hiyocoさんが『スパイスの人類史』(アンドリュー・ドルビー著、樋口幸子訳、原書房、2004年)という本を借りて読んでいると「えのしま貝散歩」に書いてあったのはいつごろのことだったか、私も読んでみようとネットで探しても新本はなく、古本はとても高かったので、図書館で借りて読むことにしました。
お隣の笠間市の図書館にあることはわかったのですが、なかなか笠間まで行けません。では八郷の図書館で取り寄せてもらえるかどうか訊いてみようと思ってからも数日(数週?)経ち、やっとのことで八郷の図書館に行って、笠間図書館から取り寄せてもらうことにしたのは2024年の暮れのことでした。
そして、お正月あけに、届いたとの知らせをもらって取りに行きました。
本にはビニールのカバーがかけてあり、
「他市から借りたものなので、絶対にカバーを外さないでください」
と念を押されました、
自治体を超えての貸し借りは、自治体内での貸し借りより手間のかかるもの、厳重に袋に入れて貸していただきました。
私はもともと、図書館から本を借りて読むのが苦手です。早く読んで返さなくてはと強迫観念に囚われて、読みにくくなるのですが、期限は2週間あり、なんとか読み終えました。
さて、著者のアンドリュー・ドルビーさんは食べものに強く関心を持った言語学者だとか、オーストロネシア語族の人とスパイス貿易に注目している視点がおもしろく、一気に引き込まれました。
かつて、マレー・ポリネシア語族と呼ばれていた人たちが、台湾の先住民もその仲間であることが明らかになり、オーストロネシア語族と命名されたのは、そう古いことではありません。
1985年に京都大学で「マレー世界のなりたち」という2週間にわたる東南アジアセミナーがあったのですが、このときは台湾からマダガスカルの島々に住む人を、「マレー」と呼んでいました。そのマレーがまさしくオーストロネシア語族でしたが、このセミナーでは南のイースター島などは含んでいなかったので、「マレー世界」と呼んだのかもしれません。各民族グループの研究者や東南アジアを俯瞰する研究者が日替わりの講師で、とても興味深いセミナーでした。
オーストロネシア人は、紀元前4000年、今から6000年前に、中国南東部の海岸地方から移動を開始し、数千年をかけてマレー群島を経て南へそして西へと広がっていきました。南北で8000キロメートル、東西で10500キロメートルに及ぶ地域で話される言語は多様ですが、一つの言語を先祖としていると考えられ、「オーストロネシア祖語」と呼ばれています。
その彼らが紀元前からスパイスの取引をしていて、それが今日の貿易網につながっているとは、まさに壮大なストーリーです。
言語学者は、言語の共通点や相違点からその関係性を構築します。しかし、言葉は生きもの、日に日に変化しているし、個人が一生のうちに習得できる言語には限りもあります。他の人の研究とも併せて考えるにしても、大変な作業だと思われます。
『スパイスの人類史』は原書では『Dangerous Tastes The Story of Spices』という題名です。「危険な味」ではなく、「圧倒的な力を持つ味」という意味だと思われますが、絹や貴金属ではなく、地球上の交易貿易の路をまず開いたのが、(食料であり医薬である)スパイスであったというのは、とても興味深いことでした。
6 件のコメント:
おはようございます。
なるほど、オーストロネシア語族の人達は大陸にはほとんど住んでいないんですね。
もしかしたら争いを好まない平和主義者だからかも。
ちなみにタレントのビビアン・スーさんのお母さんは台湾の先住民、タイヤル族の人だそうです。
かねぽんさん
大陸には確かにあまり住んではいませんが、カンボジアやヴェトナムに住むチャムの人たちはオーストロネシア語族ですね。
平和主義者と言うより、自由が好きだったのでしょうね。
平和主義者かどうかといえば、いろいろで、たとえばボルネオ島では同じダヤック(先住マレー)でもイバンが海沿いに住んで、カヤンがもっと川をさかのぼったところに住み、深い森の中には隠れるようにプナンが住んでいたといった分布が見られました。イバンは血の気も多く戦いも得意だった、カヤンはそれよりおとなしく、プナンは争いが嫌で森深くに住んでいたと言われたりしています。イバンは交易もするけれど海賊になったりもしていましたが、別の見方をすればプナンもそれによって外敵から守られていたとも言えて、面白いですね。
すごい!もう読み終わったのですね。私は結局読み終わることなく、昨日が期限で返却しました(苦笑)。あと4分の1ぐらいでしたが。とても読みやすいのにね~。どれだけみんながスパイスに対して貪欲だったか驚くばかりでした。オーストロネシア語族についてもご存じだったのですね!この本を紹介できてよかったです。
hiyocoさん
早く返さなくちゃ、早く返さなくちゃと焦って、まだ猶予があったのに返却して、ああ、すっきりした! こんなことですっきりしていてはだめですね(笑)。
ショウガがとても古いスパイスだというのは知りませんでした。胡椒を求めてというのは有名な話ですが、ショウガはそれよりずっと古いのですね。
スパイスは乾燥したもの、ハーブは生のもの。これを読んでから結構間違えている(混同している)のをあちこちに見つけてイライラしています(笑)。
カンボジアの切手興味深く拝見しました。1961-1962にかけて4ヶ月いました。王宮を訪ね、シアヌーク国王ともお目にかかりました。水の祭典も見学、青春を満喫しました。
匿名さん
コメントありがとうございました。1961年と言えば、まだ海外渡航が制限されていたころ、プノンペンはとても華やかだったと聞いています。私は新嘗祭に招待されただけですが、シハヌーク国王にはお目にかかったことがあります。新嘗祭の行列でおどけて踊りながら来場されました。
私のアパートは芸術大学の隣、大学の向こうは王宮でフンセン首相が王宮を訪れるときはヘリコプターだったので、何度かヘリコプターの条項を目撃したりしました。のんびりした時代でしたね。
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