2024年10月7日月曜日

東南アジア形の魚籠


久しぶりに骨董市に行くと、まことさんの店に魚籠(びく)を模した花器がありました。
私は、実用品を模した(矮小化した?)花器とか、粋人好みの凝った編み方の籠花器は嫌いですが、これは花器にしてはてらいがなく、素直に編まれている籠でした。
全体の形もですが、下半分のござ目編みから透かし編みに移る境目のところの処理が見事、美的センスを持っている職人さんの仕事とお見うけしました。
手に取って眺めていると、
「いいでしょう。箪笥を買ったら中に入ってたんだ。これもいいの?って訊いたらいいって」
とまことさん。
魚籠の中には、花を生けるための竹筒が入っていました。


この形の魚籠は東南アジアで広く見られるものですが、日本では九州だけで編まれました。
海洋の路で、琉球を経て九州へともたらされたものの、そこから東への伝播はなかったのでしょう。


写真は、鹿児島県姶良(あいら)地方の竹職人、池平静哉さんの編んだ魚籠です。
民俗学者の久野恵一(1947-2015)さんは、手仕事フォーラムに、

1987年(昭和62年)に初めて池平さんを訪ねたのだが、当時はたしか82歳くらい(明治35年生まれ)だった。彼のつくる魚籠は東南アジアのものと同じ造形をしていた。こんなかたちの魚籠が日本にもあるのかと感嘆した。
池平さんは仕事がていねいな人で、上手だった。

と書いています。


かつては、鹿児島をはじめ九州各地に、この形の魚籠を編める籠職人さんが何人もいらっしゃったのでしょう。


美しいシタミを編んでいらっしゃった廣島一夫さんをはじめ、この形の魚籠を編める籠職人さんたちのほとんどが、すでに彼岸を超えてしまわれました。


竹細工の店「竹虎」の四代目の記事には、職人さんの地域や名前が記載されてないのが残念ですが、いろいろな魚籠が紹介されています。写真はその中の一つ、鹿児島県でつくられていた魚籠です。竹虎のさまざまな魚籠を紹介したYouTubeの画面の左前の方に、花器として編まれた魚籠とよく似た形の魚籠が見られます。
九州でつくられた東南アジア形の魚籠は、地域によって、職人さんによって少しずつ編み方の違いが見られます。


タイの魚籠たちと一緒に。
タイの本、『Museum of Folk-Culture』(Muang Boran Publishing House、1988年)によれば、このような口の小さい魚籠は小さい魚に使われたとか、日本でもアユ、イワナなどの川魚に使われたようです。










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