しばらく前に、ヤフーオークションで、『季刊銀花』10冊組みを買いました。
私は、七号からは、最後の百六十一号まで持っていますが、一号から六号までは持っていませんでした。
その昔、古書店に行ったときに、バックナンバーを探したこともありましたが、一桁の号が売りに出されることはまずなくて、二桁の号でさえ、びっくりするほど高額だったと記憶しています。ところが、なんと10冊で1400円という値段でした。
『季刊銀花』と言ってもその存在を知らない人が増えているし、本を持たない人が増えていることが、影響しているのかもしれません。
10冊の中に、3冊だけ、持っていない号がありました。
杉浦康平デザインの表紙は、最初から最後まで変わらなかったものです。
ところが、裏表紙を見てびっくり、三号と四号の裏表紙には、広告が載っていました。
五号はわかりませんが、六号からは、裏表紙も表紙同様、杉浦康平のデザインになっています。
『季刊銀花』は広告の少ない雑誌で、三号を見ると、裏表紙と、表紙と裏表紙の裏のほかは、たった一つ広告が載っているだけでした。
六号からは、その後定番になった縦の広告が、控えめに入っています。
持っていなかった号に目を通した後、持っている号もぱらぱらと見ていて、十八号(1974年)に、奥会津の昭和村の麻づくりの記事を見つけました。
大麻の葉に覚醒作用がなかったら、今でも麻づくりは盛んにおこなわれていたでしょうか。
十九号には、アイヌの手仕事も載っていました。
オヒョウやシナの木の皮をはいで、
糸にして、アツシを織っています。
アイヌの地機(じばた)がおもしろい、張った経糸(たていと)を外して、どこへでも持っていけます。筬(おさ)がなくて、刀杼(とうじょ)を使っています。筬がなくても、経糸の目が詰んだ織りものができたわけだから、刀杼は面白いと思います。
そういえば数か月前に、興味を抑えきれなくて、とうとうデンマークの刀杼を買ってしまったのでした。
麻の帯を織るとき、織り機とともに、この刀杼を使ったと思います。
刀杼は、持ち手を除いては、厚みが5ミリほどです。
1877年につくられたと、彫ってありますから、140年前のものです。
『季刊銀花』は、各号にいろいろな記事が載っています。
発刊当時はとても刺激でしたが、百六十号ともなると、前にも見たような記事がごちゃごちゃと載っているし、読みものも減っていて、さっと目を通しただけで、本棚に並べるようになっていました。廃刊もやむを得なかったと思います。
そして、「雑誌」の難点は、以前見た記事を、もう一度見たいと、探し出すのが難しいことです。
ときに、バックナンバーの記事内容が、巻末に掲載されることもありましたが、そのインデックス自体も見にくく、小さな記事など、探しても二度と見つかりませんでした。
それでも、久しぶりに目を通してみると、カテゴリー別に再編集されたら、今でも色褪せていない、興味深い記事が満載なことに、あらためて気づかされました。
4 件のコメント:
春さんの興味そのものが詰まったような雑誌ですね!センスの良いお料理本などを作っている文化出版局が作っていたのですね。
広告が少ないってすごいことですよね。逆に裏表紙に広告が載っていた号は台所事情が厳しかったのかなと推察します。
ヨーロッパでは木製の道具に製造年を刻印するのが普通だったんでしょうか~。ルイヴィトン展でも鉋などに年号が彫られていたのを思い出しました。
記憶の片隅にある小さな記事を探すの、大変ですよね(笑)。背表紙のタイトル睨んで「これだっけ?」と次から次へとページをめくることあります。
銀花に出会ったのは学生時代、学校の生協の中にあった本屋でした。
文字が一面に配されたデザインの表紙はとても斬新で魅きつけられました。
卒業後弟子入りした白磁の作家が銀花で特集されたことがあり、
雪の中での白磁の撮影や取材のていねいさに、こんなに時間をかけて雑誌は
作られるのかと思ったものでした。
この家に引っ越す時に、持っていたたくさんの銀花をともだちにもらってもらいましたが、
最近、内町工場などで気に入ったのをまた購入したりして、あらためてこの雑誌が
今見ても古びていないなぁと読み返しています。
若い頃、この雑誌からいろんな世界をのぞかせてもらったものでした。
hiyocoさん
最初の数号の裏表紙に広告があったのは、当時裏表紙に広告が載っていない雑誌はなかったから、裏表紙までデザインすると考えつかなかったのだと思います。
あのころ、高田賢三、三宅一生、コシノジュンコなど出て来て、文化出版局の『装苑』が一世を風靡して、儲かって、お金を考えずに広告なしの本をつくろうと理想に燃えたのだと思います。だから、4つくらいしか、広告を載せなかったのでしょう。でも、そうはいかなくて、二桁になってからの方が、目立たないようにしていますが、広告数は増えています。それでも、美しさは貫かれていましたね。
力の入った編集で、最初のころは文も多くて読みごたえもありました。金子みすゞの詩を初めて紹介したのも、『季刊銀花』でした。三野混沌、吉野せい夫婦などいろいろな詩人、作家も知りました。
ヨーロッパの道具には、よく年号が入っていますね。覚書みたいなものじゃないですかね?私の祖父母の時代には、日本でも誰もが道具に購入年を記入していたみたいです。何年使ったから、買い替えようとか、考えたわけじゃないでしょうけれど(笑)。
kuskusさん
そう、全然古びていないことには驚嘆しますね。私は一番最初は趣味人の叔父に見せてもらいました。写真をぱらぱらと見たところでは、「お金持ちしか関心持たない本だ」と鼻でせせら笑って、確か叔父にもそう言いました(笑)。
ところが、友人宅、夫の両親宅などで、目にする機会が多くなって、じっくり見るとおもしろい、とりこになってしまいました。日本にいない時期にも、『季刊銀花』だけは、母に手紙を書いて買ってもらっていました。
写真もきれいでしたね。陶器磁器や漆をつくる友人もいろいろ載っていました。
今は、面倒で背表紙を見るだけですが(笑)。
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