生涯の友だった、川崎毅さんが亡くなられました。
お連れ合いの頌子さんに掛ける言葉もありませんが、慰めに出かけました。
直前までお元気だったので、仕事場にはたくさんの素焼きされてない作品が並んでいました。
糞のように見えるのは、針金を使って木として立つものです。
こんな感じです。
丁寧につくられたかわいいものたち。
頌子さんは、
「私でも素焼きはできるけれど、釉を掛けるのは、塩梅が難しいの」
と言います。
白い釉を、この魚のように薄く掛けるのですが、頭の方から掛けるのと尻尾の方から掛けるのでは、まったく違う印象になるらしい。本人だけができる技だったのです。
なかには、出来上がった作品もあり、釉は掛けたものの絵つけをしてない作品もありました。
食卓に置いてあったこの大鉢は、ファンだったご夫婦の方から、
「大好きで愛用していたけれど、私たちは年取ったので、今後どうなるかわからないのでお返ししたい」
と、最近返されたというもので、川崎キャラクターが総出演しています。
食卓の上には、直径30センチ以上ある、半球の大作も置いてありました。
頌子さんは、特に気に入った作品だけは手元に置きたいと、彼に申し出でてもいつも渋られるので、これは展覧会の初日に駆けつけて、大枚はたいて自分で買って、仕舞っておいたものだそうです。
私たちに見せたいと出しておいてくれていました。
存在感のある、どこかの美術館に収まって、大勢の方に見ていただきたい大作です。
いつもの素敵な階段が、地下深くに誘っています。
以前は、我が家と川崎家は家が近かったので、頻繁に行き来していました。
ところが私たちが東京の郊外を離れてからなかなか行けなくなり、訪問したのは30年ぶりくらいでしょうか。
家は自力建設したもので、増築もしたけれど、ほぼ昔の雰囲気を残したままです
壁には子どもたちが遊んだ三輪車が飾ってありました。
川崎さんと一緒に移っている写真があるので探してみたのですが、どこへしまったか目当ての写真は出てこなくて、こんな写真が出てきました。左の男性が川崎さん、右のしゃがんでいるのが私です。場所は鹿児島県の最南端の鰻池で、大勢で夏いっぱい楽しく過ごしたときの写真です。
頌子さんとの写真もありました。左が頌子さん、右が私です。
これは有田か唐津の窯元さんを訪ねた時の写真です。
2010年ごろからの、川崎毅さんの展覧会の案内状です。
一番最近のは昨年の10月、その時はもちろんお元気だったのですが。
慰めに行ったのに、お土産をいただいてしまいました。
2 件のコメント:
寂しいですね。これほど沢山作りかけのものがあると、ひょっこり戻ってきそうな気がしますね。
hiyocoさん
人は誰でも死んでしまうもの、でも寂しいです。
先日は、残されたものに私が針金をつけなくてはならなくて、「すごいめんどくさい。やりたくない。やめてくれぇ!」と焦る夢を見て目が覚めました(笑)。親の夢とかもほとんど見ないのに。
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