2023年6月11日日曜日

『住宅の居心地』


先日我が家にいらした建築家の堀越英嗣さんから、共著の『断面パースで読む、住宅の居心地』(山本圭介、堀越英嗣、堀啓二著、彰国社、2010年)をいただきました。
建築雑誌に載っていたような、20世紀の有名な住宅の図面が、3名の方たちによって描かれています。

取り上げられているのは、丹下健三、前川國男、吉村順三、吉田五十八、清家清、アントニン・レーモンドなど日本の建築家の設計した住宅だけでなく、ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、アルヴァ・アアルト、ルイス・カーン、フィリップ・ジョンソン、ミース・ファン・デル・ローエなど、欧米の著名な建築家の住宅も紹介されています。
「もしかして、全部実際に訪ねたのですか?」
「はい。実際に見ていないのはすでに壊された丹下健三の自邸だけかな、現存するものは、手分けしてですが全部足を運びました」
「いいなぁ!」
私は小さいころからよその家を訪ねるのが大好き、また学生時代は、建築科の友だちたちが建築雑誌に載った家について、ああだこうだと談義するのを聞くのも好きでした。そんな家の中に身を置いて空間を感じてみたとは、なんて素敵なのでしょう。


丹下健三の自邸(1953年)は、ピロティで浮かんだように建っています。
限りなく美しい家でしたが、完成度が高すぎて、何一つ動かしても、新たに置いても、バランスが崩れてしまう家でした。
実際に丹下氏が夫人に、
「何一つ変えてはならない」
と言ったとか。
とにかく暮らしにくくて、これだけが原因だったのかどうかわかりませんが、二人は離婚して、この家にはその後丹下氏自身も住もうとせず、解体されてしまったという、いわくつきの家でした。


久しぶりにこの家を(図面で)見ましたが、私でも何一つ置けないに違いない。だとしたら、どうやって住むの?それでも居心地はとてもよさそう!
などなど、他人の家なのに、しばし夢想してしまいました。


この家の欄間はガラスでできていて、天井の外へのつながりを感じることができます。
手前事ですが、我が家にもガラスの欄間が入っていて、これは丹下氏のアイデアの借用にほかならないのですが、我が家の場合、ガラスの上に梁や面戸板があって、天井面が外側と一体になっていることを、室内で感じることはできません。しかもガラスの欄間の前に棚をつくってものをごちゃごちゃ置いているので、ガラスの欄間があることさえ、ほとんど目立ちません。


しかし、ガラスの欄間の内側に照明器具を設置しているので、夜室内を照らしながら外にも光が漏れて、そのときは屋根が軽く、ちょっと浮いているように見えます。

ちなみに、伝統的な日本の家では何一つ置けない、置かないのが本来の姿だと思います。蔵と押し入れ、そして台所には水屋があって、ものはそれにすべて押し込めて、部屋の端まで開け放つことができる部屋には、家具を置く場所などはないのです。
近代になって、そこに、無理やり箪笥、洋服ダンス、鏡台、茶箪笥、はてはソファーなど置いて、暮らし方がぐちゃぐちゃになったから、日本人は住宅における美の感覚を失ってしまったのかもしれません。


先日、面白い写真を見つけました。
サウジアラビアの皇太子が来日したとき、平成天皇が皇太子を御所に招いて歓談している写真です。


そして「対」にしているのは、サウジアラビアの国王が、アメリカのケリー国務長官を宮殿に招いている写真です。
飾りなど何もない日本間の美しさが際立っています。


人はいないけれど、これはバッキンガム宮殿の写真です。
西欧の建築は「もの」を置くことに対して日本の建築より寛容です。というか、椅子とテーブルなど、ものがなければ、空間は様にならないと言えます。


日本では、近代に日本文化と西欧文化がせめぎ合いました。
土浦亀城(つちうらかめき、びっくりな本名!)は、欧米の住宅の「居心地」の良さを日本で実現しようとした建築家でした。
土浦が品川に自邸を建てた1935年当時、市民の多くは瓦の乗っている伝統的な家で畳の生活をしていたので、土浦の自邸にはたくさんの人が度肝を抜かれたそうです。
土浦は、東京帝国大学に在学中に建設中の帝国ホテルの設計を手伝い、その縁で1923年に渡米、フランク・ロイド・ライトのもとで、3年間働いて(学んで)帰国しています。


文化的な都市生活を営める住宅を適正価格でつくれないかと工業化を模索し、自邸では温水供給のボイラーを地下に設置するなど新しい設備を試しています。
これまで日本にはなかったスキップフロアやアルコブなど、大人でもワクワクする空間が広がっている楽しい家。とくに左ページのイラストのアルコブにつくりつけてある長椅子、誰でも落ち着いてしまいそう、さすがライトの弟子です。


近年、環境建築として脚光を浴びている、藤井厚二の聴竹居(1928年)も載っています。
西欧化が進む中で、藤井は日本の気候風土に適した住宅のあり方を環境工学を基礎とした設計方法論によって展開しました。


いま、エアコンディショナーをはじめとする人工的な空気調節全盛のなか、自然の風を取り入れる聴竹居が見直されるのは、とてもよいことに思えます。


『断面パースで読む、住宅の居心地』は、いろんな家を訪ねた気分になれる、とても楽しい本でした。
紹介されている住宅の中には、京都生活工藝館無名舎・吉田家、小金井市の江戸東京たてもの園に移築された前川國男の自邸、品川区の土浦亀城の自邸、聴竹居など、実際に見学できるところも多いのに、なかなか足を運ぶことができないでいます。





 

6 件のコメント:

rei さんのコメント...

丹下健三の自邸は、数年前に森美術館での建築関連の企画展で1/3スケールの模型が展示されていました。確かに住み難かったとの事には頷けます。丹下邸に限らず、建築家が設計した自邸に住む家族は大変と言われます。もちろん落日荘は当て嵌まらないですが。

土浦亀城邸は、最後までご家族を支えていたお手伝いさんが相続したそうですが、某企業が買い取り移築されるとの事です。

さんのコメント...

reiさん
1/3の模型を見たのですか?いいなぁ。木できれいにつくられたものですよね。
この本には、清家清の自邸、東孝光の自邸も載っていましたが、東孝光は年老いて段差のある家には住めずバリやフリーのマンションに住んでいるとのこと、清家清の自邸も住みにくいでしょうね(笑)。
土浦亀城邸はどこに移築されるのでしょうか?江戸東京たてもの園だといいのですが。と言っても江戸東京たてもの園には行ったことがないのですが(笑)。

rei さんのコメント...

清家さんの自邸のトイレに扉が無いのは有名です。弟子だった方とお付き合いがあるのですが、本当に扉は無かったとの事。困らなかったですかと訪ねたところ、奥まっていたし、カーテンが有ったから・・・とか濁していました。
東孝光邸は雨仕舞が悪く、雨が降ると窓辺に雑巾が並ぶとお嬢さん(建築家)が笑ってお話されていました。
土浦邸は、買い取った企業の施設内に移築される様です。

さんのコメント...

reiさん
清家邸はトイレに扉がないことは有名でしたね。ご近所のSさんち(http://koharu2009.blogspot.com/2013/05/blog-post_21.html)のトイレにも扉がないのですが、奥まっていて安心です。カーテンもありません。
また、昔インドのオーロビルという「新しい村づくり」みたいなところに行ったのですが、宿舎のシャワールームはカタツムリの殻みたいに螺旋になっていて、ドアはないけれど外からは見えない、中でシャワーを使っていれば音がするので誰も入ってこない構造になっていました。独立して庭に建っているのですが素敵でした。
トイレにカーテンがあれば御の字です。我が家の脱衣室もカーテン(ドアがまだつくれてない)だし、友だちのkuskusさんちのトイレもカーテンです(笑)。
残念ながら、コンクリート打ちっぱなしの家に雨漏りはつきものですね。先日、かつて安藤忠雄の事務所で働いていた人たちが来たとき、彼の設計した建物のどれも(?)雨漏りするとか言っていました。わが家もかつて夫設計のコンクリート打ちっぱなしの家に住んでいましたが、雨漏りは半端ではなかったです。スキップフロアで半地下になっていたのですが、その天井(その上は二階で、室内で問題ない)からも、大雨のときはぽたぽた水が落ちていました(笑)。
土浦邸、とても楽しそうで、感じてみたかったです。

af さんのコメント...

こんど、本をお借りしてもよいでしょうか?

さんのコメント...

afさん
どうぞ借りてください。
居心地の良さが伝わってきます(^^♪
個人的には、吉村順三とル・コルビュジェは1軒ずつでよかった。ウッツォンのフレデンスボーの集合住宅の中が、熱狂的に見たかったです(笑)。
堀越さんはウッツォンの外観を見に行ったら、偶然住民の方に会って中を見せていただいたんですって!羨ましい!私は横を通ったでけでした(笑)。