2012年6月20日水曜日
ヴェトナムっ子
二十数年前に、元同僚のIさんがヴェトナムで見つけてきた人形です。
飾りものではなく、子どもの持って遊ぶおもちゃですから、誰かにあげたりして、いつなくなってもおかしくなかったのに、また、我が家で決して大切にされているとは言えなかったのに、今日まで二人揃って元気に暮らしています。
男の子は、耳もついています。
黒のサテン地の光沢のあるパンツをはいて、涼しげなゴム草履をはいているところがヴェトナムの田舎の子らしいところです。
そして、南国なのに、白クマやスノーマンの服を着ているのがおかしい。
今でもこんな素朴な人形がつくられているのでしょうか?
十年一昔といいますが、ヴェトナムの二十年は、ずいぶん変わっていることでしょう。
2012年6月19日火曜日
つくる
最近、こばやしゆうさんの『つくる 暮らし。』 が発売されました。
以前出版された、『つくる。生活』 も面白かったけれど、新しい本からも、ゆうさんのものづくりのパワーが伝わってきます。
前の本、『つくる。生活』に載っていた、納得がいくまでつくり直したという食卓とその回りです。
私もこんな味のある食卓にあこがれますが、自分がつくるとなるとなかなか。
どうしても、かっちりしたものができてしまいます。
今度発売された本も、 食卓や台所回りはとくにいい感じです。
前の写真から数年経ったはずなのに、ものが増えていないところは、すぐものを増殖させてしまう私の、見習わなくてはならないところです。
遠藤ケイさんの『手作り生活道具』 も、すごい本です。
ドラム缶のお風呂やストーブ、蝶番、ナイフ、斧、たこ焼き鍋などの鉄製品。
各種籠や笊や竹を編んだ漁具。
臼、杵や桶。
硯や矢立、食器、蝿叩きやうちわ、熊手などなど。
つくるものがあまりにも多岐にわたっているので数えあげられませんが、生活に必要なありとあらゆるものを手づくりされています。
竹籠をつくりたいときは、ひごを削る道具を刃物からつくるし、めんぱをつくりたいときは、めんぱの型からつくっています。
「こんなものまで、自分でつくれるんだ!」
と、感動してしまいます。
まあ、家が出来上がったら他のこともしてみたいけれど、今は家に専念です。
いまのところ、作業棟、門、ゲストハウス用離れなどをつくる予定。母屋の扉や棚も、できていないところがあるので、家だけでも、あと何年かかるのでしょう。
2012年6月18日月曜日
文化人形
あまりおもちゃもなかった子ども時代ですが、誰が買ってくれたのか、文化人形は持っていました。40センチくらいのかなり大きいものでした。
お雛さまのときに飾るのではなく、子どもが持って遊ぶ人形といったら、文化人形しかなかったような時代で、文化人形はごくごくありふれたものでした。
その大きな文化人形を、おんぶしたり抱っこしたりして遊んでいました。もちろん、泥やら、手あかやら染み込んで、薄汚れていました。
ある日、近所のまさちゃんが遊びに来ていました。まさちゃんは一つ年上で、ご両親が亡くなり、ご祖父母とひっそり暮らしていました。
「あの子はかわいそうな子だから、親切にするんだよ」
と、祖母は口癖のように言っていました。
まさちゃんは抱き人形を持っていなかったので、その日、母がまさちゃんのために文化人形(もどきの人形)をつくってくれました。ミシンの音が響く六畳間で、二人でじゃましないよう、でもときどきのぞきながら遊んでいると、仕事の早い母は、その日のうちに縫い上げ、まさちゃんにあげました。
母が墨で目を描いるのを息を詰めて見ていたこと、端布の服、人形を抱いて帰ったまさちゃんの嬉しそうな顔などが、今も目に浮かびます。
というわけで、最近足腰が弱って外に行く楽しみがなくなっている母を喜ばそうと(半分は自分の楽しみで)、昨年文化人形のキットを買ってつくってみました。
実は、文化人形のつくり方の本も持っているのですが、昔はいつも身近にあったジョーゼット(顔用布)はないし、木毛(詰め物)もないしで、材料をあちこちさがして集めているより、キットで買った方が、てっとり早いと思ったのです。
つくってみました。
あぁ、なんて私は不器用なのでしょう!
同包されていたつくり方の本と首っ引きで四苦八苦、何日かかかりました。
キットの中に、顔布用として、あらかじめ描いた布と、自分で好きに描けるように何も描いていない布と二種類入っていましたが、顔にかかるころには疲れ果てていて、もちろん描いてあった布を使いました。
でこぼこ頭に帽子をかぶせるのが、最後の一仕事でした。
やっと完成しましたが、なんだかかわいくない。
文化人形は、筒状に縫った袋に木毛を詰め、それを絞って頭と胴に分けてあるだけのシンプルなつくりなので、絞る場所や絞り方によってずいぶん感じが違ってくるのです。
「なぜかわゆくないの?」
最初から参考にすればよかったのに、できあがってから本の写真と比べてみました。
目が上の方にあり過ぎます!顔の膨らませ方も足りなかったみたい。
あぁ~ぁ。
それでも母に見せに行きました。
懐かしがってくれたら置いてきてもいいと思っていました。
ところが、開口一番、
「へぇぇ、人形人形って、最近幼児返りしているんじゃないの?」
「.....」
それはないでしょう、お母さん。
「スカートの布がかわいいわね」
セットになっていた布を褒められても、何の慰めにもなりません。
母も人形好きでしたが、自分でつくらなくなったらすっかり関心をなくしています。
しかも、母はまさちゃんに人形をつくってあげたことを、まったく覚えていませんでした。
共通の体験を話し合うとき、いつも母は私の覚えていることはことごとく覚えていなくて、私が忘れてしまっていることは、微に入り細に入り覚えているのです。
もちろん人形は持って帰りました。
手直して、かわいくしてあげればいいのですが、その気力は今のところありません。
ところで、私が小さいころ持っていた文化人形は、たぶん就学前に、あえない最期を遂げました。
あまり薄汚いからと、お風呂に入れてあげたら、脱水機もない時代、いつまでも乾かず、足も手もかびて黒ずみ、見るも無残な姿になって、匂いまでひどくなり、とうとう捨てられてしまいました。
2012年6月17日日曜日
小皿
将来、家庭を持つのかどうか、何も確かでなかった学生のころから、お皿やお茶碗を買ってしまうところがありました。
これはそんな小皿です。新宿のデパートで見つけて、乏しいお小遣いの中から六枚も買って、長い間しまっていて、そして長い間使ってきました。
薄くできていて縁が欠けやすく、半分の三枚になってしまいましたが、今でも大切に使っています。
育った祖父母の家で、埃にまみれて物置の中に埋もれていたものです。
中国の影響を受けている、おめでたい蝙蝠と桃の模様です。
模様は、戦の旗印でしょうか。それとも舟の帆でしょうか。
夫の母が骨董屋で見つけて使っていて、 羨ましく見ていたものです。
今では我が家だけでなく、夫の兄弟たちの家にもあって、使うたびに、夫の父母がいた日々が思い出されるお皿です。
染めつけの模様って、本当におもしろい。
蛇とひょうたんの組み合わせって、いったいどういうことでしょう?
私が故事を知らないだけかもしれません。
貝のお皿は、ごくごく小さいお皿を探していたとき見つけました。
ビュッフェスタイルで食事をいただくとき、醤油やたれを入れて、大皿に乗せるのに便利かなぁと思って買いました。
昔は、ビュッフェスタイルの食事会もしていましたが、長いことやったことがありません。たぶんもうやらないでしょう。
貝のお皿は、今では、小さい種を乗せるお皿になっています
下の妹が、母の誕生祝いにつくった小皿です。
妹は、普段は草花など描いていましたが、母の誕生祝いにはいつも、昔飼っていた猫を描いたものを贈っていました。
これは、両親の家にいた、猫のケルちゃんとハイジです。
小皿は母が身辺整理したときに我が家にやってきました。
最初は、漫画っぽいので使うつもりもなく、転がしておいたのですが、なかなか使い勝手がよい形なので、最近はよく出番があります。
2012年6月16日土曜日
キューピー今昔
しばらく前のことです。
骨董市でがんこさんの大きな声が響いている方を見ると、人だかりができていました。
なんだろうとのぞいてみると、でんでん太鼓を背負った、人さし指ほどの大きさのかわいい這う子人形を数人が見ていて、がんこさんが、元気にうんちくを傾けていました。
「かわいい這う子!」
ふとそのわきを見ると、小さな汚れた人形が座っています。手にとって見ると、顔はキューピーのようです。
おやおや、こちらもかわいいこと。
右腕が壊れてなおした跡がありますが、つるつるすべすべして、絹の帯を締め、立派な耳をしています。
うんちくの合間を見つけて、キューピーの値段を聞くと、がんこさんが這う子人形の話をやめて、キューピーの話をしてくれました。西洋のものであるキューピーを、日本人形にしているのは、珍しいという話でした。
這う子を見ていた人たちの視線が一斉にキューピーに集中しました。
「あらぁ、キューピーがいたんだ」
「見えなかったわ」
そう、小さくて薄汚れていましたからね。
がんこさんはいつも優しいお値段。たくさんの目にうらやましそうに見つめられるなか、お持ち帰りです。
もし、「何かな?」とのぞかなかったら、私も見逃していたでしょう。だって、その前にがんこさんの店は一通り見ていたのですから。
手づくりのキューピーと打って変わった、フィギュアのキューピーです。
同じ型で、大量生産のものはおもしろみがないと言われているけれど、よくできていること。
新しいキューピーも捨てたものではありません。
足の裏に、DREAMS 2005と刻印されている、中国製です。
骨董市でがんこさんの大きな声が響いている方を見ると、人だかりができていました。
なんだろうとのぞいてみると、でんでん太鼓を背負った、人さし指ほどの大きさのかわいい這う子人形を数人が見ていて、がんこさんが、元気にうんちくを傾けていました。
「かわいい這う子!」
ふとそのわきを見ると、小さな汚れた人形が座っています。手にとって見ると、顔はキューピーのようです。
おやおや、こちらもかわいいこと。
右腕が壊れてなおした跡がありますが、つるつるすべすべして、絹の帯を締め、立派な耳をしています。
うんちくの合間を見つけて、キューピーの値段を聞くと、がんこさんが這う子人形の話をやめて、キューピーの話をしてくれました。西洋のものであるキューピーを、日本人形にしているのは、珍しいという話でした。
這う子を見ていた人たちの視線が一斉にキューピーに集中しました。
「あらぁ、キューピーがいたんだ」
「見えなかったわ」
そう、小さくて薄汚れていましたからね。
がんこさんはいつも優しいお値段。たくさんの目にうらやましそうに見つめられるなか、お持ち帰りです。
もし、「何かな?」とのぞかなかったら、私も見逃していたでしょう。だって、その前にがんこさんの店は一通り見ていたのですから。
手づくりのキューピーと打って変わった、フィギュアのキューピーです。
同じ型で、大量生産のものはおもしろみがないと言われているけれど、よくできていること。
新しいキューピーも捨てたものではありません。
足の裏に、DREAMS 2005と刻印されている、中国製です。
2012年6月15日金曜日
みんなで骨董市
先日、友人たちが来ていたので、一緒に骨董市に行った時のことです。
招き猫を集めていたことを知っているまるちゃんが、招き猫を見つけると、いちいち知らせてくれます。
「ねえねえ、あっちにあるよ」
「あれは、新しいもので中国製よ」
「なんだ。そうか」
はまちゃんは自分も古いものが好きなので、それどころではなく夢中です。
まるちゃんは、我が家でマトリョーシカを見たからか、マトリョーシカがあっても知らせてくれます。
見に行ってみると、色褪せたソビエト時代の伝統的なマトリョーシカ(セミョーノフ)でした。
その骨董屋さんは、六つ組み全部を一つに納めて、横に中に入っているマトリョーシカたちの写真をつけています。
開けてはみるなってことでしょう。
「いくら?」
「9000円」
「高い!」
私、まるちゃん、Tさんで、思わず声を合わせてしまいました。
「高いでしょうか?」
と、自信の揺らいだ骨董屋さん。
「高いよ」
いくらなんでも、希少でもない、色もわからないほど褪せたものを、ソビエトのシールがついているからと、9000円で売ろうなんて。
「ねえねえ、こっちにもあるよ」
とまるちゃん。
なかなかかわいいマトリョーシカです。
手にとって開いてみて、次のを開こうとして引っ張っても、かたい!
「ん?」
よく見たら、たった二つで終わりでした。
「それ、未亡人なんです」
と、それまで黙って見ていた骨董屋さんが静かに言います。
「未亡人はないな。一番外がお母さんでしょう」
「じゃあ孤児か」
100円均一の箱に入っていたので、もちろんいただいてきました。
家で落ち着いて見ると、大きい方には台座がついています。ということは、台座が一番外側だけについているのが、ロシア(ソビエト)のマトリョーシカの特徴ですから、最初からこれは二つだけ組みだったのです。
道理で、大きい方が丁寧に色つけされていたはずでした。
家にあった似たマトリョーシカの二人目は、もうこんな簡略化されています。
同じ場所で同じ時代につくられたものでしょうか。
まるで一つの家族のようでした。
2012年6月14日木曜日
牛と暮す、水牛と暮す
幅8センチ、長さ48センチの手つきの浅い籠です。ラタンでできていて、ちょっと窪みがついています。
しっかりできていて、茹でた枝豆くらいは乗りそうです。
こちらは竹の籠。
上はタイのもの、下はカンボジアのものです。
どちらも、牛や水牛がお米を食べないよう、口に食ませたり、かぶせたりする籠でした。
もっとも、タイ人もカンボジア人も心優しい人たちで、牛や水牛をそれは大切にしますから、めったに使うわけではありません。田んぼをつくっている期間は牛は放し飼いにはしませんので、口ふさぎは必要ありません。
お米の収穫期の、刈り取った稲をござの上などに置いて、牛に踏ませて脱穀するときだけ、この口ふさぎを使います。
かく言う私も、残念ながら使っているのは見たことがありません。
タイやカンボジアの稲は脱粒性が高く、牛に踏ませても落ちます。でも、田んぼの大きさ(収穫量)がそこそこのところでは、板に叩きつけて脱穀する方が一般的です。
タイの牛に食ます籠は、籠屋さんで売っていましたが、 カンボジアでは、自分の牛に合わせて、各家で手づくりします。
道端に雑草として生えている、細いラタンの方が手に入りやすいところでは、ラタンでつくります。
牛に関する道具と言えば、もう一つ思い出すものがあります。
これはプノンペン近郊の村の雑貨屋で売っている、牛を引く綱です。
パルメラヤシの葉柄を裂いて、硬くなってあります。
片方が「わ」になっているので、ここにもう一方の端を通して引いて閉めます。
牛の首に回す綱と、引く綱とわかれているのもあります。これだと、牛の首がどんどん締まっていきません。
村でしか買えない綱で、私の大好きなものの一つです。
縄がどうもうまくなえない私から見ると、感動的な美しさです。
というわけで、まだカンボジアで暮らす以前、時折行くことがあったころは、村を訪問するたびに欲しくなって、何本も買いました。
数えてみたら、まだ六本残っていました。
パルメラヤシは、植えておくと何年もヤシ砂糖が採れ、葉は籠、屋根、ござなどの材料になり、葉柄は裂いて、紐や綱になり、切り倒せば材木になるので、本当にプノンペン近郊の村にはなくてはならない万能樹です。
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