2025年1月24日金曜日

『ウンム・アーザルのキッチン』


月刊たくさんのふしぎの『ウンム・アーザルのキッチン』(菅瀬晶子文、平澤朋子絵、福音館、2024年6月号)はイスラエルの北部の都市ハイファに住む、アラブ人の女性マラケさんのお話です。
ウンム・アーザルとは、アーザルのお母さんという意味で、男子を産んだお母さんは皆、親からもらった名前の代わりにウンムを冠して呼ばれ、お父さんはアブーを冠して呼ばれます。例えばアーザルの父ならアブー・アーザルと呼ばれます。


イスラエルが武力でこの地を占領し建国した1948年に、ハイファは一つの激戦地となりました。この地にもともと住んでいたアラブ人たちの多くはヨルダンやレバノンに逃れたり、ヨルダン川西岸地区やガザに逃れましたが、イスラエル領内に留まった人々もいました。
留まったアラブ人たちは、田舎にも住んでいますが、ハイファ、ナザレなどの町にもイスラエル人として住んでいます。


ウンム・アーザルはもともと、ハイファから50キロほど北の村に生まれましたが、1954年、14歳のとき職を求めて移住を決めた父親とともに一家でハイファに移り住みました。


『ウンム・アーザルのキッチン』は、ウンム・アーザルの家に長期滞在させてもらった文化人類学者の菅瀬晶子さんが、お料理上手なウンム・アーザルの日常を淡々と描いた物語で、読みながら、パレスチナ人との違いにうらやましさでいっぱいになりました。
イスラエルはもちろんユダヤ教徒の国で、アラブ系のイスラム教徒やキリスト教徒(ウンム・アーザルはキリスト教徒)は少数派、経済的にも、日常生活でも生きにくいことも多々あると思われますが、やはりヨルダン川西岸やガザに住む人たちと違って、圧倒的な自由を手にしています。
移動の自由は素晴らしい、ウンム・アーザルの息子は、医学を学ぶためにウクライナに海外留学までしています。


ウンム・アーザルは、離れて住む子どもたちとも、簡単に会うことができます。
ところがヨルダン川西岸に住む人ときたら、隣町に行くにもイスラエルによるしつこくて長時間の検問があり、検問があっても通れればしめたもの、道路封鎖されてしまい長時間の迂回路を行かなくてはならないこともあります。私の知っている1990年代ですらそうだったので、たくさんの壁のつくられた今の不自由さは比べものにならないと思われます。そしてガザは皆殺しの危機にさらされています。学問の機会も閉ざされていることは言うまでもありません。


ウンム・アーザルは、働かない夫と4人の子どもたちを抱えて働きづめの人生でしたが、それでも平穏な日常があります。
もちろん私の方がウンム・アーザルよりずっと安全だし自由ですが、安全でない自由でないパレスチナ人たちのことを思わずにはいられませんでした。


ちなみに、ナザレの人口はほとんどがアラブ人ですが、ハイファの人口構成はユダヤ人73%、アラブ人21%、その他が6%です(24年5月現在)。

パレスチナにもキリスト教徒は一定数いますが、イスラム教徒と仲良く暮らしています。そして、レバノンはキリスト教徒の多い国、イスラムシーア派3割、イスラムスンニー派3割、そしてキリスト教徒が4割ほどいます。





 

0 件のコメント: