2013年8月8日木曜日
七夕飾り
久しぶりに晴れた月遅れの七夕の昨日、たけさんの竹林に竹をもらいに行きました。
しかし、テングス病がすごい!壊滅的です。
たけさんの竹藪だけでなく、どこの竹も似たようなもので、一見のどかな農村は、静かに何かに蝕まれつつあります。
元気そうな竹を切ってみました。
でもウドンコ病かしら、葉の裏は真っ白で、真っ白な小さい虫がついています。
もう一本切ってみたら、少しはましだったので、それをもらってきました。
もう長いこと七夕飾りから遠ざかっていました。今年こそはと、冬の間からハニカム・ペーパーを用意したりして七夕飾りにそなえていましたが、7月7日のあたりは天候も悪かったりしてパス、旧暦の七夕の、8月13日を目標にしていました。
まずは、松本のあたりの七夕に飾るという、人形(ひとがた)を二つてっぺんに飾ります。
人形は半紙大の薄紙の赤と白、青と白を重ねたものでつくるらしいのですが、取っておいた色つき薄紙はどこへしまったものやら、生成りの紙しか見あたらなかったので、しかたなく二体とも生成りを二枚重ねてつくりました。
単独で見るとまあまあですが、竹に飾るとなんだか色のせいで下着のままのように見えてしまうのが残念。来年はもっと素敵な紙を見つけたいものです。
折ったり切ったり、ひたすら飾りをつくります。
放射状に畳んで切り、網のように広がる飾りは、中心のあたりでうまく広がりませんでしたが、ただ四角いままで切って広げるのは簡単で、見栄えもするので、たくさんつくりました。
短冊は夫に書いてもらいました。
「なに、これ?」
やっぱり自分で書かないで、他人に書いてもらうと、数倍楽しめます。
「天の川」でなく、「天の空」なんて、天の邪鬼な人でないと、書けるものではありません。
完成した七夕飾りです。
小さい頃暮らした祖母の家は、川沿いにありました。
川は潮入り川、児島湾に通じていて、潮の干満で、流れる方向が反対になる川でした。塩が入っているので農業用水としては使えませんでしたが、シジミ採り、魚捕り、葦切りなどなど生活には欠かせない大切な川でした。
その川に、七夕が終わると、遠くからもみんな竹を川に流しに来たものでした。そんな光景が目に浮かぶ、久しぶりの七夕飾りでした。
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8 件のコメント:
いいですね、七夕飾り。御主人の短冊、とっても楽しいですね!子供の頃、父と一緒に川に流しにいった記憶が懐かしく蘇りました。
hattoさん
もう長いことやっていなかったので億劫な気持もありましたが、楽しかったです。
そう、自分の家のだけでなく、みんなが竹をかついできて川に流すのを見ていました。灯篭流しと言い、川とは切っても切れない関係で育ったのだと、改めて感慨深いです。
夫の短冊おかしいでしょう(笑)。あっという間に書きました。小さい頃、七夕飾りをしていなかったのでしょうかね。
わーい始まりましたね、楽しくみています。
願いことはなんですかーいっぱい下げてください。
旧でいけば星座も見やすい位置に昇りますが、
最近は良く見えません。
戦争中のサソリ座はきれいでしたよ。
昭ちゃん
昭ちゃんに背中を押されて(?押していない?)、久々の七夕飾りです。
小さい頃、毎夕縁台を道に出して、お隣さんも一緒に夕涼みをしましたが、天の川がくっきり見えました。最近は日本全体が明るくて、ちっとも見えませんね。田舎のここでも星はぽつんぽつんで、天の川は見えません。まるで空に穴が開いているような満天の星空を最後に見たのはいつだったでしょうか?
もうプラネタリウムで見るしか、、、。
明治時代さそり座のアンタレスと火星が並び「西郷星」と騒いだそうですね。
昭ちゃん
そういえば、小学校の修学旅行で大阪に行ったとき、初めてプラネタリウムを見ました。今なら感動するかもしれないけれど、当時、普通に見上げる夜空と全然違いませんでした(笑)。
地球全体の夜の衛星写真を見たことがありますが、日本は異常に明るかったのを覚えています。明るくしなけりゃ犯罪がって言いますが、夜は家にいるようにすればいいのですよね。
日本のプラネタリューム(天象儀)は大阪が最初で東京が二番目です。
東京は空襲で焼失、解説者は有名な野尻抱影先生でした。16
もちろんいまのような国産ではなく、ドイツ・カールツアイス社製です。
今は星座でもイラストが多すぎて想像の世界にはちょっと、、、。
時代ですね。
昭ちゃん
大阪は他にはどこへ行ったのかしら?確か京都も行ったはずです。でも覚えているのはプラネタリウムだけ(笑)。終わってぱっと明りがついたら、眠っている男の子がいました。みんなに笑われて寝ぼけていたときの様子、椅子の配置とか、そんなことが今でも残っているシーンです。
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