2017年6月27日火曜日

花巻人形


花巻土人形の招き猫です。
2011年の地震で割れましたが、お顔がそっくり残る割れ方だったので、いまだに捨てないで、持っています。


「葛籠の中」から借用

元々はこんな姿でした。
製造元に注文して、数年待って、やっと手に入れた猫でしたが、割れてみて、びっくりしました。



土人形ではありませんでした。
石の粉か石膏の粉をどろどろにしたものを、型に流し込んで成形しています。

花巻人形は十八世紀初頭からつくられているもので、地元では、「カラケヅンズゴ(かわらけ=土の焼き物+人像子」と呼ばれて親しまれてきました。

すべての事象は世につれて変化するもので、手仕事も変化なしとはいきません。土人形もだるま窯や登り窯ではなく、電気やガスで焼いても、一向にかまわないと思います。
でも土人形は、今では子どものおもちゃではないからこそ、後世の人が見てもなるほどと思うような仕事をして欲しいと思うのです。
絵つけが手が込んでいるとは言え(もしかして、アクリル絵の具?)、花巻土人形は値段も、私が手に入れたときよりさらに高額になっています。それなのに流し込みとは、ちょっと寂しすぎます。

こうしてみると、昔ながらの形を重んじ、使う土、つくり方、彩色の顔料などにこだわって人形をつくられている「いまどきさん」の仕事が、とても貴重なものに思えます。



さて、気を取り直して、花巻の古い招き猫です。
花巻の招き猫の顔に黒いところがあるのは、顔に煤がついているのを表現しているからです。猫の顔に煤がついているのは、家が繫栄するしるしで、縁起のいいものとされてきました。
いつも竈(かまど)に火が絶えない=十分食べられるということなのでしょう。



花巻の猫を見ると、フィリピンの北ルソンの竈猫を思い出します。似ていませんか?
北ルソンの農家に行くと、たいていどこの家にも、高いところにしつらえられた竈の灰のなかに、猫がうずくまったり、潜り込んだりしていました。
竈から追い立てられて出てくる猫はどれも煤色で、いったいどんな毛色の猫かまったくわかりません。
花巻の囲炉裏の中にも、そんな猫たちがいたのでしょうか?



左から見た姿と、後ろ姿です。どちらも可愛いけれど、
 

右から見た姿の可愛さは、格別です。
 

底に貼った紙に、何か字が書いてありました。
作家さんのお名前かとも思いますが、残念ながら破れてしまって読めません。

追記:

これを書いてから4,5年後に、頭の黒い猫は花巻の猫ではなく附馬牛の猫と判明しました。間違っていたことを知ってからも放置していましたが、2023年9月4日に訂正します。

追々記:

hiyocoさんのご指摘で、附馬牛人形と思った頭の黒い猫はやっぱり花巻人形だったと、再訂正いたします。






10 件のコメント:

NANAO さんのコメント...

花巻の猫は実際にこういう猫がいたって、何かで読んだことあります。
僕はまだこの猫を買ってないんですよね。
そのうちそのうちなんて言ってたら、買いそびれました。

kuskus さんのコメント...

宮沢賢治の童話「猫の事務所」では、いつもかまどで寝て煤のついた顔の
猫がみんなにいじめられるけれど、花巻地方では実際に煤けた顔の招き猫や
言い伝えがあるんですね。

さんのコメント...

NANAOさん
こうゆう猫って、煤猫ってことですか?それとも黒い模様がついている猫ということ?
顔がめちゃくちゃな模様になっている猫を、そういえば最近は見かけませんね。前は、「なんでこんなに?」と絶句するような模様が顔についている猫を見かけましたが。猫の模様にも、流行りすたりがあるのかなぁ。

念じていれば、花巻猫でもなんでも絶対来ますよ。そんなものです。招き猫はお金や友を招いているのではなくて、招き猫を招いているのですから(笑)。

NANAO さんのコメント...

僕が読んだ記事がなんだったのか忘れましたが、その時のイメージでは実際にこんな模様の猫が居たと書いていた気がします。

さんのコメント...

kuskusさん
いつぞやは、ますむらひろしの、宮沢賢治の漫画ありがとう。「猫の事務所」可愛かったですね。
囲炉裏があったからと言って、いつも「おき」はあるわけだし、火は起こすし、煙いし、猫が灰に入るかどうかわかりません。もし花巻で、かつては猫が囲炉裏や竈に入っていたとしたら、一軒や二軒ではなく、学習した猫が北ルソンのように、あたり一帯で入っていたのでしょうね。そして、そのことを人は嫌がらなかったのでしょう。
北ルソンの農家では、テーブルくらいの高さの灰を入れた薄い箱を竈にしているのですが、泊めてもらった家も、その隣も、訪ねて行った家も、どこの竈にも、申し合わせたように猫が潜んでいました。料理するときは、嫌そうに出ていきます。いつも灰の中に入っているからか、灰は毛の奥の方まで入っていて、どこの猫もめちゃくちゃ汚れていましたが、誰もそれを気に留めたり、嫌がったりしていませんでした。猫は竈で寝るものと決まっていたようです。
もし、花巻でもそうだったとしたら、人間の歴史には書き留められもしないで消えていくことがいっぱいあるということでしょうね。もっとも、この場合は土人形に描き留められているのですが(笑)。

さんのコメント...

NANAOさん
そんなお話もあったのですか。それもそれで面白いですね。
だいたいは口の周りが黒くて、なんとなく泥棒を思わせる猫が多いような。
あれっ、NANAOさんの横向きの猫、花巻でしたよね。お顔は汚れていませんでしたね。

NANAO さんのコメント...

あれは堤かもしれません。眉の描き方も堤です。同じ型で紛らわしいです。

さんのコメント...

NANAOさん
人形が遠くに運ばれて、人気の型をみんなで真似る...。
その昔、節句飾りを中心に、土人形が売れに売れて、もっこで担いだ人形売りが山里にまで訪ねて歩いていたのを彷彿とさせますね。
私の祖母は人形売りを覚えていました。そんな人形売りから買った天神様が神棚に上げてあって、竈からは遠いのに、すっかり煤けていました。
そしてそんな村の、あっちからもこっちからも民謡が聞こえてきたのでしょうね。学生時代に東北旅行をした時、そこは知っている世界とは違う別世界でした。囲炉裏を切ってある木賃宿に泊まると、遅くまで囲炉裏の傍で民謡を物悲しく歌うおじさんの美しい声が闇に突き刺さっていたものでした。
何もかも、消えてしまいました。

NANAO さんのコメント...

ちなみに、人形から型を作ると、人形を焼いたとき一回り小さくなるんですって。
孫型になるとさらに小さくなって、同じ人形なのにサイズがぜんぜん違うものが沢山あるみたいです。

さんのコメント...

NANAOさん
そうですね。実際の人形から型を起こして、それにはめて土でつくるとなると、焼成で縮みますから、面倒でも一回り大きな人形を自分でこしらえて、それの型を取る以外ないですね。
まぁ、うまい下手もあるし、イージーにつくるかどうかということもあって、いろいろな大きさがあるものがあるものもあります。他地方だけでなく、窯元内でも型を失うと、どうつくり直すかという問題が出てきます。
その昔から、うまい人は自分で同寸の型を起こすことができたと思います。