2023年7月19日水曜日

でんでん太鼓のばたばた


福岡県甘木市の甘木山安長寺のでんでん太鼓、ばたばたです。
正月14日の初市で売られ、子どもの健康な成長を願う縁起おもちゃとして、産室や子ども部屋に置かれました。
竹の持ち手を両手ではさんで、掌を前後に動かすと、大豆が紙の太鼓に当たって、ばたばたと音を出します。
旧記によると、千年の昔、甘木山開祖のころ、市が立つことになり創作されたものとされています。また、唐から長崎に伝来した豆太鼓の製法を加味したものとも言われています。


かつて、でんでん太鼓は子どもをあやすおもちゃの代表でしたが、最近は全然見ません。


でんでん太鼓は子守りさんの必須アイテムでしたが、子守りさんが消えたので、でんでん太鼓も消えたのかもしれません。


諸節ありますが、でんでん太鼓のルーツはチベットの典礼音楽に用いる法具の「ダマル」と言われています。 
さて、脱線しますが、ダマルをネットで調べていたら、小泉文夫記念資料室にダマルが収蔵されているとの情報が出てきました。記念資料室には小泉文雄さんの集められた、たくさんの楽器、図書、楽譜、写真、音源などが収蔵されていて閲覧も可能とのこと、まったく知りませんでした。


日本で、誰もが西洋の音楽しか注目していなかった時代に、小泉文夫さんは世界中を旅して民族音楽を集め、日本に紹介しました。


『民族音楽研究ノート』(小泉文夫著、青土社、1979年)の見返しにはご自身で描かれた民族楽器の絵が乗っていて、その中にダマルもあります。


脱線の上に余談ですが、私はじつは小泉文夫さんとは、電話でお話したことがあります。週刊S誌に誰でも知りたいことを訊けるコーナーがあって、それにガーナから持ってきたザイラフォンの、瓢箪に開けた穴に張った「まく」が破れたので修理したいけれど、どうしたらいいかということを手短に書いて載せてもらったところ、小泉文夫さんから、家に直接お電話をいただいたのです。
ザイラフォンの穴に張ってある紙のようなものは川魚の浮袋とのことでした。でもソーセージの袋(豚の腸)などでも代用できると教えていただきましたが、結局修理しないまま現在に至ってしまっています。個人情報保護法などないおっとりした時代の、貴重な経験でした。


民族音楽も簡単に耳にする時代になりましたが、早世された小泉文夫さんがもっと評価されてもいいと思っていた私が知らなかっただけで、音楽家の伝記を書いているひのまどかさんという方が、ショパンやベートーベンの伝記とともに小泉文夫さんの伝記『音楽家の伝記 初めに読む1冊 小泉文夫』(ひのまどか著、 ヤマハミュージックエンタテイメントホールディングス、2022年)を書いていらっしゃいました。
そうそう、大評価されるべき方です。


そんなところに、久しぶりにFacebookをのぞいたら、友人のMさんが坂本龍一の自伝『音楽は自由にする』(新潮社、2009年)の、小泉文夫さんとのことを書いているページを載せているのを発見しました。
以下、『音楽は自由にする』の1ページです。

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 そういうわけで、芸大では民族音楽学の小泉文夫先生の授業に出ると決めていました。表向きは大学解体なんて言っていましたが、大学に入って小泉先生の授業を受けるのを楽しみにしていたんです。
 小泉先生の授業には欠かさず出席しました。先生は1年の3分の1くらいは世界各地でフィールドワークをしていて、ジャングルの奥地にも分け入って先住民族の音楽を録音し、それを授業で聴かせてくれる。お宅に遊びに行くと世界各国の民族楽器があって、もちろん音もちゃんと出る状態で、小さな博物館のようでした。
 先生は世界中を飛び回って、音楽だけでなく世界各地の言語もすぐ習得して、しかも都会的で洗練された人でした。とにかくかっこいいんです。3年生で専攻を変える機会があったのですが、ぼくは小泉先生にすっかり憧れて、作曲専攻はやめて音楽学者になろうかと真剣に悩んだくらいです。やっぱり無理だな、という結論に至りましたが。
 先生はインド音楽を入り口にして民族音楽の研究を進めていった人ですが、ビートルズもインド音楽に影響を受けています。でもビートルズの場合には、インド音楽をいわばアクセサリー的に使っていた。遠いところにある音楽を、飾りとして使っているだけ。この頃のぼくは、そんなの冗談じゃない、もう気持ち悪いと思っていた。
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以下、インドの音楽はたかだか500年くらいのヨーロッパの音楽とは比べものにならないという文が次ページへと続いていました。

でんでん太鼓に戻ります。


ネパールにはダマルを元にした子どものおもちゃ、素焼きのでんでん太鼓がありました。


韓国のノド(路鼗)

『中国の民間玩具に魅せられて』(斉藤真木子著、文芸社、2006年)より

中国のでんでん太鼓。


我が家には鹿児島神宮から運んで来た大きなでんでん太鼓がありますが、引っ越しの繰り返しなどで、紙が破れたり、太鼓を打つ大豆が取れたりしています。


放りっぱなしでしたが、豆をつけてみました。
と言っても、大豆がなかったので、ジュズダマです。紙が両面とも破れているのであまりよい音ではないけれど、鳴るようになりました。


さて、甘木山安長寺のばたばたは、袋に入れて箱に入れたままにしています。出して飾れば鹿児島神宮のでんでん太鼓のように劣化します。飾るべきか、箱に入れたままにしておくか悩むところです。
ビニール袋には、「意匠登録443709号」と書いたラベルが貼ってありました。昭和48年に出願され、51年(1976年)に登録されていました。


ネットで探した意匠登録の絵を見ると、正面が男の子で背面が女の子になっています。


ところが、手元にあるばたばたは、2つとも正面は男の子と女の子の顔で、背面は安長寺の印だけになっています。かつて、片面が男の子でもう片面が女の子のばたばたがつくられたことがあったのでしょうか?









4 件のコメント:

hiyoco さんのコメント...

週刊誌のお話、すごいですね!小泉さんから直接電話がかかってくるなんて。いい時代でしたね。
でんでん太鼓の豆の代わりにジュズダマは、最初から穴があいていていいアイデアです。
小泉文夫さんのお名前が文雄さんになっているので、直しておいた方がよいかと。春さんのブログには巡り巡って辿り着く方がよくいらっしゃるので、その方たちがこのお話を逃したらもったいないです!

はるか さんのコメント...

こんにちは。私は今年の6月からこのブログに出会い、読むと世界が広がりわくわくし、毎日の楽しみになっています。大阪の民博や網走の北方民博に行った時と同じ気持ちになるのです。今回のブログを読んでお伝えしたくなりました。いつもありがとうございます。

さんのコメント...

hiyocoさん
名前のご指摘ありがとう。大きく名前を冠した本の写真まで出しておきながら盛大に、何度も間違えていましたm(_ _;)m
ダメでしたね、頭ッから疑ってなかった。ありがとう。

さんのコメント...

はるかさん
コメントありがとうございます。楽しんでいただけて幸いです。
大阪の民博は1990年代に数年間会員になって機関誌を送ってもらったりしましたが、博物館にはたった一度しか行けませんでした。わくわくしっぱなしでしたが。
北方民族博物館は、行ったことがありません。今「北方民族の編むと織る」展をやっていますね。北海道の友人には連絡したのですが、彼女はもともと行くつもりだったようですが、自分では行けそうもありません。
これからもよろしくお願いします。