広島から、古い友人のにしきおりさん、そしてその友人で、仕事など一緒にされているともこさん、ナスリーンさんがいらっしゃいました。
ナスリーンさんは、歴史などに造詣が深く、前々から岡倉天心の建てた六角堂を見たがっていたそうです。
で、よい機会だからと、六角堂のある五浦(いづら)の近くの勿来駅で待ち合わせしました。
勿来(なこそ)駅の前には、銅像が立っていました。
「これは誰?」
「勿来の関」とはよく聞きますが、源義家と関係があるなんて、ちっとも知りませんでした。
五浦にある横山大観のお墓の前のナスリーンさん。
ナスリーンさんは、スイス国籍のイラン女性で、著書に、『LAST BOAT TO YOKOHAMA』(NASSRINE AZIMI and MICHEL WASSERMAN著、THREE ROOMS PRESS、2015年)や、『ベアテ・シロタと日本国憲法』(ナスリーン・アジミ、ミッシェル・ワッセルマン著、岩波ブックレット、2014年)などがあり、日本国憲法に男女平等の条項を入れた、ベアテ・シロタ・ゴードンのことを書いています。
六角堂入口。つきあたりに海が見えます。
崖を降りていきます。
瀬戸内海はどこから見ても、海の先に島が見えます。
というわけで、広島に住んでいるみなさんには、水平線の見える太平洋は、とても新鮮なようでした。
六角堂が見えてきました。
2011年3月11日の地震の日には、30分後に押し寄せた最初の津波で、六角堂は台座板を残して、根こそぎ流されてしまいました。
そして、約一年後に再建されました。
六角堂の足元のずっと下で、海は寄せて返しています。
岡倉天心の設計で、1905年に建てられた、瞑想の場所としての六角堂。
当初はガラス戸が入っていたのかどうか知りませんが、今は新しくつくられた「手づくりガラス」が入っています。
新しくつくった、「手作りガラス」を初めて見ましたが、素晴らしい!昔はつくることができたので、今でもつくれることは当たり前ですが、そんなことができるなんて考えてもみませんでした。
たぶん、平らなところにガラスを流してつくるのだと思いますが、あちこちに皺が寄ったり、気泡が入ったりと、とても風情があります。
といっても、昔はもっと小さなガラスしかなかったことでしょう。
そのガラスを通すと、まっすぐな水平線も、ぐにゃぐにゃとゆがんで見えます。
この隣の浜には何度も降りたことがありましたが、六角堂を訪れたのは初めてでした。
一段高いところに、岡倉天心の家があります。
こうやって見ると、海はとっても遠くですが、ここも津波は押し寄せ、床レベルまで到達したそうです。。
この写真の左手に天心の家があります。
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