母が、妹と同居することになって身辺整理をしたとき、
「お父さんの尺八を貰ってくれる?」
と言われ、数十年ぶりに布袋に入った父の尺八を見ました。祖母が亡くなって、住んでた家を畳んだとき、両親の家に持ってきたものでした。
母の頼みならゴミでもなんでも引き受けていた私は、もちろん二つ返事で貰ってきました。
若い頃の父が、どうして尺八を持っていたのか、不思議でした。
というのは、一度も吹いているのを見たことがないからです。いったい、音を出せるのかどうか、それさえ知りません。
小さい頃、祖母の家には尺八が一本だけでなくもっとあったような気がします。ハーモニカもたくさんありました。厚みがあって、穴のいっぱいあるハーモニカもありました。
さらに、父のものだというポータブル蓄音機とともに、クラシックのレコードもたくさんありました。
ところが、私は一度も父がハーモニカを吹くところも見たことがないし、レコードを聞いていたのも見たことがありません。
音楽好きだったとは、とうてい思えません。
父が鼻歌を歌っているのも聞いたことがありません。
そんなことを確かめてみることもなく、父は亡くなりました。母と違って、思い出話もほとんどしない人でした。
尺八は今、飾り棚の一角に、ブリキのポンプと仲良く収まっています。
私?
もちろん、音も出ません。
2 件のコメント:
春さんのお父様も、きっと蒐集することがお好きで趣味のよい品々を手元に集めておられたのではないでしょうかね。博物館のような春さんコレクションはお父様の筋だということでしょうかね。尺八、素材にする竹で音色が随分違うと聞きました。先日、伯父の隣家が取り壊しになりそこに使われていた煤竹を県外から貰いにきたという話をしていました。明治以前の建築だったそうで、いいかんじに乾いているからとのこと。お父様の尺八も、誰かが演奏してくれると嬉しいですね。どんな渋い音がするのかなー。
hattoさん
父は本以外、何か収集することはありませんでした。戦前、父の妹へのお土産にフランス人形を買い、戦後私の息子たちへのお土産にソフビのドイツ人形を買ってきたことがありますが(どうして息子たちに女の子の人形?)、何かに執着することもありませんでした。ただ、何でも捨てるのは嫌いでした(笑)。
だから、母の身辺整理もは大半は父が捨てなかったもの、残りは妹たちが持ち込んだもので、その父が遺したものは、祖母が捨てなかったものだったりして(笑)。
祖母は父の小学校の教科書なんかも取ってありましたが、あの頃はものが少なく、とっておいても生活を脅かすほどではありませんでしたね。脅かされるようになったのは、輪ゴムとかビニールとかを祖母が何でも取っておくようになってからです。
尺八は、昔々、母の弟が演奏してくれて、聞いたような気もします。ハーモニカは小さい頃よく遊びました。
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