2016年5月10日火曜日

100年前の衣装


『100年前の写真で見る、世界の民族衣装』(ナショナル ジオグラフィック編著、2013)です。
アメリカの雑誌、『ナショナルジオグラフィック』は、1888年に創刊、いろいろな記事を写真とともに紹介してきましたが、その古いアーカイブの中から、100年前の服装がわかるような写真を集めて、一冊の本にしたものです。


この本を見て感じるのは、衣装にも生活にも、100年前にはこんなに多様な地域性があったのに、今ではほとんど失われてしまっているということです。


女性もですが、特に男性は、今では地球のどこで暮らす人たちも、ほぼ同じ格好をしています。


民族衣装を身に着けるのは、お祭りや結婚式と言った特別のときだけ、日常生活からは失われてしまっています。


とくに働き着、農民や漁民、羊飼いなどの人たちが美しい衣装を身に着けているのを見ると、適当なものを着て過ごしている自分が恥ずかしくなります。


ただ、この本のつまらないところは、キャプションに「民族衣装」という言葉や、「伝統的な衣装」という言葉が多すぎることです。
「わかっているよ」
と、うっとうしくなるほど、繰り返し出てきます。


そんな、ありきたりの説明より、当時のナショナル ジオグラフィックの記事の一端を紹介するなり、衣装の多様性の見事さ、失われたことへの思いなどを、もっと記してもらいたかったと思います。


自社手持ちの写真で、安易に本づくりをしてしまった感が否めません。


ともあれ、多様な写真は見る者に語り掛け、たった100年でこんなに多様性が失われてしまったことを、考えさせられる本であることは間違いありません。


いまでは舞踊などでしか目にできない衣装をまとったカンボジアの女の子の姿のかわいいこと。


シリアの女性の服装は、パレスチナの博物館で見たことがある、お馴染みのものです。
ベツレヘムの大学で開催された、民族衣装のファッションショーを見たこともあったので、あのときの感動を思い出しました。


この家族写真、見れば見るほど面白い。
まるで、衣装には、男物も女物も存在しないがごとくです。





4 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

 ジオグラフィック誌は私の一番好きな本の一つです。
写真が非常に鮮明で自然史関係の資料はほとんど集めました。
確か100年前の日本もあったような。
サイズも手ごろですね。
「写された幕末・甦る幕末・100年前の日本」など
戦前までの庶民の生活は徳川時代から続く
「知足安分」ですね。(私の独断と偏見です)
短絡する人がいるので、、、、

さんのコメント...

昭ちゃん
知足安分、いい言葉ですね。なかなかその境地には達しませんが、いつも目指したいと思っています。人間、自分のできることは自分でする。もともとそういう生き物だったのですからね。

最近、『村に火をつけ、白痴になれ、伊藤野枝伝』という本を読んで、大杉栄や伊藤野枝が一気に身近になりました(笑)。当時、国家が権力をふるっているのは知っていましたが、自分たちで何とかすると考えずに、「国に何かやってもらおう」という人たちもまた、いっぱいいたのですね。そんな人たちが増えたのは、この半世紀だと思っていたのに(笑)。

「おいらはおいらたちで生きている」
どこでも、そんな生き方をしていたのに、みんなつぶされてしまいました。

昭ちゃん さんのコメント...

九州にくる直前まで米軍基地で働きました。(YOKOHAMA.QM)
GIが日本だーっと戦闘をした沖縄の印象を聞いたら
「南方と同じじゃーないか」っと感じたそうです。
昔の田舎はどこでも同じですよね。

さんのコメント...

昭ちゃん
縛りあう、きついところもあったかもしれないけれど、みんなで助け合うよいところが、失われてしまいました。このあたりでも、公道の草刈りなど参加できない人はお金で清算します。昔の「結」みたいな助け合いは失われ、近所のおばあちゃんの話だと、貧乏人には、昔より容赦のない社会になってしまったとのことです。
沖縄は、泡盛は今でもタイ米でつくっているけれど、踊り、お墓など東南アジアや中国などとの共通項がいっぱいです。琉球は、今では日本の端っこのように見えますが、実はあちらの方が玄関で、本州の方が奥座敷でした。500年も前から、琉球が盛んに、果敢に交易をしてくれたおかげで、鎖国していたとはいえ、日本も潤っていたのですね。