ふっふっふ、またまた染料ビンです。
デッドストックのみやま染2本、空っぽのみづほ染料、そして中身入りの桐山染料と平和染です。
みやま染の空きビンはこんな感じですが、ビンだけでは詳細などわかりませんでした。
しかし、デッドストックともなると、詳細がわかります。ビンに説明書を巻いて、さらにその上から薄いセロファンか薄紙で包んで、それにラベルを張ってあります。左のアイ鼠色のビンのセロファンの方は劣化して、ところどころ破れてコルクの蓋も見えています。
酸性染料は毛、絹、モスリン染用、動物繊維だけが染められる染料です。
ラベルの裏側、説明書の見えているところに、
發売本舗 ミヤマ商店家庭染料部
名古屋市中區老松町六丁目
そして電話番号が書いてあり、定價参拾銭と書いてあります。
1本だけばらして説明書を取り出してみようか、それともこのままにしておこうか悩ましいところですが、開いてみても使用方法が書いてあるだけだと思われるので、そのままにしておきます。
当然ながら、現在の中区には、ミヤマ商会はありませんでした。名古屋は、1942年から45年まで繰り返し空爆が行われたので、そのときミヤマ商会も、焼失したものと思われます。
みづほ染料は初めて手にしました。長四角いビンです。
ラベルには、混織、焦茶と書いてありますが、混織とは別材料の糸を織り合わせたもの、混織の布はどんな風合いなのか、それをきれいに染めることができるのか、想像がつきません。動物繊維より植物繊維は染まりにくいということがあるし、染め方も違ったりします。
ちなみに、現在2種類以上の材料を合わせて布をつくるときは、混織ではなく混紡で、糸の段階で混ぜ合わせています。
文化的行動部〇●さんのブログより |
みづほ染料については、文化的行動部〇●さんのブログに詳しく載っていました。
そして、文化的行動部〇●さんのブログを見て、混織とは、絹、木綿、人絹、スフ混織であることがわかりました。
どんな布なのでしょう?
動物繊維の絹だけが染まって、植物繊維の木綿、人絹、スフ部分は染まらず残ってしまって、まだらになるなんてことはなく、きれいに染まったのでしょう。
興味津々です。
文化的行動部〇●さんの、みづほ染料の茶色いビンの蓋はブリキ製で、見事に錆びていますが、アルミの蓋は、とってもきれいです。
中身入りの桐山染料には、ラベルが残っています。
桐山染料には、『桐山染料による染直し手引標本』(桐山染料本舗技術部、発行年不詳)、『桐山染料 家庭染色便覧』(昭和8年刊行)などの冊子があり、看板もたくさんあったし、販売・普及にとても熱心な会社だったことがわかります。
ベークライトの蓋には、残念ながら豆奴のロゴはありませんでした。
ビンの底には、OKの文字がありました。
最後は平和染です。染料ビン図録にない名前の染料ビンです。
名前からして、もう戦争はこりごりの、敗戦後のビンではないかと思います。
ブリキの蓋が錆びているので、最初は「土にでも埋もれていたのかしら」と思いましたが、文化的行動部〇●さんのブログの写真を見ると、箱に入っていただけで錆びているので、これも湿気たところに置いてあっただけなのでしょう。
2 件のコメント:
平和染!初見です♪
元々ラベルが無いのか、剥がれてしまったのか。
どこの会社から出ていたのか、気になること満載ですね。
それにしても何度言っても言い足りないくらい、染料瓶は色々ありますねー。
先日インスタにて「かの子染」というのを確認しました。
新しい染料瓶の発見は楽しいです!
maicaさん
戦中戦後の人たちは、どんだけ家庭で染め物をしていたのか、その心はどんなものだったか、今考えると不思議なくらいです。染め物屋さんがあったのに.....。
20世紀に入って、自然染料から化学染料に移行して、その簡便なことへのわくわく感もあったのかもしれません。
私で言えば、祖母が毛糸を染めていたり、母が絞り染めで2色を使って、折り鶴と松の葉模様のお布団を染めていた思い出があります。また、お雛さまを飾ったとき、天井からぶら下げるように障子紙を桜の形に切って、花びらの端だけ赤く染めていたのも、食紅ではなく家庭染料だったかもしれません。
食紅も、どこの家庭にもあった気がします。昔の人は、掃除洗濯すべて手だったのに、マメでしたね。
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