほとんど食べませんが、自分で冷凍したミートソースやカレーなど、ビニール袋に入っているものを取り出すとき、最後の一滴まで取り出したいと思ってしまいます。
そんなときは夫を駆り出して、二人で菜箸で袋の端をはさみ、どちらかが袋をひっぱり、しっかり閉じた2本の菜箸の間を通して中身を取り出してきました。しかし、毎回二人がかりで挑まなくても、何か便利な器具があるはずと、100円ショップにも行かずネットで探すと、フード・バッグ・スクイーザーなるものが、それなりの値段のや安いの、いろいろありました。


その中で、配送料無料で、651円のものを注文してみました。これがあれば、一人で作業できるはずですが、値段も安いので性能は期待せず、とりあえず使ってみようと思いました。

さて、これを注文してから2週間ちょっと経ってから、国際便が届きました。


「何だろう?」
赤道ギニアからの発送で、「取るに足らないちょっとした荷物」と書いてあります。
赤道ギニアから何か受け取る覚えもないといぶかしく思いながら開けてみると、フードバッグスクイーザーでした。
「えっ、あんな遠くから!」
ときおり、ネットで注文した工具などが中国から直接送られてくることがありますが、まさか赤道ギニアから送られてくるなんて、思っても見ませんでした。


赤道ギニアは、2つの島と、カメルーンガボンにはさまれた大陸部からなっています。赤道近くに位置しているということは、一年中朝6時に日が昇り、夕方6時に陽が沈むはずです。かつてはこのあたりには熱帯多雨林が広がっていましたが、20世紀後半から21世紀初頭の森林伐採によって、多くの森林が失われてしまいました。


さて、フードバッグスクイーザー、さっそく試してみたいけれど、試すものがありません。しかたなく、先についているナイフでビニール袋を切ってみたら、しっかり切れました。これから活躍してくれるでしょうか?





 

2025年1月20日月曜日

曲木の箱

今日は織物教室の日でしたが、Kさんが体調を崩してお休みするとのこと、寒いしSさんと2人では士気も上がらないと、あっさりお休みにしてしまいました。
先生がいないと、ついさぼりがちになってしまいます。


その近藤さんの家の前に、素敵な看板が立ててありました。
近藤さんが突然亡くなったあと、残された猫のくりちゃんを、有志の方たちが日替わりで餌をあげるなどお世話していました。その中の誰かが、濡れても大丈夫な、油紙みたいな黒い紙を切り抜いて板に貼ってつくったものです。
ところで、1年以上ひとりで頑張ったくりちゃんはちょっと前に怪我をして入院、退院後、近くのゆみこさんの家に引き取られて、幸せな生活を送ることになりました。くりちゃんが教室にいたら、私たちももっと頑張れたかな? くりちゃんは幸せになったのに、私たちは寂しくなり、つい休んでしまいました。


さて、ぽっかり空いた時間、徒然に(戯れに)我が家にある曲げ木の箱を集めてみました。
あるある、まぁ、好きだからたくさんあるとは思っていましたが。


あっ、一番大きな曲げ木の箱を忘れていました。いろいろなお茶を入れて、毎日開け閉めているこのスウェーデンの箱を加えて、全部で32個ありました。


この3つは新しい手法でつくられたものです。
デンマークの菓子入れは、合板で丸くつくったもの、写真にはありませんが、同じつくり方のごみ箱を持っています。
杉のお櫃は見てもよくわからないけれど、薄い杉板を何度もぐるぐる巻いて貼り合わせているようです。


奥の2つはカナダでつくられたシェーカーボックス、手前の3つは日本製のシェーカーボックスです。


チーズやお菓子が入っていた包装用使い捨ての曲げわっぱ、とても捨てられません。


日本のお弁当箱。


スウェーデンのお弁当箱。


スウェーデンのおもちゃの箱と、ボリビアの人形入れの箱


ルーマニアの曲げわっぱ


白樺の皮の曲げものは厳密に言うと曲げ木ではありませんが、仲間として含めました。


書くにあたって前の記事を見返していて、タイに住む山地民族のつくった曲げ木の箱をすっかり忘れていたことに気づきました。


へぎ板をラタンで綴ってある、お弁当箱には小さすぎる、すてきな箱です。

曲げ木といえば、ほかにはふるいも曲げ木でできています。

曲げ木の箱は、おもに自分の持っているものから推察して、北欧諸国、ルーマニアなど東欧の国々、北米(に移住したイギリス人)、ボリビア、ロシア、日本、そしてチベットくらいでしかつくられてこなかったと思っていたのに、タイの山地民もつくっていたことがわかり、感激です。
かつては、もっとほかの地域でもつくられていたのかもしれません。




 

2025年1月19日日曜日

海雲寺の招き猫


高崎張り子の招き猫です。
骨董市でおもちゃ骨董のさわださんの店に2匹並んでいました。


背中には、群馬県安中市の「海雲寺招福観音の招き猫」とのシールが貼ってありました。
「もう、5、6体売ったんだけどね」
とはさわださん。
複数個あったということは、個人の茶の間から出てきたものではないということ、それなのに、「開運祈祷済」とはどういうことでしょう? 
似ている高崎張り子の招き猫に、過去にも出逢ったことがありました。


そう、ホテル磯部ガーデンの招き猫でした。
シールが違うだけ、同じ猫です。
安中の海雲寺がどうして招き猫寺になったのか? それは、同寺の住職が世田谷の猫寺豪徳寺で修業したことを縁に、分身を勧請したからとのことです。

西毛探検よりお借りしました

それにしては、右手挙げ、左手挙げにはまったくこだわっていません。
豪徳寺の招福猫児は、時代によって姿かたちは変わっていますが、右手挙げは一貫しています。


それでも、高崎張り子の招き猫の出番が多いのは、喜ばしいことです。






 

2025年1月18日土曜日

くろ玉


アメリカの大学で建築を学んでいて、将来も木造にこだわってアメリカで働きたいという若い人たちが訪ねてきて、お土産にお菓子をいただきました。
甲府のお菓子、どんなお菓子だろう? 包装紙からはちょっと想像がつきません。


包み紙を取り除いてみてもどんなお菓子が入っているのか想像がつきません。


わぁ、こんなお菓子が出てきた! 甲府だからブドウかな?


プラスティックのケースがかぶせてあり、底のシールの蓋をはがして取り出してみても、まだ想像がつきません。がぶっとかじりついてみて、やっとわかりました。エンドウ豆の餡を丸めて、それを薄く黒糖の味のする羊羹で包んだお菓子でした。


ホームページを見たら、くろ玉をつくっている澤田屋は創業1929年(昭和4年)、餡子玉を羊羹で覆う作業は、今もひとつひとつ手で行うそうです。


エンドウ豆の餡子玉というのが初めての味、とっても美味でした。
ごちそうさまでした。




 

2025年1月17日金曜日

1803年のスヴェープアスク


スウェーデンの曲木の箱、スヴェープアスクです。
直径32センチ、高さ9センチの大きな円い箱で、蓋の天面と側面、本体の側面に木彫りの装飾が施されています。


曲げた木は、白樺の根で丁寧に綴ってあります。そして側板は、天板や底板に木の釘で留めてあります。
このスヴェープアスクがネットショップにUPされたとき、とても買えないと思いました。それでも「誰かが買ってしまったかな?」とのぞいて見ていた日々、大江戸骨董市に行ったときは出品されていたので、実物に触らせていただいたりしました。


それがある日、30%オフになっていたのです。これはもう買うしかないと思って、自分への誕生日プレゼント(早めですが)にしました。


蓋の裏にはコンパスとケガキを使って模様を描こうとした跡がありました。うまく6等分できなかったのか、こちらは諦めて反対の面に模様を彫ったようです。


底には、内側と外側から3ヵ所、鉛で穴を埋めてあります。スヴェープアスクは食料品などを入れることが多かったようですが、この箱には小麦粉を入れた形跡などはありません。小さい穴をわざわざ埋めて何を入れていたのでしょう?
おやっ、写真で見ると本体の底の内側にも模様がケガキしてあり、実物をよく見なおすと、中心の模様だけでなく周囲の円まで下書きしてありました。なぜ仕上げなかったのでしょう? 真ん中近くにある節が気になってやめたのでしょうか? 節のところは確かに彫りにくいと思われます。となると、蓋の天面の内側のケガキも節が大きい面を避けて、別の面を使ったのかもしれません。


スヴェープアスクには制作年が記されているものがありますが、この底には1805年とあります。
1805年といえば220年前、日本ではどんな生活だったのでしょう?
江戸開府から約200年経った頃で、当時活躍していた人たちはこの年、杉田玄白72歳、伊能忠敬60歳、塙保己一59歳、喜多川歌麿52歳、松平定信47歳、葛飾北斎45歳、山東京伝44歳、十返舎一九40歳、滝沢馬琴38歳、徳川家斉32歳、間宮林蔵30歳などです。そして、徳川幕府の最後の将軍となった徳川家慶は若干12歳、遠山金四郎12歳、渡辺崋山12歳、千葉周作11歳、シーボルト9歳、歌川広重8歳と、彼らはまだ世に出ていませんでした。
そして、私のご先祖さまはどんな生活を送っていたのでしょう?


また、アメリカでは2年前の1803年に、フランス(ナポレオン)からルイジアナを買収して領土をそれまでの約2倍に広げています。地図の緑のところがルイジアナです。
来週にはアメリカの大統領に就任するトランプが、アイスランドを売れとか、カナダにアメリカの州になれと圧力をかけているのは、あながち突飛なことではなくアメリカの悪しき伝統なのかもしれません。ハワイも力で(陰謀で?)併合してしまいましたし。


左上から1805年作、上右は1824年、左下は1832年、右下は1864年の作です。
1824年は前年に来日したシーボルトが長崎郊外に学塾兼診療所を開くことが許された年で、医学だけではなく動植物や地理・産業などあらゆる分野の日本研究を、日本人の弟子たちに行わせました。1832年には天保の大飢饉がはじまって東北地方から全国に広がり、その後数年間続いた飢饉のため、各地で一揆が起こりました。1864年は、新選組による池田屋事件、蛤御門の変、幕府の第一次長州征伐など尊王攘夷運動が吹き荒れた激動の年でした。

年の記入されていないスヴェープアスクや、色がすっかり削り取られたスヴェープアスクなどに比べると、制作年が入っているものは想像が膨らんで、なかなか楽めます。
それにしても、どのスヴェープアスクも、200年(+-)の時を経たものとは思えない瑞々しさを保っています。


どれも、まだまだ電力が利用されてなかった時代につくられたもので、板を薄く裂くのも手作業でなされています。





2025年1月16日木曜日

オーストロネシア語族の人々とスパイス

hiyocoさんが『スパイスの人類史』(アンドリュー・ドルビー著、樋口幸子訳、原書房、2004年)という本を借りて読んでいると「えのしま貝散歩」に書いてあったのはいつごろのことだったか、私も読んでみようとネットで探しても新本はなく、古本はとても高かったので、図書館で借りて読むことにしました。
お隣の笠間市の図書館にあることはわかったのですが、なかなか笠間まで行けません。では八郷の図書館で取り寄せてもらえるかどうか訊いてみようと思ってからも数日(数週?)経ち、やっとのことで八郷の図書館に行って、笠間図書館から取り寄せてもらうことにしたのは2024年の暮れのことでした。 
そして、お正月あけに、届いたとの知らせをもらって取りに行きました。


本にはビニールのカバーがかけてあり、
「他市から借りたものなので、絶対にカバーを外さないでください」
と念を押されました、


自治体を超えての貸し借りは、自治体内での貸し借りより手間のかかるもの、厳重に袋に入れて貸していただきました。
私はもともと、図書館から本を借りて読むのが苦手です。早く読んで返さなくてはと強迫観念に囚われて、読みにくくなるのですが、期限は2週間あり、なんとか読み終えました。

さて、著者のアンドリュー・ドルビーさんは食べものに強く関心を持った言語学者だとか、オーストロネシア語族の人とスパイス貿易に注目している視点がおもしろく、一気に引き込まれました。
かつて、マレー・ポリネシア語族と呼ばれていた人たちが、台湾の先住民もその仲間であることが明らかになり、オーストロネシア語族と命名されたのは、そう古いことではありません。
1985年に京都大学で「マレー世界のなりたち」という2週間にわたる東南アジアセミナーがあったのですが、このときは台湾からマダガスカルの島々に住む人を、「マレー」と呼んでいました。そのマレーがまさしくオーストロネシア語族でしたが、このセミナーでは南のイースター島などは含んでいなかったので、「マレー世界」と呼んだのかもしれません。各民族グループの研究者や東南アジアを俯瞰する研究者が日替わりの講師で、とても興味深いセミナーでした。



オーストロネシア人は、紀元前4000年、今から6000年前に、中国南東部の海岸地方から移動を開始し、数千年をかけてマレー群島を経て南へそして西へと広がっていきました。南北で8000キロメートル、東西で10500キロメートルに及ぶ地域で話される言語は多様ですが、一つの言語を先祖としていると考えられ、「オーストロネシア祖語」と呼ばれています。
その彼らが紀元前からスパイスの取引をしていて、それが今日の貿易網につながっているとは、まさに壮大なストーリーです。

言語学者は、言語の共通点や相違点からその関係性を構築します。しかし、言葉は生きもの、日に日に変化しているし、個人が一生のうちに習得できる言語には限りもあります。他の人の研究とも併せて考えるにしても、大変な作業だと思われます。


『スパイスの人類史』は原書では『Dangerous Tastes The Story of Spices』という題名です。「危険な味」ではなく、「圧倒的な力を持つ味」という意味だと思われますが、絹や貴金属ではなく、地球上の交易貿易の路をまず開いたのが、(食料であり医薬である)スパイスであったというのは、とても興味深いことでした。










2025年1月15日水曜日

大相撲

大相撲初場所がはじまっています。

大阪張り子

好きな力士は豊昇龍、阿炎、遠藤、若元春・若隆景兄弟、安青錦などです。
豊昇龍はおじさんの朝青龍が好きだったから、阿炎は親方の寺尾が好きだったから、阿炎と遠藤は仕切りの所作が美しいから、若元春・若隆景は兄弟力士だから、安青錦は親方の安美錦が好きだったからなどが、押しの理由のひとつです。
安青錦の親方の安美錦も兄弟力士でしたが、兄の安壮富士は前頭13枚目止まりでした。だから、若隆景の兄の若元春が上がってきたときは他人事ながらほっとしました。もっとも若元春・若隆景のお兄ちゃんの若隆元はいまだ幕下ですが。
若3兄弟の名字は大波、すごい名字です。そして名前が大波渡、大波港、大波渥。長男さんと次男さんのフルネームからは、波立つ太平洋が目に浮かんできます。


熊本県日奈久の板相撲

嫌いな力士は、手の内を見られたくないためか、インタビューには木で鼻をくくったような応対をする人です。そんな力士に限って、引退したとたん、ペラペラしゃべりまくっています。2人ほど、名前が喉元まで出てきていますが、あげないでおきましょう。
「しゃらくせぇ、黙れ!」
と言いたくなり、彼らが解説しているときは、音を消すか見ないようにしています。
好きな行事さんは木村庄太郎ですが、初場所から式守伊之助に昇格していました。十年ほど前か、相撲部屋を訪問するテレビ番組があって、そのとき部屋にいた洋服姿の粋な方が木村庄太郎でした。

滋賀県小畑人形の力士

ところで、一時(今でも?)相撲界の外国人力士いびりはひどいものでした。
とくに、相撲氷河期を一人で支えた白鵬への仕打ちはひどく、弟子が不祥事を起こしても注意だけですんだ相撲部屋(例えば賭博をした琴光喜を擁した佐渡ケ嶽武部屋)がほとんどなのに、親方に責任ありとして部屋を取りつぶしてしまうなんて、白鵬いびりとしか思えません。日本人ばかりひいきする解説者も大嫌いです。






2025年1月14日火曜日

風邪

夫が鼻風邪をひいています。
九州からたけちゃんが風邪を持って来て、私にうつって、それが夫にうつった、久しぶりの風邪です。鼻水が出て、のどがちょっと痛くて、熱はありません。


夫が風邪をひいてみて、軽い病気でもからきしだめになる体質だったのを思い出しました。
いつも、免疫力を弱めないために有酸素体操をして冷温浴をしていますが、どちらもやる元気がないと言って、体操はパス、お風呂は熱いのだけ入っています。風邪を引いたときこそ冷温浴をして免疫力を高めた方がいいのに、全然その気になりません。


そういえば、まだ冷温浴を知らなかった頃、同僚のSくんが、「風邪を引いたらお湯と水を用意して、交互に足を浸したらいいよ」と言っていましたが、それも血行を促す、冷温浴のミニ版ということなのでしょう。

しっかりうがいをして、はちみつを入れたホットしょうが・レモンジュースを飲んでいただきましょう。