2024年7月3日水曜日

福島の箕

毎月3日は箕の日、箕の日に勝手に協賛です。

織物教室の先生の近藤由巳さんは、昨年10月に亡くなられましたが、ご遺族のご厚意で、今でも遺影の飾られた教室で、最後の生徒たち3人が月に2回集まり続けています。
私たちは、もたもたしては、
「ちゃんと教えたでしょと言いたいところだろうけれど、まぁ、そう怒らないで」
などと、遺影に語り掛けたり、ときおりわからないことがあると、
「出てきて、何とかしてよ」
などと理不尽なことも言いながら、続けています。どなたが置いたか遺影は、私たちの方は向かず、いつもそっぽを向いていますが。

その織物教室で、Kさんが体調を崩してお休みしてSさんと2人だけのとき、どうしたいくたてだったか箕の話になりました。
Sさんが福島県の道の駅で美しい箕に出逢い、思わず買わずにはいられなかったこと、そのつくり手さんに手紙を出すと、
「廃業するので、残っている箕をさしあげます」
と、箕を2つ送ってきてくれたそうです。よっぽど素敵な手紙を書いたのでしょう。
私はその箕が見たくてたまらなくなりました。ちょうど、箕の本をいただいたころで、次回にSさんに箕を持って来てもらい、私は箕の本を持って行くことになりました。

福島県には、2011年の原発事故で材料採取地が汚染されてやむなく廃業された「小高箕」や二本松の「大田の箕」があり、どちらもとても美しい箕です。


Sさんが持ってきた箕は、大田の箕でした。
材料は篠竹(アヅマネザサ)、藤、ヤマザクラ(エゾミヤマザクラ、ミヤマザクラ)、ガマズミなどです。


桜の皮の使い方が美しい。両脇に桜を使っているのも素敵です。
大田の箕に関しては、「よなべの会」の詳しい報告があります。


こんなに素敵な箕づくりを廃業されたこと、残念の一言に尽きます。
つくり手の高橋さんは、藤をむしばむ虫についていたく気にしたいらっしゃるとの記事を読んでいたので、Sさんの箕はどうかと見てみました。


残念ながらところどころに虫食いの跡がありました。

私はいくつか藤を使った箕を持っていますが、古いのも新しいのも虫に食われていません。
大田の箕の材料集めは篠竹だけでなくすべて晩秋から冬の間のようですが、この採集時期が藤に虫がつくことと関係しているのでしょうか? 材料採集には長い経験をお持ちの職人さんがそんなことを見逃すはずがない。なぜ、大田の箕の藤が虫に食われるのか、ほかの地域の藤も虫に食われるのか、よくわかりません。もっとも、そのあたりは『自然を編む知恵と技 箕』をしっかり読めば書いてあるのかもしれませんが、まだ、斜めにしか読んでいません。











2024年7月2日火曜日

SIDE BY SIDEの家具

温かくして寝るのがわりと好きな私たちも、毎晩汗をかくようになりました。さすがに布団はやめて夏掛けにしようと、使っていた布団を数日洗濯物干しに掛けて乾燥させて、仕舞いました。


布団を仕舞った後、物干しも仕舞おうとして、いつ見ても使うのが楽しい物干しの姿に、しばし見とれてしまいました。10年以上使っているものですが、飽きない。飽きないから大切に使っています。


ビニールコーティングした紐は劣化するかしら? と、当初ちょっと心配しましたが、劣化の気配もありません。


木は、経年により色が濃くなって、新しいときよりいい感じに育ちました。


ドイツのSIDE BY SIDEという工房の製品で、SIDE BY SIDEでは、障がい者と健常者が一緒になって家具をつくっています。


全体の美しさは細部によって決まるもの、細部の仕上げは職人さんの技が結集しているところです。


SIDE BY SIDEのアイロン台も重宝しています。
最初デザインを見たとき、自分でつくれるかもしれないと考えました。


でも、実際にはとても複雑なつくりで、特殊な金物などもいろいろ使っているし、無理だったことでしょう。


替えカバーもついていましたが、昔のように毎日アイロンをかけるということもないので、なしで行けています。
湿気の多い時期には木が膨張して、開くときキシキシと音をたてますが開きにくいということはありません。レバーでどんな高さにも調節できます。


畳んだ時には脚が上下に飛び出すので、どちらを下にしてでも、安心して置くことが出来ます。







 

2024年7月1日月曜日

本を愛でる

今更ですが、紙の本と電子書籍はまったく別ものだと得心しています。
漫画も含め、電子書籍を何度か買ってみましたが、あまり読む楽しみを味わえず、買うのはやめてしまっています。
紙の本は、文を読むだけでなく、文字の形や配置、行間も楽しみ、指で紙をめくるときの感触にも喜びがあるのだけれど、電子書籍だと脳の別のところを使って内容だけを追う感じです。


とくに、意匠が好きな本は、何度も開いて、触ってみる楽しみがあります。
たとえば『読む時間』(アンドレ・ケルテス著、創元社、2013年)は、ハードカバーで、布地のような表紙には、原題の『ON READING』と著者の名前だけが記されているのですが、カバーをかけたままで文字が見えるようにデザインされています。


見返し紙はスカーレット(黄色味のない深紅)のラシャ紙、中の写真はすべてモノクロームですが、表表紙と裏表紙の見返しの鮮やかな色が本を華やかにしています。
『読む時間』は、文字通り、本と本を読む人の写真ばかりです。アンドレ・ケルテスの住むアメリカでの写真がおもですが、旅行先での写真もあります。


1915年、ハンガリーのエステルゴム。


1929年、フランスのパリ。


1944年、ニューヨーク。


1962年、ブエノスアイレス、アルゼンチン。


1968年、京都。


1969年、ニューヨークのワシントンスクエア。


1970年、同じくニューヨークのワシントンスクエア。

スマホも絵になる時代がやってくるのでしょうか?


素敵な本と言えば、『故郷 朝鮮近代文学選集=8』(李箕永著、大村益夫訳、平凡社、2017年)も、美しい本です。ただし、朝鮮近代文学選集のほかの巻は、私的には今一つですが。


カバーを取ると、ハードカバーの表紙は陰陽太極図がデザインされているおしゃれなもの、


淡いクリーム色の紙も素敵、550ページを超える長編なので2段組みになっています。
戦前の農村社会が描かれていて興味深いのですが、登場人物が多すぎて、頭の中がすぐごちゃごちゃになり、なかなか読み進むことができずにいます。


そういえば、漫画の表紙は、『舟を編む』も素敵だったけれど、『たまのこしいれ』(森田梢子著、集英社)の表紙も斬新でした。
『たまのこしいれ』は、なんと『アシガール』の続編、江戸時代版です。『じゃのめのめ』も別の角度からの『アシガール』の続編です。





 

今年の草刈り

土曜日には、集落あげての林道の草刈りがありました。
ほとんど人の通らない林道、草木は両側から生い茂り、コンクリートの上に積もった1年分の落ち葉は半分土になっていました。
前日に雨が降ったこともあって、熊手で路上の堆積物を両脇に片づけるのは重い、かなりの重労働でした。


ポカリスエットと菓子パンが配られて休憩した時気づきました。22年前、草刈りに初参加した時と、顔ぶれが全然変わってないことに!
しかも、施設に入ったり亡くなった人たちもいて、人数は半減しています。空き家も知っている限り3軒できました。一時、「若返ったなぁ」と思った年があったのだけれど、若い連中はいつの間にかいなくなって、今では元の顔ぶればかりです。


ということは、みんな等しく22歳年を取ったということ、しかも人数は半減ですからきついのは当たり前です。
ただ、2本の道のうち、1本はそこそこ車も通り、最近は勝手にキャンプする人もいたりして、自然がすごい勢いで道に押し寄せているという感じではないのが助かります。


道の両脇にカラムシやアカソが立派な葉を広げているところがありました。上布が1反織れるほど生えていましたが、容赦なく刈り倒します。

ふもと近くに降りてきたとき、
「あらっ、こんなところにも貧乏草が生えるんだねぇ」
と言ったおばちゃんがいたので、
「貧乏草ってどれですか?」
と訊いてみました。
「これこれ。白い花の咲いているやつ。本当はハルジオンと言うんだけどね」
そうか、我が家で私も戦っているハルジオンは貧乏草か、妙に納得した地方名でした。

軽トラックを山の上の出発点に停めておいて、草刈りが進むにつれて停めたところまで登って、車を移動させたので、山道を1往復したはずなのに、歩いた距離は7000歩。なんだ、我が家で大工仕事をしているだけでもっと歩くことがあります。