2013年10月20日日曜日

鹿児島神宮の香筥


鹿児島神宮の授与品の中で、好きだった香筥がなくなってしまったのを残念に思っていたら、ヤフーオークションに出品されていて、嬉しいことに落札することができました。
鹿児島神宮の授与品を語るなら、やはりこれなしでは寂しい気がします。


これこれ。
形も色も手触りも、申し分ありません。しかし、どうしてこんなものがなくなってしまったんでしょう?
 

答えはつくり方にあったようでした。
割いた木を、和紙で留めつけています。これが、湿気の多い地下室に段ボール箱に入れて保管しておいたときに、はがれてばらばらになったに違いありません。あのときは前の家を引き払って、小さな仮小屋に住んでいて、荷物たちを他にしまうところがなかったのですから、しかたありません。
そして、段ボール箱を開いた時も、やることはたくさんあって、直す暇もないと、処分してしまったものと思われます。

これは昭和60年製ですが、私が持っていたのは、それよりふた昔も古いもの。でもたぶん大きさと言い色と言い、まったく同じです。もっとも、私の箱は陽にもさらされて、もっと色褪せていました。


香筥には、笛太鼓のおまけがついていました。鹿児島神宮の授与品の、土鈴や鳩笛をすっかり忘れていたように、この笛太鼓のこともすっかり忘れていました。これも、遠い昔には持っていたのです。
それにしても、鹿児島神宮の授与品の、なんと多彩なことでしょう。しかも、どれも味があります。


笛太鼓は破れていたので、はがして裏から和紙を貼り、簡単に修理してみました。でも、紙の周囲は劣化していて、さわるだけで粉になって落ちてきます。そう長くは持たないかもしれません。

太鼓の部分は竹を六角に削ったもの、それに通した細い竹の持ち手は笛になっています。紙がボロボロなので、中にあずきを一粒入れて貼り直しましたが、あまりがらがら鳴らして遊ばない方がよさそうでした。


さて、オークションの鹿児島神宮の香筥は単独ではなく、人吉の花手箱とセットでした。
 

花手箱は持っていますが、ずいぶん前に、やはり湿気させて、色落ちしました。

その時々によって、やむを得ない状況があったり、ものたちを守ろうとする熱意に温度差があったことは否めません。仕事一筋の時もあったし、引っ越しに次ぐ引っ越し、保管に次ぐ保管のときもあったし、置いて行ったところが長い間締め切っているため湿気たり、雨漏りがしていたりと、いろいろありました。


傷んだ花手箱は、私が油絵具で塗り直しています。しかも、修理途中なのに、しべを描くころには飽きてしまったのか描いてなくて、まったく別ものに変身しています。やれやれ。
でも箱自体はしっかりしています。


かつて、銀座に行くたびに熊本の物産館に寄り、何度も新しい花手箱を買おうかどうしようか、迷った時期がありました。1990年代だったでしょうか。とうとう買わなかったのは、新しいものはてかてか光っていて、なかなか買う気にはなれなかったからでした。もしかしたら昔のものと塗料が違っているのかもしれません。
そして、今頃になって、ご縁あってしっとりした花手箱に出逢いました。これまで持っていたものと、ほぼ同じ大きさで、背だけがちょっと高いものです。
底にラベルが残っていて昭和48年製、私はラベルはすぐ剥がし、包み箱もすぐ捨ててしまいますが、ラベルが残っているのも、わかりやすくていいものです。

この箱たちの出品者は、気前のいい方でした。おまけの笛太鼓は、
「いりますか?」
と聞かれていただいたもののですが、荷物が届いてみたらさらに、包み箱に入った真新しい宮崎県のうずら車がおまけで入っていました。


ネットで調べると、これはもっとも一般的な日向のうずら車のようです。


そこで、私が前から持っているうずら車と比べてみました。手持ちのうずら車は、一つは頭が「けずりかけ」になっていて、一つはまったく彩色されていないものです。
車輪が、皮をはいでいない枝でできているところも違うと言えば違います。


いただいたうずら車、箱に入れておけば色は保てるのですが、それではせっかく我が家に来た意味がありません。
というわけで、棚の鳥たちに少しずつ詰めてもらって、うずらのつがいも、仲良く棚に並ぶことになりました。


2 件のコメント:

topcat さんのコメント...

これ鶉だったのですね!僕もきりぎりす程の大きさのをツインで持っているのですが、これがなんの鳥だか知らずにいました。ニス塗りされていて、日向という焼印まで入ってるのがお土産臭くて少し興醒めですが、ちいちゃい物好きの偏見的酌量で未だに本棚の片隅に住まわせています。木地そのままの古いものは素敵ですね。

さんのコメント...

topcatさん
そんなに小さな鶉車もあったんですね。九州は木を削った鳥の宝庫ですが、ほとんど雉子車です。もともとは父が子に、それが農家や下駄屋さんの副業としてつくられるようになり、各地に広まったようです。
どうして、日向だけで鶉車がつくられるようになったのでしょうか?材料は朴や杉や桐です。最初は真っ白ですが、年月がたつと、色が濃くなってしまいます。子どもがよく遊ぶと、もっと素敵な色になるのでしょうね。
私も小さいものが大好きです♪