先日、川崎毅さんの写真を探そうとアルバムやら箱やらを引っ張り出していたとき、さっちゃんの写真が出てきました。
東北地方に一度、石川、京都、岡山に一度、たった二度しか一緒に旅をしたことがなかったのですが、それぞれ2週間ずつ一緒に過ごし、郷土玩具に魅せられていたさっちゃんに連れられておもちゃをつくっている人を訪ね、影響を受けて郷土玩具好きになるには十分な長さでした。
これは京都郊外、大原だと思います。
牛との2ショットを撮ったのですが、当時は何とも思わなかった背景がすごい!美しい茅葺き屋根です。
やすこさんが撮った、さっちゃんの写真を撮っている私の姿も残っています。
大学1年生の春休みでした。
もともと留年して上の学年から落ちてきて、しかもあまり学校に出てこなかったさっちゃんでしたが、2年生になるとまったく出てこなくなくなりました。
しばらくして、学校はやめてスイスに渡ったと聞きました。
当時は自由に外国に行くことができない時代、日本は貧しくて欧米の物価水準とは大きく違うし、1ドルは360円だし、両替して海外に持ち出せるお金は500ドルまでと決まっていたし、さっちゃんがどうして日本を出ることができたかは謎でした。
さっちゃんにはスイス人の留学生のボーイフレンドがいたのですが、ボーイフレンドはただの、海外に出るための踏み台だったと噂する人もいました。
以後、さっちゃんに会ったことはないし、噂も聞かないし、さっちゃんがどうなったかは謎のままです。
この時買った藁の椅子や嵯峨人形、今でも持っています。
2 件のコメント:
さっちゃん、当時からこんなに翔んだ方がいたのですね。お会いしたことは無いですが、その後の人生に興味が湧きます。
2013年に未だあった「井浦人形店」は現存するのでしょうか。
京都は変わったと嘆かれていた2013年から更に10年後の現在、面影すら探せないかもしれません。
reiさん
井浦人形店、今でもありましたよ!(https://rurubu.jp/andmore/spot/80027277)なんだか嬉しいですね。
さっちゃんは、本当に飛んでいました。旅先では私同様、質素でつつましかったけれど、いつもはボーイフレンドと校庭を、肩で風切って歩いていました!
そして、この写真を撮った旅が終わって以来、一度も会うことがなかった、ミステリアスな人でした。
さっちゃんは黙っていなくなりましたが、当時海外に幸運にも行けた人は、旅客船か貨物船で行きました。横浜の桟橋で紙テープを握って、泣きの涙(出発する方が)で別れた人たち(2人だけ)には、その後一度も会っていません。
人生、いろいろです。
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