ということで、作業はお休み、以前から行ってみたいと思っていた、茨城県古河(こが)市にある、鷹見泉石(たかみせんせき)記念館に行きました。
泉石が晩年を過ごした家です。
古河市は茨城県の西端に位置し、栃木県、群馬県、埼玉県とも隣接しています。
あたりは平坦で、関東平野のどこにでもある町感が否めませんが、記念館や博物館のあるあたり一帯だけは緑も多く、土地にも起伏があり、その一角のよく手入れされた茅葺きの家が目指す記念館でした。
私は、建物を通り抜けて、向こうの外が見える家が好きなので、わくわくしてしまいますが、冬はどうでしょう?ちょっと寒いかもしれません。
ん、これは何?
連子窓から、中をのぞいてみたら、室内で水を遣い、そのまま流せる装置でした。
私ならどうつくるかなぁ?
たぶん出窓のような手洗い場をつくってそこに桶を置き、遣った水は庭に撒くでしょうか。 手水鉢(ちょうずばち)のような考え方です。
と思いながら歩いていたら、手水鉢もありました。雨戸が閉まっていましたが、この左手がお手洗いであることは、間違いありません。
桂離宮から一般の家まで、石や焼きものの手水鉢をお手洗いの近くに置いて、用を足した後、手を洗ったのは、1960年代までくらいでしょうか。
お手洗いのほとりに植える植物の定番、ハランも植わっています。
井戸の屋根の上の、欄のような草も、素敵でした。
もっとも、愛でていると、屋根は傷みますが。
鷹見泉石記念館を辞したあとは、隣の古河歴史博物館に行きました。
まず目に入るのはこの渡辺崋山が描いた肖像画、鷹見泉石を知らない私も、よく知っているお顔でした。 鷹見泉石は、この人だったのです。
博物館には、鷹見泉石にまつわるいろいろなものが展示してありました。
泉石が収集したものが展示されていると聞いて、なんとなく民具を想像していましたが、勉強不足の大外れ、黒船来航や、大塩平八郎の乱のときの書簡など、国政に関するものがほとんど、とくに泉石のオランダなど外国への関心には並々ならぬものがあり、オランダ語の教材までつくっていました。
泉石と交友があった人の中には、間宮林蔵、二宮尊徳、勝海舟、谷文晁、渡辺崋山、司馬江漢、シーボルトなど、私でも知っている人たちが数多くいました。
小学生たちが社会学習にやってきて、博物館内は一気ににぎやかになりました。
博物館の一部では、昭和の写真展をやっていました。道を行き交う女性が割烹着やサロンエプロンを着けていたり、男性はハンティング帽をかぶっていたりして、時代色満載です。
中に、お正月のだるま市の写真がありました。
あらっ、白っぽく見えるのは、
高崎張り子の招き猫たちでした。
1956年、昭和31年の写真でした。
古河は、利根川の支流渡良瀬川の水運で栄えた町でした。
堤防の左が河原、右が町です。
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