「明日骨董市やっているのはどこだ?真岡の大前神社か?」
土曜日に夫が言いました。
「ううん、ひたちなかの一乗院よ」
「行ってみようか?」
「OK」
夫にしては珍しい提案ですが、私に骨董市を断る理由はありません。というわけで、四年ぶりくらいに、一乗院に行ってきました。
一乗院の骨董市には、フリーマーケットや食べ物屋さんがどんどん混じってきていて、雑然としてはいましたが、人出は多く、妙に賑わっていました。
「あっ、競りをやっているよ」
「前からやっていたじゃないか」
お墓のすぐ傍でやっている競りには、二十人ほど群がっています。
「揚げもの屋さんがいなくなっちゃったよ」
揚げもの屋さんと、お寺で出している冬の甘酒は、夫の一乗院での最大の楽しみだったので、がっかりしています。
「この店、前はいつも美空ひばりの歌をがんがん鳴らしていたよね。人が変わったんだね」
「魚の干物屋さんもいなくなっちゃった」
なんて、しばらくは変わりっぷりを見つけ合っていました。
毎月近くの骨董市で会う、馴染みのさわださんのお店は、前と同じところにありました。
「さわださん、私一乗院に来たの四年ぶりくらいよ」
「えっ、嘘でしょう!えっ、そうかぁ?」
スペースの広さが違う(狭い!)からか、客層が違うからか、さわださんの店先に並んでいるものも、ちょっと違って見えます。
その日は観光地や温泉土産のこけしやら人形やらが段ボール箱で三箱も四箱も置いてあり、その中から、あれもこれもと山のように選んでいる人たちがいました。
「それは、300円。あっその箱は全部100円」
と、さわださん、はりきっています。
轆轤で引いたままごと道具の中の、バケツを手に取ると、
「それは、300円」
と、相変わらず、値段を連呼するさわださんでした。
さわださんの隣の店には、以前と同じ、細々としたものを並べた女性が座っていました。
何かあるかな?
招き猫を手に取ったら、
「それ、笠間焼ですよ」
「えっ、笠間焼?素人がつくったのかと思った」
「素焼きの笠間焼よ。絵をつけたのは私なの」
「あはは」
描いた本人の目の前で、素人と言ってしまいました。
その上、
「首のところには、紐を通す穴が開けてあるのに、なんで首輪が描いてあるんだろう?」
とも言ってしまいました。
「じゃぁ、これもらおうかな」
「えぇっ、いいの?」
彼女が描いたとなると、最初手に取ったときより関心が増した私でしたが、素人と言われて、売ることは期待していなかったようでした。
「ケースの中の射的猫も見せて」
一番奥の小さなケースは、その前にいっぱい並べてあるので、手どころか目もよく届かないのです。
「これ?かわいいでしょう。猫が好きなの?」
「好き、好き」
「私も好きなの」
射的の的は数あれど、猫が最もかわいいと思うのは、私の欲目でしょうか。
というわけで、猫が二匹増えました。
4 件のコメント:
骨董市にはときどきいきます。
丸善インク(昔はインキでしたね)の陶製補充ビンがありました。
値段も手頃で一輪挿しにと考えましたが
戦争末期のいろいろな思い出につながりやはり手が出ませんでした。
いつまでも引きずっています。(笑い)
昭ちゃん
海軍のお皿とか、けっこう戦時中の物の品揃えの多い骨董屋さんもいますが、私もだめです。私の父もたった一片の思い出話もせずに亡くなりました。
ところが母の弟は、よく話してくれました。シベリアに抑留されていて、私が小学生の頃帰国したのですが、帰った当時、叔父に会うとシベリアの話をせがむのが楽しみでした。トイレが凍って、お尻を突き刺すので、排せつ物をつるはしで掘り起こす話、おしっこが途中で凍って氷のアーチができる話(たぶんうそ)、全部面白おかしい漫画付きの話で、大笑いでした。
だから、戦後何年もたってから、悲惨なシベリア体験を絵にして訴えた人たちに、どうにも違和感があって(笑)。まあ、叔父がいつでも今を楽しめる人であったということだと思いますが。
トイレの話は復員した同級生から聞きました。(シベリアで10年の刑)
氷割りは初年兵の仕事で内務班に戻ると飛んだ氷片が溶け出して臭いとか、
収容所の伐採作業はマイナス45度まで働かせたようです。
樹木の水分が凍って刺さるそうです。
ウオッカにも強いわけですね。
昭ちゃん
叔父はお酒強かったです。ウオッカで鍛えたというわけではないでしょうけれど、大酒飲みでした。社会科の先生をしていたのですが、お休みには古墳を掘りに、あちこちを駈け廻っていました。
いつも面白い話を聞かせてくれました。でも、その大酒がたたって、母の五人兄弟の中で、一人だけ先に逝きました。
お墓には、自分の描いた自画像(漫画)の、手足目鼻のついた瓢箪が盃を持っている絵が刻んであります(笑)。
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