2023年9月3日日曜日

廣島一夫さんの箕

毎月3日は、箕研究会の人たちが定めた「箕の日」です。
勝手に協賛中の私、いつまで続くかしら、もうネタ切れ気味ですが、宮崎県の日之影で美しい籠をつくり続けた廣島一夫さんの箕を紹介してみたいと思います。
箕は、特殊な編み方をするため、一般の籠師さんとは別に箕だけをつくったり修理したりする箕職人の方がいらしたようですが、廣島さんは箕もつくられました。
これらは穀物をあおるための箕ではないので、箕の形をした籠といった方がいいのかもしれませんが。


左の網代に編んだ「網代箕」は乾燥シイタケを箱詰めしたり袋詰めしたりするときに使われました。
右の「はみ喰わせじょけ」は冬場に、乾燥させた草を細かく刻んだものを、牛や馬の餌箱に入れるのに使った箕でした。
シイタケ用の箕は、でこぼこが少なくて軽そう。軽いものを扱うのだからできるだけ軽い道具で身体への負担を軽減するという配慮が感じられます。


これらは「えぶ、または炭通し」と呼ばれる箕で、木炭製造業者が使いました。
出荷のため炭を「かます」に詰める前に、これで灰を振るい落としました。篩(ふるい)として使い、そのままスコップとしてかますに詰められる、機能的な形です。
第二次大戦後の数年間は、炭が主用燃料として、全国でたくさん製造されました。廣島さんも「えぶ」をたくさん編まれたそうです。
振るい落した灰は、鍛冶屋や染色業者に売られました。鍛冶屋は灰をホド(火床)に使い、染色業者は灰を媒染として使いました。


左は「手箕」、田植えのために苗代から抜いた苗を運んだり、建設現場で土くれ、砂、砂利などを運ぶのに使われました。太い竹ひごを使い、縁は頑丈につくられています。第二次世界大戦中から1960年代初頭まで盛んにつくられたものですが、廣島さんは1日に10個もつくったそうです。
右は「土運び」、「手箕」と用途は似ていますが、おもに土を運んで、湿地を田んぼにする工事に使われました。
手箕は、先日美濃の旅館で見た箕と同じ形をしています。

こんな、荒仕事に使う箕も、とてもきれいにつくられていて、改めて廣島さんの手のすごさを感じます。
写真はすべて、『A Basketmaker in Rural Japan』(Smithsonian Institution、1994年)からお借りしました。






 

0 件のコメント: