2025年12月3日水曜日

閉じ込められた思い出

昨日は、あるラジオの番組で「出られない、入れない」というお題で、聴者の声を集めていました。
私はラジオに自分の声を送ったりすることのない、いわゆるサイレントリスナーですが、毎日のように耳にするいろいろなテーマに、自分ならどんな経験があったかなと、考えたりすることはあります。「出られない、入れない」では、鍵を忘れたなどありきたりの経験はありますが、特筆するような経験はないなと聴いていたら、記憶の底から突然一つのことが浮かび上がってきました。

あれは、11、12歳のときのことではなかったかしら、デパートか何かのお手洗いで、8歳下の従妹が個室に入ったまま、鍵が開けられなくなって出られなくなったのです。従妹はおそらく泣いていて、周りにいた知らない大人たちはざわざわしていました。その場にほかの従妹もいた気がしますが、なぜか一緒に行ったであろう叔母や祖母の姿はありませんでした。その場所がデパートではなかったかと思うのは、お手洗いの個室が複数並んでいて、その当時行ったことのあるそんな場所はデパートしかなかったからです。

昭和30年代の岡山の天満屋デパート。屋上の観覧車の絵ハガキからお借りしました

当時の(今も?)、デパートのお手洗いは仕切りも扉も天井まで届いてなくて、個室の上は開いていました。私はどうやって登ったのかおそらくドアノブに足を掛けたりしてよじ登り、扉を乗り超えて個室の内側に降り立ち、無事に従妹を救出することができました。周りの大人たちもほっとした様子でした。

思いがけず変なことを思い出したなぁと思っていたら、閉じ込められた思い出をもう一つ思い出しました。

ラマッラの街

私の働いていたNGOは、パレスチナでの事務所兼宿舎として、ヨルダン川西岸のラマッラでアパートを借りていました。私はパレスチナに常駐しているわけではなく、東京でパレスチナの担当をしていて、年に2回ほど訪ねるだけでしたが、そのアパートのエレベーター内に閉じ込められたことがあったのです。
小さいアパートは4、5階建て(6、7階建て?)で、途中に踊り場のある階段があり、その踊り場にエレベーターの出入り口がありました。アパートの入り口を入り、階段を半分上がったところにエレベーターの最下階があって、例えば5階に行きたいときは、4階と5階の間の踊り場で降りて、階段を半分上ると部屋の入り口にたどり着くという仕組みです。4階の人は同じところから階段を半分降ります。エレベーターはスピードも遅くて、なんとなく頼りない感じでしたが、まさか途中で突然止まってしまうとはびっくりでした。

エレベーターでほかの住人と一緒になったことはなく、このときも一人、携帯電話のない時代のことで、電気も消えてしまいましたが不思議と慌てなかったのを覚えています。いつか動くだろう、誰かが気づいてくれるかもしれないと待っていたら、2、30分後に突然明かりがつき、エレベーターは動いて、無事外に出ることができました。その間、人の声も聞こえず、気配さえまったくありませんでした。
めでたし、めでたしでした。






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