猪熊弦一郎(1902-1993)が愛でていたものの写真を、画家のエッセイとともに雑誌『ミセス』に連載した「現代玉手箱」は、その後、『画家のおもちゃ箱』(猪熊弦一郎著、大倉舜二写真、文化出版局、1984年)という、美しい本になりました。
『画家のおもちゃ箱』はAmazonの古書にも出てきますが、2013年に50,000円していたのが、今では86,000円もします。思い切っても買えない値段です。
その後、タムタムさんは、他の切り抜きもコピーして送ってくれました。
そんな猪熊弦一郎の集めたものが、『物物』(猪熊弦一郎集、ホンマタカシ撮、岡尾美代子選、ブックピーク、2012年)という本になったと知り、買ってみました。
最近の古本にはよくセロファンのカバーがかかっています |
そんなものかとも思いますが、正直、失望する内容でした。
巻末の、堀江敏幸さん(編者の菊池敦巳さんを含めて、この本をつくられた四人のお名前は初めて知りました)のエッセイにあるように、猪熊弦一郎にとって、それぞれのものは、どれもその背後に物語を秘めたものでした。他人から見て骨董的に価値のあるものもあれば、ガラクタにしか見えないもの、路傍で拾ったものもありました。猪熊弦一郎は、それらを等しく愛でていたのです。
巻末のエッセイによると、『美術手帖』1949年11月号の「アトリエ訪問」で、辰野隆と土門拳が猪熊弦一郎のアトリエを訪れていますが、辰野隆の問いに対して、猪熊弦一郎は、自分をコレクターではないと言っています。
コレクターとは往々にして、希少なもの、名のあるものを求め、それが手元に来ると、傷つかないように厳重に包装して、押し入れの奥深く閉まったりします。
でも、猪熊弦一郎は、自分が見つけたものを目につくところに散りばめて、日々愛でていたかったのです。
そんなものたちを、こうやって単体で取り出してみても、あまり意味が感じられません。
確かに、本の表題のように、「物物」になってしまっています。
それに比べて、猪熊弦一郎のアトリエを撮影した大倉舜二の写真を見ると、ものだけでなく、その周辺からも、様々な物語を読み取ることができます。
古いビンと古い缶の置き方一つにも、「いい間」と「しっくりこない間」があって、猪熊弦一郎はきっとこだわったことでしょう。
丸いものを集めた中に、四角い缶を一つ置いたのも、きっと意味があったに違いありません。
『物物』では、一枚一枚の写真に、スタイリストとカメラマンの会話がついているのですが、それがさらにこの本を薄っぺらいものにしています。
二人の、軽い、深みのないものへの対峙の仕方が、文に見事に現れてしまっているのです。間違った発言も見られます。
猪熊弦一郎のもとに集まったものたちは、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館に収蔵されているそうです。どう飾られているのか、見たい気もするけれど、見ない方がいい気もします。
まずは、タムタムさんの送ってくれたコピーで楽しむのが一番よさそうです。
これは、我が家にあるもので、この本に載っていたものと、同じか、よく似ているものの一部です。
猪熊弦一郎はアメリカ東海岸に住んでいましたが、私も住んでいました。そこで、胸躍らせて手に入れた、メキシコの飾りものやおもちゃたちです。
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