茨城県立歴史館の庭には、八角尖塔のある、旧水海道小学校本館(明治14年(1881))が移築されています。
中に入ると、教室には懐かしい机が置いてあります。
昭和20年代 |
昭和20年代は、脱脂粉乳と一品だけ、コッペパンはなかったのでしょうか?
昭和30年代 |
まあ、30年代と言っても、初期と末期では違うと思いますが、まだ、脱脂粉乳を飲んでいたでしょうか?
妹たちが脱脂粉乳を飲んでいた話は、聞いたことがありません。
昭和50年代 |
「水海道では、こんなおいしそうな給食を食べていたんだ!」
と思わず写真を撮ってしまったのですが、よくよく考えてみると、息子たちの時代ですから、おいしそうなのも当然でした。
6 件のコメント:
春姐さんなつかしいなー
蓋の裏の左右についている木は
粘土細工のとき裏蓋を使用するので押さえですね。
右端には習字用の硯入れの引き出しが、、、。
昭ちゃん
えぇぇっ、左右の木は蓋が動かないためのものではないですか?笑。
粘土細工なんてしました?油粘土ですか?あんまりした覚えがありません。習字道具はどうだったかしら?私のころからもう、習字セットを入れるバッグがあったような気が...。習字はいつも、理科室でやりました。広い流しがあったからかしら。もっと心を込めて書けばよかった、適当に時間をつぶしてしまいました(笑)。
姐さん知らなくて当たり前ですよ、
裏返しでハンカチを敷き泥粘土です。
作るものは殆ど動物で竹ヘラがニ、三種類ありました。
習字は新聞紙を和紙の大きさに数枚用意し本番は学校の和紙
時間前に墨をすりました。
墨汁はなかったです摺り過ぎると濃くなって、、、
姿勢はやかましかったなー
昭ちゃん
あらぁ、そうだったんですか。でも、泥粘土で動物をつくるって素敵ですね。学校の授業とは思えない、できた動物を並べているところが見えるようです。
習字は全国の検定みたいなのがありました。学校で参加していたのでしょうか?何級だったかやっと通ると低い級なので、米粒みたいに名前が、細い本に載っていたりして(笑)。理科室の汚さや寒さ、たくさんの男の子たちの白いシャツについていた、洗っても落ちない墨の色など思い出します。
今の給食ってかなり手作りでびっくりします。スープは鳥ガラから、春巻きはみんなで手巻き。冷凍を温めるだけだと思っていたら違うそうです。給食センターから運ばれ温め直された給食が嫌いだった夫は、今だったらそんなに苦痛じゃなかったかも。その経験からか機内食は一切食べません。
hiyocoさん
器の問題もありますよね。木曽の学校では特産の漆器の器を使っていたり、ほかにも素敵な木の器を使っている学校もあるようですが、アルマイト、メラミン樹脂などではおいしさ半減です。
それでも、今は給食が好きな子が多いようですね。家で十分食べていない子もいるとか、それも困ったものです。
私も小学生のころ、給食室の前を通っただけで、食欲を失っていました。脱脂粉乳もコッペパンもおかずも、ひどい味でした(笑)。
機内食?だんなさんは乗らないかもしれないけれど、エァ・インディアの機内食はおいしいですよ(^^♪
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