でも、暖かくなって、最近籠にはあまり入ってないので片づけてしまおうとして、ふと籠を並べて見ると、そっくりと思っていたのに、ずいぶん違っていました。
いずれも、フィリピンのルソン島北部の四角い籠です。
手前は30年も前に友人からもらったもの、奥のは、2002年にバギオ近郊の村を訪ねたとき、泊めていただいた家の近くの、籠をつくって売っているおじさんから買ったものです。
古い方は一つ飛ばしの網代編みで、縁にまわした太いラタンを、ラタンの紐で綴じて留めてあります(上部中央)。
一方、籠売りのおじさんの籠は、二つ飛ばしの網代編みで、縁に添えたラタンは、両端を斜めに削って留めてあります。
接着剤は使ってないと思うので、どんな仕掛けで収まっているのか不明です。
この籠は、留めたところが壊れていませんが、
もう一つ、おじさんが使っていたのをいただいてしまった丸い籠は、合わせたところが跳ねてしまいました。
もちろん、いただいた時はこんなになっていませんでした。
古い籠を横から見ると、縁に添えたラタンより細いラタンで編み終わりの始末をしています。
底に回したへぎ板に「M」と書いてあるのは、隣近所みんな似た籠をつくって使っているので、自分のものであることを見分けるためにつけた印だと思います。
それに対して、おじさんの籠は、縁より太いラタンで編み終わりを抑え、底はラタンで補強してあります。
古い籠の方は、かまどの上で長く燻されて、ラタンの紐の裏が黒くなっています。ところどころに虫食い穴が開いていましたから、重点的に燻されたのかもしれません。
それに比べると、おじさんの籠は新品で、左の丸い籠もそう長くは使っていなかったのか、ほとんど色がついていません。
しばらく前までは北ルソンの男性なら誰でもつくれた籠ですが、上手な人だけが籠師さんとして残っていくのかもしれません。
6 件のコメント:
どこの国も素晴らしい暖かみのある竹製品ですね、
愚問ですが
竹の子も日常食べているのですか。
昭ちゃん
ルソン島には竹籠もありますが、これはオールラタン(とう)の籠です。フィリピンは籠の材料が豊富、場所に寄って、草、パンダナス(タコの木)、ラフィアなどなど、いろいろなもので籠をつくっています。このラタンで籠をつくる人たちも、家には竹を使っていました。
竹の子、愚問ではありません。フィリピンではどうでしょう?フィリピンで竹の子料理を食べたことはありませんが、きっとあると思います。タイで竹の子をよく食べるのは北部と東北部、ラオスはどっこも、カンボジア、ヴェトナムでも食べています。
その昔、ラオスがアメリカの介入で内戦になって難民が出たとき、タイ国境で仮収容所に入れられている難民の聞き取り調査をしている人にくっついて行ったとき、難民の家族たちは、何週間も山に潜んで、毎日竹の子ばかり食べていたと話していました。きっと生か、茹でて味もなく食べていたのでしょう。
普通ラオスやタイでは、千切りにした竹の子の辛いのを食べます。家庭ではただ茹でて、トウガラシとナンプラーを混ぜたたれをつけて食べたりします。
竹は塩水を嫌いますので、あまり入り江が入り組んだ地域では生えていません。
春さんのお話は実体験だからどこをとっても凄いです。
われわれ世代は同窓会でも二次会になると必ず軍隊当時の話になります。
ルソン島北部カガヤン州での戦闘話に泣いたことを思い出しました。
私の体験など内地ですからね。
「短絡話で」
フィリピンを抑えればマニラ麻のないアメリカは困るとか、
日本の生糸が行かないから困るとか、
もうナイロンがありましたからねー
こんな話でごめんなさい。
昭ちゃん
かつて、南方の島で日本兵がたくさん餓死しました。何が食べられて何が食べられないか知らない人が多かったのでしょう。タイの学生運動弾圧で森に潜んだ人たちの中の食料調達係になった人たちは植物のことを熟知していました。そんな人と森へ行くと、「これは食べられる、これは食べられない」とうるさいくらいです(笑)。ただの森に見えて、その実森は食料の宝庫です。
北ルソンの四角い籠のへぎ板は籐ですか。別の材ですか。教えてください。
織野英史さん
コメントありがとうございます。
つらつらと見たのですが、特定することは難しいです。バルサみたいな柔らかい木にも見えますが、切り口を見ると粗くてヤシ類、太いラタンを裂いたものにも見えます。
また、縁に当ててある丸い材料はラタンと書きましたが、縁とへぎ板の内側に当てているのは、節から見てラタンではなくヨシの一種ではないかと思いました。
こちらの籠(http://koharu2009.blogspot.com/2011/05/blog-post_07.html)のへぎ板は、紛れもなく木を使っていますが何の木か特定はできません。
というわけで、あまりお役に立てませんでしたが。
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