2012年7月6日金曜日

楽しきプノンペン


カンボジアの首都プノンペンに住んでいたころ、アパートの私の部屋の上の階にアーヤン・ヤンソニアスという、アメリカ人のイラストレーターが住んでいました。
長い休暇をとっていたのでしょうか、絵を描くだけで暮らしていました。そして、彼のコンピュータで描いた絵はがきが売られているのは、我々の大家さんである、アパートの一階のヘイさんの油絵屋だけだったので、残念ながら彼の素敵な絵を目にした人は限られていたのではないかと思います。


これは、モトドップ(略してモト。モト=モーター)と呼ばれる、オートバイタクシーに、運転手さんも含めて七人乗りしているところです(写真クリックで拡大)。
さすがに七人乗りはあまり見たことがありませんが、休日の夕方、メコン川に面した三階にあるカフェから見下ろしていると、ひっきりなしに走るモトの中で、六人乗りは決して珍しくありませんでした。私も大人ばかり四人乗りまではしたことがあります。

うしろの街路樹のタマリンドのわきの人は、いったい何をしているのでしょう?モト目当てのガソリンやさんかな?
歩道には、確かにこんな人が、たくさん住んでいました。


2010年に、10年ぶりにプノンペンを訪れて、驚いたのは、モトが少なくなっていることと、女性がモトの荷台に横座りではなく、またがって座っているのを見たことでした。
2001年までは、たとえジーンズをはいている女性でも、荷台にまたがって座る人は皆無で、みんな横座りでした。ちなみに私はこの女性とは反対向きに座り、せめて右手でサドルと荷台の間にあるバーにしっかりとつかまっていました。

悪路で荷台に乗っている人が少々飛び上がっても、ひたすら運転している運転手さんの絵は、もう雰囲気がそのままです。
町の中心を外れると、舗装なしの、振動に合わせてうまく調子をとらなくてはならない道もたくさんありました。


私が住んでいたころ、プノンペンの街は、まさにこの絵のように混雑していました。市内を運転していて、時速30キロ以上出せることはありません。夜明けから深夜まで車や、とくにモトの途切れることはありませんでした。
生きている鶏を荷台に積んでいる人は、郊外の池で無理やり一羽一羽に水を飲ませてから、市場に運びます。そうすると、水の重さだけ高く売れるのです。
物売りの象も、歩いていました。


以上三枚の絵は絵葉書ですが、この絵はアーヤン、私とヘイさんだけの特別な一枚です。

いつだったか、道路からすごいざわめきが聞こえてきたことがありました。
ふだんから、三階にいても道路の騒音は容赦なく入ってくるのですが、そのときのざわめきは異常でした。
家にいたので、週末だったのでしょう。ベランダに出て下を見ると、一頭の牛が走っていて、そのあとを、大勢が追いかけて来ました。大した見ものでした。

次の日、新聞を見てはじめて何があったか知りました。
街の中には珍しいはぐれ牛がいるとみんなが見ていたら、ひょいひょいと王宮に入って行った。みんながびっくりしていると、王宮をひとめぐりして出てきた。それから、「王宮に入った特別の牛」を追いかける人が、次第に膨れ上がってきた、というようなお話だったと思います。
この牛は、篤農家だったか、お寺だかにもらわれて行きました。


しばらくして、そのときのことをイラストにして、アーヤンが大家さんと私にくれたのがこの絵です。
ちょうど、私たちが目にしたのと、まさに同じ光景です。
歩道の向こうに見えるのは向かいの芸術大学の窓です。


犬と、猫とねずみはもちろん牛を追っかけてはいませんでしたが、それ以外は、そのときの喧騒そのままです。

この事件からしばらくして、アーヤンはプノンペンからいなくなり、四階の部屋には別の人が入りました。
この絵を見ると、そのときのざわめきが聞こえてきそうです。


2012年7月5日木曜日

メキシコの入れ子鉢



メキシコの、内側だけ釉薬をかけてある入れ子鉢です。
水で洗うと、すっと水が土にしみ込んで、土の強い香りが漂います。とても低い温度で焼かれた、脆い陶器です。


鉢と言っても、これは一番大きいのが直径125ミリ、一番小さいのは40ミリしかないミニチュアです。たぶんままごと用のものでしょう。

実は、以前はこれをそのまま大きくした、食器の鉢も持っていました。一番大きいのは直径30センチ以上ある、やはり五個セットで、一番小さいのが、ままごとの一番大きいのと同じくらいの大きさでした。
アメリカで買ったものです。
食器の鉢は大きくて、重さがあるのに薄くつくられているため欠けやすく、ちょっと扱いにくいのですが、気に入っていました。

ある日、雑誌だったか、新聞だったかを読んでいたら、鉛中毒のについて書かれていた記事がありました。アメリカ南部の家族が、乳児を除いて、全員が健康を害し、調べてみたら鉛中毒になっていました。
その家族は、焼成温度の低い陶器のカップで、毎朝オレンジジュースを飲むのを習慣にしていましたが、無事だった乳児は哺乳ビンを使っていたので鉛中毒を免れた、というような記事でした。

もちろん、そのカップがとりわけ危険だったという可能性もありますが、用心するに越したことはありません。それからは、焼成温度の低い陶器に、酢を使った料理を絶対盛らないように気をつけました。メキシコ製の鉢だけでなく、スペイン製やイタリア製の器にも、焼成温度の低いものが、たくさんあります。日本のらくやきもそうです。

重くて壊れやすい鉢は、アメリカから無事持って帰り、その後の引っ越しのたびに持ち歩いていました。
でも、出番が少ないわりに場所を取ることや、縁が欠けたものが多くなってきたことから、いつだったか、処分してしてしまいました。


大きい鉢は残念でしたが、ままごとの鉢は縁が欠けもせず、今も健在です。


2012年7月4日水曜日

いただきもの


骨董市で、いただいてしまうことがあります。
この木片は、いつだったか、地面に敷いたござの上にいっぱい並んでいました。値段を聞いたら、
「一つなら持ってっていいよ」
とまことさん。
ありがたくいただきました。


木片は、蓆(むしろ)や菰(こも)を編むときの、糸巻き兼錘と見ました。が、囲炉裏でいぶされた跡があるので、何か囲炉裏の上につるすものに使っていたのかもしれません。
いただいたものの左は日本のもの、右二つは韓国のものです。


このところ、骨董市でマトリョーシカをよく見かけます。
これは、がんこ屋さんの親方の箱の上に立っていました。


開けてみても、何にも入ってない。たぶん三個組みの真ん中です。
「親方、これは?」
「一個だけだよ。値段のつけようがないから、持ってっていいよ」


我が家にきたら、仲間がいました。
それにしても、どうして一人ぼっちになっていたのでしょう。


これも、別なときに親方が持っていたもの、箱いっぱいに裁縫道具が入っていました。
親方はたいてい飾りつけずに、箱のまま置いているので、それを知らないうちは素通りしていました。売る気があるのかないのか、ほとんどなさそうに見えます。
それがスタイルです。

「う~ん。値段のつけようがないな。好きなだけ持ってっていいよ」
と言ったって、ヘラだけで10本くらいあります。
太っ腹の親方です。
「そのヘラで、刀を磨くといいらしいよ」
「へぇ、そうなんだ」
剪定ばさみでも磨いてみましょうか。


ガラスの待ち針は、最盛期には、一日にいったい何本つくっていたのでしょう?
左の待ち針は、チェコ製だったか、今でもつくられている、ガラスの頭の待ち針です。


がんこ屋さんの棚にあった、セルロイドの箱は、待ち針を入れるのにぴったりです。



開いてみると、お琴の爪が入っていました。
「あっ、その箱いいでしょう?持って行っていいよ」
と、がんこさん。
みんな、とっても優しいのです。

お琴は祖母の家にもありましたが、着物地のカバーをかけて立てかけていただけでした。いったい誰が引いていたのか、聞いたこともありませんでした。


象牙の爪を出して、セルロイドの箱に針を入れるのは、ちょっとかわいそうです。
針入れは、また考えることにしましょう。

2012年7月3日火曜日

お菓子道具いろいろ


骨董市で、がんこ屋さんから、木製品一箱まとめて買いました。
「いらないものは、捨てればいいじゃない。安いんだから」
その通りです。


そもそも、
「これなあに?」
とたずねたのが発端でした。
なんだか、わけのわからない木片がわりと気になります。
「お菓子の型だよ」
「えっ?」


なんと、木片の両端に、小さな型が彫ってありました。
練り切りなどを、薄くのばしてこの型で抜いて、お菓子の飾りにしたのでしょうか?


チドリの反対に彫ってあるのは、水鳥です。



まん丸いものもありますが、みかん、梅、松などもあります。


小麦粉を水で溶いて、食紅を混ぜ、薄くのばして型抜きしてみました。
小麦粉は弾力性が強く、適切な材料ではありませんが、練り切りをつくってみるというわけにもいかず、しかたありません。


それでも、なんとか抜けました。
小さい型なのに、丁寧に彫られていることがわかります。 お菓子の飾りにしたら、素敵だったことでしょう。


型に、生地をしっかり詰めるためのヘラは、ちょっと欠けているので、カンナで削ってみるつもりです。


このお菓子の型には蝶番がついています。


折りたたんで、留め金を留めて、ピラミッド形にします。
木ベラを使って型に生地を詰め込んで、型を開くと、お月見団子を五段積み上げたようなお菓子ができあがるというわけです。
手抜きと言おうか、反対に手をかけすぎと言おうか、いったいこのお菓子はどんなときに使われたのでしょう?
中に餡を入れておいて、一人で食べるには大きすぎるし、みんなで食べるなら、丸いお団子を積んでおいた方がずっとよさそうです。


使われたものに比べると、使われていないものには、なにか重みが足りません。
この匙は、薪ストーブ行きかなぁ。


竹しゃもじと、ごはんの型も、たぶん薪ストーブ行きです。


餡を練るヘラは、洗ったら全部きれいになったので、そのまま使います。


竹ベラがたくさんあります。
これもお菓子屋さんの道具だったのでしょう。


きれいなものは、もうちょっと形を整えて、銘々用のバターナイフにどうでしょう?


そして、欠けたり、焼け焦げたりしている竹ベラは、加工用にとっておきます。
とりあえずこれを使って、欲しかった魚網針をつくってみるつもりです。


魚網針が、できるかな?


こんな形のものです。

あぁ、憧れの魚網針。大好きな魚網針。
まあ、努力しだいですね。



2012年7月2日月曜日

また、犬張り子


犬張り子をアップしたとき、ずいぶんなくしてしまったなぁと感じました。
大切に思う気持ちには、そのときによって浅い深いがあるし(日々の生活より仕事優先とか)、紙でできたおもちゃは、引っ越しに弱いし(さっさと片づけたい気持優先とか)、保管しているときの湿気にも弱い(空家に保管とか)ものです。

まあ、今でも東京の神社を訪ねれば、犬張り子を授与しているところがたくさんあります。機会があったら行ってみようかと、授与している神社を書き出しておきました。


すると、しばらく前に、用事のついでに東京の神社を訪ねる機会がやってきました。まずは、よく通る浅草にある、鳥越神社に寄ってみました。
笊かぶりのかわいい犬張り子がありました。値段もまあまあで、嬉しい出会いでした。
気をよくして、その足でに上野にある神社に寄ってみました。犬張り子のかわいさは今一つ。しかも値段が高かったので、せっかく行ったのに、買わずに帰ってきてしまいました。
そして、犬張り子を授与する神社を、七、八ヶ所訪ねる計画も、あっさり撤回してしまいました。

犬張り子がなくても、暮らしに困ることもありません。


それからずいぶん経った昨日、骨董市で、がんこ屋さんが犬張り子を持っていました。
犬張り子スペシャリストのがんこさんですが、骨董市に犬張り子を持ってきたのを見たのは、初めてかな?私が見逃していたのかもしれません。


この犬張り子は、でんでん太鼓に江戸千代紙が貼ってあるように、東京(江戸)でつくられたものですが、犬張り子に矢を結びつけてあるので、愛知のあたりのものだそうです。
子どものお宮参りのとき、初着に挿して、背中に飾りました。


見れば見るほどかわいい犬張り子です。
骨董市から一度帰ってきたのに、残っていた犬張り子が気になり、お昼を済ませてから、再びがんこ屋さんを訪ねてみました。


残っていました。東京いせ辰の犬張り子と、

ちょっと大きい、1958年の年賀切手にもなった加賀犬張り子です。
加賀張り子も、本体の張り子の制作はやはり東京(江戸)ですが、


彩色、飾りつけなどは加賀仕様、石川県でなされたものだそうです。


背中のでんでん太鼓の「寿」や、「のし」が、ありがたさを増しています。

それにしても、多産・安産・子の健やかな成長のお守りが中国では豚なのに、日本では犬であるのが、おもしろいところです。
他の地域(文化)では、いったい何なんでしょうね?


2012年7月1日日曜日

蝿叩き


古民家を移築した、建築家の友人の素敵な家の居間に座っていたら、蝿が一匹飛んできたことがありました。
友人が持ち出したのは、あの水色の安っぽい蝿叩きでした。素敵な空間や素敵な調度品(旦那さまは彫刻家)とのアンバランスに、心の中で笑ってしまったものでした。


かくゆう我が家にも、同じような蝿叩きが、しかも四本もあります(一本行方不明中)。
冬場はおとなしく、ゴミ箱のわきの目立たないところにぶら下がっていますが、夏場はあちこちに出張します。家は気密性高くつくってあるので、蝿がいないときはいないのですが、いる時には何故か数匹がぶんぶんしています。
「どこから入ってきたんだろう」

いざ、蝿叩きを使おうと思ったら、たいていあるべき場所に一本もありません。あちこちに出しっぱなしです。
「どうして、ちゃんと元通りに戻しておかないの!」
と焦る私。
「なんで、いちいち片づけちゃうんだ!」
と焦る夫。
それを知り目に蝿が飛びます。

ここで暮らしはじめるまで、家には蝿叩きがなかったような気がします。
新聞の折り込み広告の紙を丸めて叩いていました。ところが、ここの蝿はやたら速い!

安っぽい蝿叩きが嫌で、骨董市で見つけた、プラスティックが使われていないころの、デッドストックの金網の蝿叩きを使ってみたこともあります。
ところが、叩くたびに、金網が丸まって、手で直すのは汚いし、反対側を使っても、丸まったのがなおらないばかりか、どんどん複雑に曲がっていってしまいます。
いつも丸まっている蝿叩きを見るのも、嫌なものです


この、フランス製の蝿叩きが、日本の古い蝿叩きと同じつくりです。金網が太い分ましですが、一度叩くとくるんと曲がります。
ネットショップの商品説明に、
「まさか、実際に使う人はいないでしょうね」
と書かれて、観賞用(?)に売られていたものです。


実際に使うために買いましたが、結局ショップの思惑通り、観賞用に転落してしまいました。
柄のつくりはきれいで、確かに観賞に耐えます。


革でできた、ドイツ製の蝿叩きもあります。
「絶対に、革の表で叩いてよ。それから、使ったあとはちゃんとティッシュで拭いておいて」
裏は、裏革そのまま、けばだっています。
「いちいちそんなことができるか」
と、こちらもほどなく観賞用に転落。


というわけで、外国製蝿叩きの二本は掃除道具置き場の飾りとなりました。

そして、相変わらず活躍しているのが、全部プラスティックでできた蝿叩きと、プラスティックの一部に金網を張った、あの安っぽい蝿叩きです。


追伸:

タイの蝿叩きがあったのをすっかり忘れていました。タイに住んでいたときは、同じような蝿叩きを使っていましたが、これは使ったことがありません。


素敵な、蝿叩きです。