2024年6月17日月曜日

延壽製藥


骨董市で出逢った置き薬の箱です。
置き薬の箱にはときおり出逢いますが、大体前面は薄汚れていても、何かを上に乗せていたのか上面は鮮やかなまま残っています。


置き薬と言えば富山というイメージがありますが、じつは奈良も一大中心地だったようで、「延壽製藥株式會社」は、奈良県の髙市郡髙取町にあった会社、太陽堂製薬株式会社についで、奈良の箱は2つ目です。
商標登録は天狗がイノシシに乗って突っ走っている勇ましいものです。見ただけで、病気が吹っ飛んでしまうでしょうか。


この箱より古い商標看板には「薬は猪天狗」とあり、社名は「本舗 宮本延壽堂藥房」となっています。


置き薬の箱には、木製と紙製の2種類ありますが、これは紙製で小さめです。


内箱の裏に置数表が貼ってありましたが、年月の記載がなく、いつごろのものかわかりません。ただ、左からの横書きですから、戦後のものでしょう。
奈良は古い都だったところ、大陸から薬を最初にもたらされたのは奈良、売薬が誕生したのも奈良だったようです。
奈良県の情報サイトには、「奈良県薬業史」が掲載されていて、通史だけでなく、資料も充実しています。

ブログ「ひろの東本西走!?」より

宮本延壽堂は明治37年(1904年)の創業で、主力製品は動悸、息切れなどに効能を持つ「六神丸」でした。最盛期には数十人の従業員を雇う町内有数の事業者でしたが、大手製薬メーカーの台頭などで、平成8年(1996年)に廃業しています。
延壽製藥株式會社の木造二階建ての工場は今でも当時の姿のままで遺っていて、奈良の名所・古跡になっています。


工場は、大正5年から10年ころに建てられたもので、シンボル的な存在の塔は、ドイツから輸入した電動エレベーターのためのエレベーターホールです。創業当時はつくった薬を庭で乾かしていましたが手狭になり、薬をエレベーターで運んで、平たい屋根の上で乾燥させました。


母屋と工場を結ぶ渡り廊下は素敵な風景です。これを見た子どもたちは、通ってみたいと熱望したことでしょう。

六神丸はジャコウ、牛黄(牛の胆石)、熊胆(月の輪熊の胆嚢)、人参(オタネニンジン)、真珠、蟾酥(せんそ:がまの油)を成分とし、名称はこの6つの神薬(高価で貴重な薬)でできていることに由来しています。





 

0 件のコメント: