西側に開けている我が家では、右に見える加波山から左に見える筑波山へと日々沈んでいく位置を変えていく落日のダイナミズムが、生活を彩ってくれています。
秋はとくに雲がさまざまな表情を見せるので、雲の姿とともに変化する夕焼けが楽しめます。
10月30日の夕焼け。
そして、11月2日の夕焼けでした。
左が筑波山、右が足尾山です。
庭の一部の陽の当たらない場所に苔が蔓延り、いっそ苔庭にしたいと思ったことがありました。ところが、その間から生えてくる草を抜こうとすると、苔はあっさりはがれてしまうのです。
それほどきれいに生やすのは難しいのに、苔は生えなくてもいいところにはあっという間に繁殖してしまいます。
「最近、気がついたんだけど、人間は人口を増やさないという本能があるんじゃないかな。だから弱者をどんどん殺すような状況がいろんなところに現れている。戦争もそうだけど、排外主義もそう。これから参政党が伸びてきたら、きっと外国人は日本に来なくなるだろうね。そうすれば医療の現場とか老人ホームとかで働く人がいなくなってどんどんつぶれて、結果、社会的弱者である老人とか病人が淘汰されていくだろう。『だれ一人取り残さない社会を』なんて、幻想だよ」
と、福岡からきて3、4日泊まっている長男が言います。
「う~ん、きみの分析はあっているかもしれないけれど、あまりそんなことは大っぴらに言わない方がいいと思う。弱者はどんどん死ぬだろうなんて過激すぎる」
| 渋柿が、今年はKさんちには1つも生ってないし、うちは2つだけ、直売者で買いました。 |
福岡県に住む長男が、10月29日と11月1日に東京で用事があるとのこと、飛行機代が節約できるからと、我が家に数泊して行くことになりました。
家を建設中のとき、ビニールハウスの仮設小屋に住んでいました。
外の音は筒抜け、鳥のさえずりがうるさいくらい、屋根にとまっている鳥のお腹を見上げることもよくありましたが、窓が二重サッシの母屋に移ってから、窓を閉め切っている秋から春にかけては、外の音は聞こえにくくなっています。
それでも虫の声も鳥の声も聞こえないわけではありません。春先は求愛の声がうるさいくらいだし、夜半にフクロウの声を聴くと、ほっとします。
そんなフクロウの人形、我が家には少しだけいます。
猫の食卓(右の奥)はちゃんとありますが、タマとマルがそこで食べることはありません。
生ごみ処理装置のキエーロの中がスイカ畑になってから、ときおりスイカの根を除けながら生ごみをキエーロに埋めていましたが面倒になり、最近は収集ごみに生ごみを混ぜていました。庭に埋めると、イノシシ、ハクビシンなどに掘り返される恐れがあるからです。
しかしそれでは何のためにキエーロを置いているのかということになるので、意を決してスイカと対決することにしました。
ナンバンアカアズキの種を入れたビンの蓋が長く開きませんでした。
ナンバンアカアズキとビンを比べると、ナンバンアカアズキの方により思い出があります。なんとかして種を取り出したいものだと思い、しばらく前にガスコンロを弱火にした上にビンをかざし、回しながら温めてみました。
居間の壁にいろいろな木の実を飾っていて、その下に歴代の犬猫の写真を飾っているのですが、そこにたくさんの粉が落ちているのを見つけました。
どれかが虫に喰われているのです。