カンボジアの首都プノンペンに住んでいたころ、アパートの私の部屋の上の階にアーヤン・ヤンソニアスという、アメリカ人のイラストレーターが住んでいました。
長い休暇をとっていたのでしょうか、絵を描くだけで暮らしていました。そして、彼のコンピュータで描いた絵はがきが売られているのは、我々の大家さんである、アパートの一階のヘイさんの油絵屋だけだったので、残念ながら彼の素敵な絵を目にした人は限られていたのではないかと思います。
さすがに七人乗りはあまり見たことがありませんが、休日の夕方、メコン川に面した三階にあるカフェから見下ろしていると、ひっきりなしに走るモトの中で、六人乗りは決して珍しくありませんでした。私も大人ばかり四人乗りまではしたことがあります。
うしろの街路樹のタマリンドのわきの人は、いったい何をしているのでしょう?モト目当てのガソリンやさんかな?
歩道には、確かにこんな人が、たくさん住んでいました。
2010年に、10年ぶりにプノンペンを訪れて、驚いたのは、モトが少なくなっていることと、女性がモトの荷台に横座りではなく、またがって座っているのを見たことでした。
2001年までは、たとえジーンズをはいている女性でも、荷台にまたがって座る人は皆無で、みんな横座りでした。ちなみに私はこの女性とは反対向きに座り、せめて右手でサドルと荷台の間にあるバーにしっかりとつかまっていました。
悪路で荷台に乗っている人が少々飛び上がっても、ひたすら運転している運転手さんの絵は、もう雰囲気がそのままです。
町の中心を外れると、舗装なしの、振動に合わせてうまく調子をとらなくてはならない道もたくさんありました。
私が住んでいたころ、プノンペンの街は、まさにこの絵のように混雑していました。市内を運転していて、時速30キロ以上出せることはありません。夜明けから深夜まで車や、とくにモトの途切れることはありませんでした。
生きている鶏を荷台に積んでいる人は、郊外の池で無理やり一羽一羽に水を飲ませてから、市場に運びます。そうすると、水の重さだけ高く売れるのです。
物売りの象も、歩いていました。
以上三枚の絵は絵葉書ですが、この絵はアーヤン、私とヘイさんだけの特別な一枚です。
いつだったか、道路からすごいざわめきが聞こえてきたことがありました。
ふだんから、三階にいても道路の騒音は容赦なく入ってくるのですが、そのときのざわめきは異常でした。
家にいたので、週末だったのでしょう。ベランダに出て下を見ると、一頭の牛が走っていて、そのあとを、大勢が追いかけて来ました。大した見ものでした。
次の日、新聞を見てはじめて何があったか知りました。
街の中には珍しいはぐれ牛がいるとみんなが見ていたら、ひょいひょいと王宮に入って行った。みんながびっくりしていると、王宮をひとめぐりして出てきた。それから、「王宮に入った特別の牛」を追いかける人が、次第に膨れ上がってきた、というようなお話だったと思います。
この牛は、篤農家だったか、お寺だかにもらわれて行きました。
しばらくして、そのときのことをイラストにして、アーヤンが大家さんと私にくれたのがこの絵です。
ちょうど、私たちが目にしたのと、まさに同じ光景です。
歩道の向こうに見えるのは向かいの芸術大学の窓です。
犬と、猫とねずみはもちろん牛を追っかけてはいませんでしたが、それ以外は、そのときの喧騒そのままです。
この事件からしばらくして、アーヤンはプノンペンからいなくなり、四階の部屋には別の人が入りました。
この絵を見ると、そのときのざわめきが聞こえてきそうです。