無意識に受け入れていた男女のズボンとスカートの違いについて、私が初めて意識したのは、いつだったかはっきりとはしませんが、タイで暮らしていたころではないかと思います。
1980年代、女性のズボン姿は珍しくなくなってきていましたが、男性のスカート(腰巻=サロン)姿は、あまり見たことがありませんでした。
ところが、年中暑いバンコクのスラムでは、男性がサロン姿でくつろいでいるのは、ごくごくありふれた光景でした。また、タイ東北部の村に行くと、特別な集まりのときなど、長老たちが鮮やかな色の格子の絹の腰巻を巻いていて、そのかっこよさに、ドキッとしたものでした。
長老たちが腰に巻いていたのは大きめの格子でしたが、私はスリンの絹布屋さんで、ちょっと小さめの格子の腰巻布を見つけ、もんぺに仕立てて今でも重宝しています。
また、1981年にビルマに行ったとき、首都ラングーンの街には、ロンジー(男性用腰巻)姿の男性があふれていました。どこかにズボンをはいた男性はいないかときょろきょろ探しましたが、バスの運転手さんも人力車の運転手さんも、学校に通う子どもたちもみんなロンジー姿、やっとジーンズ姿の男性を見つけて、珍しさにカメラを向けてしまいました。
さて先日、『仕事着・西日本編』を手に入れたことを書きました。
書いたときはまだ、写真やイラストをパラパラと見ただけだったのですが、その後読み進むと、巻末に「仕事着を考えるー調査のまとめにかえて」という中村ひろ子さんの文がありました。「調査のまとめにかえて」は、以下の構成になっていました。
一.上衣の形態
二.下衣の形態
(1)山袴
(2)股引
(3)ふんどし
(4)腰巻
三.上衣と下衣の組み合わせ
四.仕事着の成立と地域性
その、二の(4)の腰巻のところに面白い記述がありました。
腰巻は女の下着とされてきましたが、下着とばかりは言えない。下衣(下半身につけるが下着ではない)として認識されているものもあり、腰巻を下衣として扱っていいのではないか。下衣としての腰巻は関西以西に広く見られ、コシマキ、オコシ、イマキ、ユモジ、ヘコ、フンドシなどと呼ばれているというものです。
日本にも、仕事着としての腰巻=サロンがあったのです。
また、男の腰巻の例が、和歌山、兵庫、岡山、徳島、高知、香川などから報告されていました。長い丈の仕事着を尻はしょりした下につけたり、ふんどしの上や股引の上につけるなど、女のふんどし同様、かつてはより広い分布の見られたことをうかがわせていて、いつ頃からどのような契機で腰巻が男の下衣から後退していったかを、問題としておきたいという言葉でくくられていました。
日本にも、男性の腰巻があったのです。
この本が出版された1987年ころまで、上記の県では男性の腰巻が見られ、それ以前はもっと広範囲にあった形跡があるということです。
ちなみにふんどしも、ほぼ下着と認識されているものの、夏など下衣の例もあること、また女性のふんどしとしては、特殊な例ではあるが、炭鉱のマブベコ、海女のサイジなどの下衣があり、男の腰巻同様、男女別に使用が限定される以前の下衣に注目するヒントになると書かれています。
さて、『日本の民具』(中村たかを著、弘文堂、1981年)という本があります。民具の概説書として書かれた本ですが、この当時の民具の認知度や研究事情をよく知らない私にとっては、「服物(ふくもつ)についてはわずか1ページもないのに、メンパ(曲げわっぱ)については9ページも割いているのはいかがなものかと思ってしまう本なのですが、その「服物」のなかに面白い記述があったので、引用してみます。
これまでの研究によって、農業に携わる人達の在来の仕事着の形式はいわゆる二部式で(長着のように上下ひと続きの着物ではなく)、東日本では下に山袴や股引をはき、それに腰切や短(みじか)という短い着物を着、一幅、三幅、ないし四幅の前掛をつけ、西日本では下に腰巻、脚には脚絆、上体には短い着物を着、それに前掛をつけるものだったことが確かめられている(注)。
これを読んだときはまだ、『仕事着・西日本編』の「調査のまとめにかえて」を読んでなかったので、
「えっ、これって女性の仕事着のこと?」
と、何度か読み返してみましたが、どこにも女性の仕事着とは書いてありません。
続いて、
それに対して漁業に従事する人たちの場合は、短に前掛、男の人たちは、ドンサという厚い着物(沖着物)を着、寒い地方では藁の手袋を用い、また都市の職人たちの服装は半纏に紺無地の腹掛、股引、足袋、草履で、その構成がまた職業をあらわす役割もしていた。
と書いてあり、この文では、男性とことわっている個所があるので、前の文は男女共通のものだとわかりました。
そして、前々文の文末についている(注=出典)を見ると、
宮本磐太郎「しごとぎ(仕事着)」(日本民族学協会編『日本社会民俗辞典』第二巻、昭和32年)533頁
とあり、『日本社会民俗辞典』の中で、西日本の農業に携わる人たちは男女とも腰巻をつけていたことが「確かめられている」ことがわかります。
『日本の民具』は、渋沢敬三が自身の蒐集品をもとに1921年に開いたアチック・ミューゼアム(屋根裏博物館)の流れを汲んでいて、『日本社会民俗辞典』も同様、となると仕事着は戦前の調査によるもの、当時は西日本では男性も、広く腰巻だったようなのです。
『服装の歴史』の村上信彦さんは「スカート(腰巻)では都市以外で仕事はできないだろう」という問題を投げかけていましたが、実際は日本にも腰巻で労働に携わっていた人がたくさんいたということは、私的にはとても興味深いものです。
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