雪の日が続き、洗濯ものは部屋干しを余儀なくされています。
先日、縫いものの手を休めて、洗濯ものを集めて畳んでいて、指抜きをしたままだったのに気がつきました。
「まあ、いいや」
と、新しく洗濯したものを干し、畳んだものを引き出しに収めていて、ふと気がついたら、外し忘れていたた指抜きが消えていました。
いつから私の裁縫箱にあったのかはっきりしない、昔ながらの真鍮の指抜きでした。
「しまった!」
つくろいものなどはいざ知らず、和裁の時はこの指抜きが必需品です。
洗濯ものを取り込んでいるときも、干しているときも、もし指抜きが落ちれば、音を立てたはず、畳んだ衣類について引き出しに入ったのかとさがしましたが、見つかりませんでした。
和裁?
そう、また性懲りもなく人形の着物を、本と首っ引きで、思い出したように縫っているのです。雪で外仕事ができないので、このところ縫いものは少し進んでいます。
慌てて裁縫箱の中の指抜きを入れている缶をのぞいたら、残りの指抜きはこの二つしかありませんでした。
これは、キルティングをするときの指抜き、と言うより、シンブルと言った方がいい代物で、針が違い、縫い方も違うので、和裁のときには役立ちません。
大きい裁縫箱をのぞくと、ありがたい、まったく同じものがありました。
指抜きは、大叔母の裁縫箱を母からもらったときついてきたものと、私が入れたものと混じっているので、いくつかありました。
革の指抜きは、学校の授業のために揃える裁縫箱によく入っているもの、真鍮の指抜きの改良版です。私のものだったのか、息子たちのものだったか、あるいは母が仕舞っておいた妹たちのものだったのか。わりと新しげですから、たぶん息子のものだったのでしょう。
使ってみましたが、セルロイドが動いて片寄ります。やっぱり真鍮の方が使いやすいようでした。
もっとも、小学生のときまじめに練習しなかったせいで、運針が満足にできないのですから、指抜きについてとやかく言う資格もありませんが。
このシンブルは、どうして入っているのでしょう?誰かのお土産だったのかもしれません。
何でも集めてしまう私ですが、シンブルは集めていません。オーストリアのもののようですが、使ったことがないので、ただの飾りか実用品かもわかりません。
さて後日、指抜きをなくしたときに干した洗濯ものを畳み、引き出しに収めていたとき、
「ちゃりん」
と音がしました。
「あっ」
と思い、床をさがしてみたら、やっぱり指抜きでした。
もし、指抜きを洗濯したものと一緒に干していたのなら、どうして畳んだとき出てこなかったのでしょう?そして、しまうとき、どうして出てきたのでしょう?
わからないことばかりですが、手元に戻ってきたことだけは確かでした。
というわけで、しばらく代用していた指抜きは元の裁縫箱に戻しました。
そして、また、黒ずんでいる古い指抜きを使っています。ときおり、指抜きをはめていることを忘れるくらい、なじんだものです。
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