2025年1月31日金曜日

Rちゃんのお土産

私たち夫婦が、それまでご縁のなかった八郷に居を定めることを決めたのは、友人Gさんの存在があったからでした。
Gさんとは同じ職場で働いた仲ですが、逗子出身のGさんが、農業をするために住む土地をいろいろさがしていたとき八郷に決めたのは、八郷に家のある大学時代の友人を訪ねて、八郷を知ったからでした。その友人のご両親とは、「やさと暮らしの実験室」の前身である「たまごの会」の設立にかかわり、50年前に東京から八郷に移り住んでいたG.Tさんでした。 

八郷の林を開拓していたGさんを初めて訪ねた当時、私はまだつくばに住んでいて、それから、東京、プノンペンと居を移し、まさか将来八郷に住むとは思っていませんでした。
ただそのときは、小高い山の中腹にあるG.Tさんの家から盆地を見下ろしながら、
「日本でこんな美しいところに住んでいる人たちがいるんだ!」
と驚いたものでした。

私たちが八郷に住むことを決め、何回か通って土地を見つけ、移って来てまもなく、Gさん夫妻に第一子のRちゃんが生まれました。私たちは放置された畑を開墾して家の建設に取り掛かり、コンクリート工事に5年かかり、木工事に3年、さらに作業棟などを立てている間に、赤ちゃんだったRちゃんは幼稚園に入園、小学校、中学校、高校と進学しました。夫はRちゃんの成長に自分たちの家の建設の進捗状況を重ねて見ているようなところがありました。


やがてRちゃんは筑波大学に入学、学部を卒業後は大学院に進み、昨年はタイのコンケン大学に4ヵ月の短期留学をして先日帰ってきました。
バンコクにある大学ではなく、東北部のコンケン大学に行くとは、さすがGさんの娘です。コンケンでは、もと同僚であったソンバット+ようこさんの農場にも滞在してきたようでした。


そのRちゃんのタイ土産です。
バラの花茶、ココナツ味のパイナップルをはさんだビスケット、ドライマンゴーです。


ココナツ風味のパイナップル餡のビスケット、日本にはない味で美味でした。


バラの花茶は、甘くて赤いお茶を想像しましたが、ウーロン茶にバラの花びらをちょっぴり加えたもので、ほぼウーロン茶でした。タイ人ならお砂糖を加えて飲むに違いありません。
ドライマンゴーもすぐお腹に収まってしまいました。
懐かしいタイが届いた日でした。






2025年1月30日木曜日

働き者の災難

息子の勧めで買ったロボット式掃除機は、あの有名ブランドのものではなく、名もない(?)メーカーのものです。
毎朝8時になると、勝手に出動、1時間ちょっと動き回って掃除をして勝手に充電ステーションに帰ります。


乾燥のためドアを開けっぱなしにしてあるお風呂場に、高い確率で落ちたので、脱衣所の入り口には、とりあえずと思っておいたビニール袋に入れた黒電話が長く居座っていましたが、今はアフリカの椅子を置いています。
また、ときおり変な音を出すので駆けつけてみると、電気のコードに絡まったり、立てかけてあるお盆を倒して、それを自分の上に帽子のようにかぶせて、いかにも困ったように動いたりしています。


ある日、変な音を立てているので見ると、床に置いていた籠からちょっとのぞいていたのか、織物用の糸の端を引っかけて、めちゃくちゃ絡まっていました。


糸を切らないで取れるのかしら? 下の青い枠の中のロールに絡まった糸は、ロールを取り外して簡単に取れましたが、左の車輪は取り外しはできません。


糸を切らざるを得ないかと思いながら、少しずつ引っ張って取り外します。


おお、糸を切ることなく、外すことができました。


毎朝、
「予約された掃除を開始します」
と元気よく発声して、掃除機が出動するとき、電気コードは大丈夫だったか、床に何か置いていなかったかと一応気にはしているのですが、ときおり思いがけないことをやってくれます。





 

2025年1月29日水曜日

蓮のお雛さま

月に一度、みわさんの豚肉を買っています。


毎回、ひき肉が1包み、塊肉が2包みで、今月の塊肉はロースとバラ肉でした。有機飼料で丹精込めて育てた豚は何が違うか? おいしさが違うのですが、とくに脂身のおいしさがまったく違います。 
昨日肉を買いに行くと、みわ夫人に、
「時間がある?」
と、たずねられました。
「はい、あるけど」
「ちょっとお雛さまを見て行って!」
みわ夫人のお母上は茨城県の美浦の方に住んでいらっしゃいます。昨年も2日ほど、蓮の果托など自然素材を使ってつくった人形の展示会を美浦でなさったのですが、ちょっと遠いし、週末だったので先約が入っていたことなどから、拝見しに行くことはできませんでした。
そんな人が私だけではなかったのか、八郷の人にも見て欲しいと、今年はみわさんの家にお雛さまを飾ってありました。


お雛さまは何組もありました。

習っていた時につくった人形

お母上はかつて自然素材を使った人形づくりを学ばれ、その技を生かしてお雛さまがつくれないかと、お雛さまづくりは独自にはじめられたのだそうです。


身体はどれも蓮の果托でできています。五人囃子の被りものは葱の葉先だとか、顔や髪の毛はトウモロコシの皮、着物は押し花にしたアジサイやシダなどを薄い和紙に貼ったもの、袖裏の赤いところは、赤葱を乾燥させたものを貼っています。


ペタッと広がったような形のお内裏さまの蓮の果托の直径はとても大きかったので、底を見せていただきました。蓮の果托を広げて、隙間にヒノキの実などを詰めてありました。


草や野菜の種、茎をスライスしたものなどをちりばめた五人囃子の豪華な衣装も、写真に撮らせてもらったのに残念ながらピンボケだったので、右端にちょっとだけ写っている写真を載せてみました。


これは別の段飾りの立ち雛のお内裏さま、身体は蓮の果托を重ねてつくってあります。
着物はカラムシの葉を貼ってつくってあり、男雛の袖下には山芋の花殻を連ねています。


三人官女のカラムシの葉の着物の美しいこと!


三人官女の底はこんな風になっていて、袴はトウモロコシの皮です。
この雛壇は広縁を背にしていて、逆光で光の当たり方がまばらだったので、全体の写真は撮れませんでした。


小さい段飾りです。雛壇などの小道具は、亡くなられたお父上がつくられたそうです。
そして、右近の橘や左近の桜は蚕の繭細工です。


桃や菜の花、つるし雛も繭細工で、すべてお手製です。


小さなお雛さまは、蓮の果托を逆さに置いて茎をそのまま顔に見立てています。花の台として、コーヒー用クリームを入れたプラスティック容器が、開けるために突き出たところもそのままに、伏せて使っているのが、おかしいところです。


こちらのお雛さまも、蓮の果托の茎をお顔にしたもの、男雛と女雛で果托の形を見事に使い分けています。


つるし雛ですが、全部蓮の果托でできていて、笹の葉はつくりものです。
おやっ、真ん中に下げてあるのはモミジバフウの実です。


ちりめんが詰まった玉は、モミジバフウの棘をむしり取って、穴にちりめんを詰めたものだとか。
毎日、何を見ても人形づくりの材料として使えるかどうか考えているに違いない、楽しい生活が垣間見えるお雛さまたちでした。





2025年1月28日火曜日

横へ、横へ


八郷に来るまで、盆地の空気の流れを知りませんでした。
霧もそうですが、煙が横にたなびくのです。それも、とっても低いところを。


いったい気流はどうなっているのか? 以前パラグライダーを楽しむ人が、八郷は気流を読むのが面白いと言っていました。例えばトタン屋根を見つけてそこの上に行くと、そこだけ上昇気流があって、一気に高く飛んでいけるといったような。


そういえば、八郷で煙がまっすぐ上に登っているのは見たことがないような気がします。
横にたなびくのは知っていても何故かを考えなかったのですが、Kさんが教えてくれました。接地逆転層といい、上の空気が暖かいとこうなるのだそうです。
確かに、田んぼには霜が降りていて、地表に近いところの空気はキンキンに冷えています。




 

2025年1月27日月曜日

どうにもならないけれど

トランプ氏がアメリカ大統領に指名されて数ヵ月、世界中に向かってトランプの毒が吐かれてきましたが、大統領就任後、その毒がべっとりとさまざまな場所に住む人々にも降りかかってきています。
トランプは、アメリカの中南米からの移民を制限すること、イスラエルのガザ破壊問題や、ロシアのウクライナ侵攻問題に早期に決着をつけることなどを公約していましたが、就任後ただちに着手しました。

1月25日にトランプは、
「ガザにはおそらく150万人ほどの人々がいるが、我々はすべてを一掃する。何世紀にもわたって多くの紛争が起こってきた。何とかしなければならないが、今はすべてが破壊されて人々が死亡し、まさに解体現場のようだ」
と述べ、ガザにいるパレスチナ人を全部移住させるので受け入れるよう、ヨルダンとエジプトに要請しました。周辺国は激しく拒否しています。
何十年もガザの人々を天井のない檻に閉じ込め、人々から日常を奪った上、百歩譲ってハマスが武力で人質をとったのは悪かったとしても、そのあとの皆殺しにしてもいいとの考えの上に立った攻撃で4万人を超える人を殺したイスラエルはそのままにして、餓死するなど過酷な状況の中で命をつないできた人たちを、他国の大統領という分際でゴミのように一掃しようとするとは、信じられない暴挙です。


また、トランプは1月26日、米国内の不法移民を送還しようとした軍用機2機の着陸を拒否したとして、コロンビアに報復措置をとることを表明しました。
報復措置は、コロンビアから米国に輸出される製品に25%の緊急関税を課し、コロンビア政府当局者の入国を禁止するもので、これに従わなければ、さらに関税を引き上げると主張しています。


そして、モーニングヘラルドは、1月24日には都市部にいたアメリカ先住民であるナバホの人々が逮捕されていると伝えています。
彼らは先住民血統証明書(CIB)と州発行の身分証明書を提示したのですが、ICE(移民取締局)職員はこれらをアメリカ市民の証明として認めず、逮捕拘留されました。 たかだか250年しか北米大陸にいないトランプたちが、12000年もいた先住のナバホをいったいどこに追いやるというのでしょう? カナダ? トランプの出現で、これまで世界であいまいにされてきたことがすべてはっきりするのではないかと期待する向きもありますが、はたして多くの人々の血を流さずにそんなことができるでしょうか?


さて1月26日、日本の総理大臣の石破さんは大相撲の表彰式に臨み、小柄な呼び出しさんの手を借りたとはいえ、重さ40キロの総理大臣杯を持ちあげて、優勝した豊昇龍に手渡しました。
頑張ったね、石破さん。

2025年1月26日日曜日

謎の紙たち


先日スヴェープアスクを買ったとき、買い上げ明細書のほかに、段ボール箱に同封されていた紙の束がありました。
何の説明もなかったので、何だろう、間違えて入れたのかしらとそのままにしておいたのですが、片づけるために出して見てみました。


ちょっと固めの紙で、1枚の紙を3枚に分けられるものですが、5という数字がいっぱい書いてあって、何なのかさっぱりわかりません。
スタンプで番号をふってあるのですが、普通、下の桁が変化するものだと思われるのに、下の桁ではなく上の桁が変化しています。


これらも上と同じ、やはり上の桁が変化していますが、黄色い2枚はお互いに下の桁も番号違いになっています。


この小さな紙たちもさっぱりわかりませんが、真ん中の2枚の紙の数字はもしかして年月日でしょうか? とくに左が日づけっぽいのです。日づけだとすると、右は1947年、左は1948年1月で、日にちはわかりませんがとっても昔です。


このサインのある紙は、よく見ると英語で書かれていました。
サインの上は「1908年の3月21日」でしょうか? もしそうだとしたら、これもずいぶん昔にかかれたものです。
そうか!もしかして、スヴェープアスクの中に残されていた紙だったのかもしれません。もっとも、大江戸骨董市でこの箱を開けさせてもらったときは、中には何も入ってはいませんでしたが。


それにしても、5が並んでいる紙は何なのか、サインのある紙は何なのか、どうして鍵があるのか、何一つわかりません。
とりあえず、まとめてスヴェープアスクの中に入れておきました。解明できる日が来るとは思えませんが。





 

2025年1月25日土曜日

季節外れですが


季節外れですが、日本人のROMINOさん作のハロウィンのコスプレをした猫のマトリョーシカです。
ハロウィングッズが好きじゃない私ですが、この猫の可愛さには負けます。
木地はもちろんロシア製で、焼きごてで輪郭を描き、水彩絵の具で彩色してあります。



後ろ姿には墓場が描かれ、コウモリが飛んでいます。


3つ組ですが、ちょっと泣いてしまったような目をした小さい猫たちもかわいい。


2番目の猫の頭には蜘蛛の巣が張っています。









 

2025年1月24日金曜日

『ウンム・アーザルのキッチン』


月刊たくさんのふしぎの『ウンム・アーザルのキッチン』(菅瀬晶子文、平澤朋子絵、福音館、2024年6月号)はイスラエルの北部の都市ハイファに住む、アラブ人の女性マラケさんのお話です。
ウンム・アーザルとは、アーザルのお母さんという意味で、男子を産んだお母さんは皆、親からもらった名前の代わりにウンムを冠して呼ばれ、お父さんはアブーを冠して呼ばれます。例えばアーザルの父ならアブー・アーザルと呼ばれます。


イスラエルが武力でこの地を占領し建国した1948年に、ハイファは一つの激戦地となりました。この地にもともと住んでいたアラブ人たちの多くはヨルダンやレバノンに逃れたり、ヨルダン川西岸地区やガザに逃れましたが、イスラエル領内に留まった人々もいました。
留まったアラブ人たちは、田舎にも住んでいますが、ハイファ、ナザレなどの町にもイスラエル人として住んでいます。


ウンム・アーザルはもともと、ハイファから50キロほど北の村に生まれましたが、1954年、14歳のとき職を求めて移住を決めた父親とともに一家でハイファに移り住みました。


『ウンム・アーザルのキッチン』は、ウンム・アーザルの家に長期滞在させてもらった文化人類学者の菅瀬晶子さんが、お料理上手なウンム・アーザルの日常を淡々と描いた物語で、読みながら、パレスチナ人との違いにうらやましさでいっぱいになりました。
イスラエルはもちろんユダヤ教徒の国で、アラブ系のイスラム教徒やキリスト教徒(ウンム・アーザルはキリスト教徒)は少数派、経済的にも、日常生活でも生きにくいことも多々あると思われますが、やはりヨルダン川西岸やガザに住む人たちと違って、圧倒的な自由を手にしています。
移動の自由は素晴らしい、ウンム・アーザルの息子は、医学を学ぶためにウクライナに海外留学までしています。


ウンム・アーザルは、離れて住む子どもたちとも、簡単に会うことができます。
ところがヨルダン川西岸に住む人ときたら、隣町に行くにもイスラエルによるしつこくて長時間の検問があり、検問があっても通れればしめたもの、道路封鎖されてしまい長時間の迂回路を行かなくてはならないこともあります。私の知っている1990年代ですらそうだったので、たくさんの壁のつくられた今の不自由さは比べものにならないと思われます。そしてガザは皆殺しの危機にさらされています。学問の機会も閉ざされていることは言うまでもありません。


ウンム・アーザルは、働かない夫と4人の子どもたちを抱えて働きづめの人生でしたが、それでも平穏な日常があります。
もちろん私の方がウンム・アーザルよりずっと安全だし自由ですが、安全でない自由でないパレスチナ人たちのことを思わずにはいられませんでした。


ちなみに、ナザレの人口はほとんどがアラブ人ですが、ハイファの人口構成はユダヤ人73%、アラブ人21%、その他が6%です(24年5月現在)。

パレスチナにもキリスト教徒は一定数いますが、イスラム教徒と仲良く暮らしています。そして、レバノンはキリスト教徒の多い国、イスラムシーア派3割、イスラムスンニー派3割、そしてキリスト教徒が4割ほどいます。