Facebookができてよかったことは、Facebookがなかったらとっくに消息不明になっている人たちとつながることができていることです。
とくにタイ人はFacebookがお好き、もと同僚たちをはじめ多くの人たちと、思いがけなくつながっています。とはいえ、私もたいして投稿しないし、彼らもしないし、たまに「いいね」を送るくらいですが、今年のはじめごろだったか、Sの投稿を見て、びっくりしました。
最愛の人(夫とは書いてない)が亡くなってしまったという投稿で、お葬式の様子とともに、亡くなった男性の写真も添えられていました。拡大して見ても、もう長く会っていないので、はっきりとは確証が持てなかったけれど、写真はSの連れ合いのナッに見えました。
その写真を見ていると、心の底から喜びが湧いてきました。人が死んだのを知って喜んだのは初めてですが、早速大阪に住む、FacebookをやっていないIちゃんに写真を送りました。
「ナッさんで、間違いないでしょう!」
Iちゃんも太鼓判を押します。タイは年の関係で名前の呼び方を変える社会、私は年下のナッを呼び捨てにし、Iちゃんは年上のナッを、ピー・ナッ、つまりナッ兄さんと呼びます。
「ナッが死んだってことは、生きていたのよ!」
「ナッさんは、生きていたんだ。死んでしまったけれど」
Iちゃんも大喜びです。
スラムに住むSはしっかりものの姉さん女房でした。一人息子の教育のため、連れ合いのナッに日本に出稼ぎに行けとせっつき、ナッはノイと一緒にブローカーを通して日本に不法入国しました。1990年前半のことでした。
当時は世間はバブルで、仕事はいくらでもあり、彼らも日当12,000円くらい稼いでいました。二人で同じことをしているのにノイは要領がいい、しかもしまり屋でお金を使うことありません。ノイは3年で、なんと1、000万円をためて帰国(不法だから強制送還か?)しました。帰国のとき、荷物がたくさんありすぎるというので、私はノイの本を20冊ほど運んであげました。日本語の本、しかも今となっては覚えていませんが、子どもの教育の本だったかしら、素敵な本ばかりでした。そのとき、
「ノイって偉いよね」
と私が感嘆しながら報告すると、タイ人たちは賛同するどころか、苦い顔をしています。
「弁当つくって、一人でこそこそ食べていれば、お金もたまるだろうよ。あいつは中国系だからな」
「えっ?」
びっくりしました。
タイ人は普段、他人の悪口は言いません。他人は他人、自分は自分です。かつて一緒に仲良く働いていたノイが中国系だったこと、この時初めて知りました。
ノイはタイに帰るとすぐに、法措置をとって名前を変え、日本向けの観光の会社を立ち上げ、新しい名前で何度もタイ、日本を合法的に行き来する成功者になりました。しかも、来日するたびにナッが働いているところに潜り込み、数日アルバイトをして、旅行費用などすべて捻出するというしっかりものでした。日本語はできるし、気は利くしで雇う方も大喜び、逆にナッのぼんやりぶりが際立ってしまうほどでした。
やがて、日本が不況になり、建設の仕事がなくなりました。失業したナッを、友だちに頼んで植木屋さんに雇ってもらったのですが、長くいるのに日本語はたどたどしく、やがてそこも首になりました。それでも、そのころは借金を返し終えていたので、私やIちゃんは、
「絶対帰国した方がいい」
と強く勧めたのですが、ナッは沈んでいました。一人でいるのに耐えられないほど寂しがり屋(タイ人によくある)なのに、連れ合いのSに、もう少し頑張って欲しいと言われたとかで、帰国しませんでした。そして、連絡が途絶え、ナッは忽然と消えてしまったのです。
どう考えても変でした。
私とIちゃんは、ナッは何かトラブルに巻き込まれたのだと思うようになり、そのうち、あまりにも消息が知れないので、誰かに殺されてしまったのだと信じるようになりました。タイ人はたいてい、小さいときからのあだ名で呼び合います。ナッもノイもあだ名、もしナッの死亡が新聞で報道されたとしても、本名と聞いたこともない苗字が書かれていれば、さっぱり結びつきません。
当時、タイ人を食い物にするタイ人が、日本にはたくさんいました。ナッが連れて行ってくれるタイ料理屋も、看板はタイ語だけで、日本人を相手にせず、日本で金を稼いでいるタイ人だけを目当てにしたものでした。しかも、ナッが勘定しているのを見てびっくり、信じられないほど高いものでした。
あれから、25年。私もIちゃんもタイとはすっかりご無沙汰です。それでも、たまにIちゃんと連絡を取り合うときは、
「ナッの消息が分かった?」
という話題にならないときはありませんでした。
それが、SがFacebookにお葬式の写真を載せたことで、いつ帰国したかはわからないけれど、ナッは無事帰国して、妻子の元で死ぬことができたことがわかったのです。これは、やっぱり喜ばずにはいられないでしょう。ナッが早死にしたのではないか?いえいえ、海の底に沈んでいるより、ずっとましです。
考えれば考えるほど嬉しくて、Iちゃんとは、
「よかったね。よかったね。死んでしまったけど、生きていたんだ」
と喜び合いました。
それにしても、Sとはもう何年もFacebookで友だち関係ですが、お葬式を除いて、ナッについての投稿は一つもありませんでした。
「ナッの消息が分かった?」
という話題にならないときはありませんでした。
それが、SがFacebookにお葬式の写真を載せたことで、いつ帰国したかはわからないけれど、ナッは無事帰国して、妻子の元で死ぬことができたことがわかったのです。これは、やっぱり喜ばずにはいられないでしょう。ナッが早死にしたのではないか?いえいえ、海の底に沈んでいるより、ずっとましです。
考えれば考えるほど嬉しくて、Iちゃんとは、
「よかったね。よかったね。死んでしまったけど、生きていたんだ」
と喜び合いました。
それにしても、Sとはもう何年もFacebookで友だち関係ですが、お葬式を除いて、ナッについての投稿は一つもありませんでした。
6 件のコメント:
もう日々の日記の枠を超えて、笑えてじーんとくる上質なエッセイです。
タイ人の気質がよくわかって面白い!何度も読み返してしまいました。
そして最後に「死んでしまったけど、生きていたんだ」と明るい気分になりました。
Sさん、強そう(笑)。
hiyocoさん
ありがとう。そうそう、Sさん、強いんです(笑)。
私たち25年も知らなかったって、間抜けな話ですよね。ナッは、Sさんが私にfbのリクエストしてきたなんて(5年くらい前?もっと前?)、全然知らなかったのかしら?
それにしても、生きていて本当によかったです(^^♪死んでしまったけれど(笑)。
春さんがいかに心配していたかがよくわかりました。
そして、このお話の書き方のあちこちに春さんの凄さを感じました。
このブログを読んでいると自然に文章力があがる気がしてきました。お得です(笑)
新しいブログのエディター、その後、大丈夫でしょうか?
何かあれば調べていきます。あ、写真の順序がありましたね。
akemifさん
写真を見たときは、笑ってしまいましたよ。そうお世話したわけじゃないけれど、連絡くらいしろよって。
でも、連絡のしようもなかったかもしれない、とにかく生きていてよかったとしか言えません。これもスマホ時代の恩恵です。
新しいブログのエディター、写真がいろいろなサイズで載せられてよかったのに、数日前から4サイズだけに戻されました。相変わらず、写真を数枚同時に取り込もうとすると、順序は反対になります。また、最初に文章を書き、途中に写真を入れようとすると、カーソルを置いた場所に写真が入らず、最後尾に表示されます。
まず写真をUPしてから文章を書き始め、そのつど写真を1枚ずつUPすれば問題ないので、贅沢は言えませんが(笑)。
遅ればせながら、その節はありがとうございました。
親心、子知らずっていうやつでしょうか。
写真なんですが、フォルダーから選んでアップロードしたあと、選択すると思うんですが、その選択の順序(選択というのは、青枠にする操作です)になるようですね。
選択した順序が青枠になったとき表示されればわかりやすいですよね。要望したら、実現するかもですね。
akemifさん
あと、すでにUPした写真を動かしたいとき、真ん中に入れたいのに必ず右に寄ってしまい、写真の位置設定でも、全体の位置設定でも頑として動きません。それを捨てて、新しくUP仕直せば問題はないのですが。
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