2017年10月22日日曜日

割烹着


しばらく前に東京新聞に載っていた、1958年の渋谷の写真です。
玉川通りから、渋谷駅の方を見ていて、1957年にできたばかりの東急文化会館が威容を誇り、五島プラネタリウムのドームが見えます。

面白いのは、右の方、道路を横切っている女性が割烹着を着ていることです。
朝の連続テレビ小説を見て時代考証が変だと思うことの一つに、割烹着を着たり、 エプロンをつけて歩いている人が出てこないことです。
今より、着物の人は多かったし、洗濯機は普及していないし、洗濯しにくい服を着ていたし、料理するのにも汚れやすい台所だったりで、家庭の主婦は家にいるときはいつも割烹着や、サロンエプロン(前掛け)を着けていました。
1960年代には、私の一家は品川と五反田の中間あたりに住んでいましたが、母も、サロンエプロン姿のまま、五反田駅のあたりに買い物に行っていました。
冷蔵庫がなかったときも、氷を入れて使う冷蔵庫があったときも、母は毎日のように買い物かごを下げて、魚屋さん、八百屋さん、肉屋さん、かしわ屋(鶏肉屋)、お菓子屋さんなどをまわっていました。

ここに来てわりとすぐだから約15年前、ご近所のおばあちゃんたちは、割烹着を愛用していました。たけさんが式服を買いたいというので、たけさん、ちよさんを車に乗せて近くの町まで行ったとき、ちよさんが、真新しい、たぶんよそ行き用の青いギンガムチェックの割烹着を着てきたのが新鮮でした。
今どきだから、かわいい割烹着しか売っていなくて、犬のアップリケがついていました。
最近はこの村でも、割烹着を着ている人を、とんと見なくなりました。

 





6 件のコメント:

karat さんのコメント...

懐かしいです。小田急バスですね。「経堂」行きだ!。赤白の縞模様で、銀色の犬も車体脇についてます…。同じ写真を見ても注目するところは違うのだなぁと思いました。わざわざ「大衆食堂」なんていう看板もおかしいし。
言われなければ後ろの小さい女性の格好までは見なかったですね…。
そういえば母の実家の祖母は着物にかっぽうぎでしたが、そこのお嫁さん(おばさん)は普段着にたしかスーツのような、というか今でいうセットアップのような上下そろいの洋服を着ていました。商売屋でしたが…。今のようなだらっとゆるい格好はしてなかったようです。ただ、沢山持っていたわけでなくそればかり着ていたのだと思います。ウールがてらてら光っているような…。
テレビ小説は時々見かけると、昭和20~30年代とかでも皆さん小綺麗な格好をしていて、それだけでちょっと嘘くさいと思ってしまいます(^^)。裕福でない生活の設定で、それはないなと…。お芝居あるいは劇の衣装だと思えばいいのでしょうが。

昭ちゃん さんのコメント...

 もうすべてが早く変化するのでレトロの時代なのですね、
「ハーィ」と言って手を拭きながら白いエプロンで出てくるドラマは
ありません。
でも向田さんのドラマには戦前の匂いがありましたね。
 国産1号のプラネタリウムですね。
五反田懐かしいなー 配転後は戸越銀座下車で星薬科大学の隣の工場でした。
大崎あたりにお住みでしたか、
昭和初期郊外に延びる私鉄のターミナル駅の代表が五反田や渋谷です。

hiyoco さんのコメント...

町へ行くのに割烹着を脱ぐんじゃなくて新しい割烹着を着るなんてかわいいですね!

さんのコメント...

karatさん
ちょっと前まで、年代別服装というのが厳然とありました。しかも確かにスーツのような、スカートはタイトスカートが主流で。ドラマではスカート丈も気になります(笑)。みんなひざ丈で、ツイッギーまでは短いのはなかったけれど、長めのもなかった。
たぶん、学生時代、旅行するときも、ずっとスカートでした。パンツは履いたことなかったと思います。我ながら、信じられないですね。今みたいに、着てて楽な、何でもありの時代で、本当に楽ちんです。
道も、どこも埃っぽかったですね。渋谷は殺風景でデパートもありませんでしたが、布地屋さんがたくさんあって、服をつくってもらうときには布を探しによく行きました。

さんのコメント...

昭ちゃん
そういえば、エプロンで手を拭きながら出てくるドラマはなくなりました。
私は小学校の修学旅行で大阪に行って、電気科学館のプラネタリウムを見ましたが、あの機械は外国のものだったのですね。その時初めてプラネタリウムを見て、びっくりしましたが、以後、一度も見たことがありません(笑)。
住んでいたのは御殿山にあった社宅で、SONYと名前を替えたばかりの東通工の隣でした。というか、丘の上にあって富士山が見えていたのに、ソニーのビルで見えなくなっていました(笑)。高校生の時は、五反田に出て山手線で池袋方面に行くか、品川に出て東京方面に行くかで、時間は同じぐらい。私は品川に出ていましたが、すぐ近くに同級生がいて、彼女は五反田に出ていました。つまり、どっちからも遠かったのです(笑)。
かといって、不確定なバスに乗るという気はなくて、ひたすら歩きました。と言っても15分弱ですが。

さんのコメント...

hiyocoさん
可愛いでしょう!
確か、たけさんの方は割烹着を取ってきましたが、たけさんの方が6歳くらい若かった。ちよさんは、その後腰が曲がりはじめ、とうとう二つに折ったような身体になって、割烹着どころではありませんでした。
今、おじいちゃんよりおばあちゃんの方が腰が曲がった人が多いのは、女の方が力仕事をするからと言われています。おじいちゃんは、トラクターに乗ったり、軽トラに乗ったりと、いざというときは別として、日常的に力を使う仕事からは解放されていますが、おばあちゃんたちは、仕方なく重いものを持ちすぎているようです。