以前、三春張り子については書いたような気がするのに、ブログアーカイブを見直しても、見つかりませんでした。
というわけで、もしかしたら過去の記事と重なってしまうかもしれませんが、三春張り子について書いてみます。
三春張り子の代表的なものの一つ鞨鼓(かっこ。雅楽に用いる両面太鼓)です。
張り子は、木型に湿らせた紙を貼り、その上に糊をつけた紙を貼り重ねて乾かし、それを切り裂いて型から取り出し、切ったところを張り合わせて形づくるものです。そのため、張り子はだるまのようにできるだけ型抜きしやすい単純な形でつくるものですが、三春張り子はその逆を行き、いくつものパーツに分けて型抜きしたものを組み合わせて躍動感あふれる形に仕上げています。
これは、その昔、夫が三春に出張したとき、出張先の方からお土産としていただいたもの、思いがけないお土産に、狂喜したものでした。というのも三春張り子は値が張るもので、そのときは一つも持っていなかったからです。
それでも自分で買ったのが、この飴売りです。
こちらもいくつかのパーツを組み合わせたものですが、鞨鼓よりはるかに簡単にできます。
三春の高柴地域では、正徳・京保(1711-35年)以前から、デコと呼ばれた稚拙な張り子がつくられていました。
三春城主秋田家の四代目倩季(よしすえ)候は、風雅を好み、民政を気遣う人で、領民のつくるデコを向上させたいと、江戸から人形師を招きました。その人形師に高柴部落にデコ屋敷を与え、三人扶持帯刀羽織の着用を許して優遇し、張り子の技を領民たちに広めました。
高柴張り子、改め三春張り子は、子どものおもちゃとしてではなく節句に飾るものとして、歌舞伎の姿や浮世絵風俗を写したものがつくられ、文化・文政(1804-1829年)のころに最盛期を迎え、全国に名声を轟かせました。
三春張り子は、形といい彩色の見事さといい、張り子としては、日本だけでなく世界でも最高の部類に入るものです。しかし、明治以降、時の流れとともに衰退し、昭和に入ってからは廃絶寸前でしたが、戦後復興されました。
最盛期には、型は3千種類にも及びましたが、今ではその一部がつくられているだけです。
三春のだるま。
そして犬です。左の犬は紹介済みでしたが、右の犬はいつから我が家にいたのか、はっきりと覚えていません。手で裂いたへぎ板に乗っていたので、
「もしかして三春張り子かな?」
と思って調べるとやはりそう、三春によくある犬で、左の犬より一般的な形でした。
最盛期の三春張り子は素晴らしかったそうです。
しかし、今(と言っても40年以上前のものだけれど)の張り子にも、力がみなぎっている気がします。
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