2021年5月9日日曜日
棕櫚のハエ叩き
近くで開かれた『プラスティックの海』の上映会に行ってきました。
そのとき会場の外では、へちまのたわしなど自然素材でつくったものや、プラスティックの害関係の本などが販売されていたのですが、FYさんが、手づくりのハエ叩きを売っていました。
棕櫚の葉でつくった、ちょっと重みのある堂々たるハエ叩きで、FYさんは、どこかで実物を見て、それを写真に撮ってきて、それを見ながら編んだのだそうでした。
棕櫚の葉のハエ叩きといえば、徳島に行ったときに山あいの店で買ったハエ叩きを持っています。
そのあと、自分でもつくってみています。
徳島のハエ叩きは糸で綴じてつくってありますが、FYさんのハエ叩きは、棕櫚の葉だけでできています。
1年前につくったという、すでに退色したうちわ大のものも並んでいましたが、そう縮んでしまった印象はありません。私には、なんとなく棕櫚は縮むという印象があって、事実、魚のモビールをつくったときは縮んでしまったので、のちにヤシの葉でつくり直したということがありました。でも、切り端をぴらぴらさせたままにしておかなければ、棕櫚の葉も丸まってしまわないで、形を保つことができるのでしょう。
FYさんのハエ叩きは、タイのうちわと形が似ていますが、編み方はまったく違います。
タイのうちわは、ばらばらにしたヤシの葉で編んだものを、持ち手のところで一つにまとめていますが、FYさんのハエ叩きは、棕櫚の葉の柄がついたまま編んでいます。つまり、編む方向が正反対です。
ヤシに比べると、棕櫚という素材はそう好きではなかったのですが、素材としての質をよく知れば、ヤシ同様いろいろつくれるなと思った次第でした。
さて、私もつくってみるかなぁ。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
10 件のコメント:
春さま
団扇ってほんとうにいろいろあって、面白いですね。棕櫚団扇の植物素材としての特性の考察など勉強となります。こちらは以前の過去ログにしたうちの団扇です。
http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-56.html
フナコレタロさん、ですね。
教えていただいたサイトに訪問してみました。うちわ、私も大好きです。斧の形をしたヤシの葉製のうちわ、私も欲しかった!
その昔、サタジット・レイの大地のうた、大河のうた、大樹のうたの三部作を徹夜で見る(笑)という企画が、岩波ホールかどこかであったとき、映画の中で斧形のうちわを見ました。大河のうたで、主人公のオプーが食事をするとき、その花嫁がこのうちわで風を送っていました。でも、私はカルカッタ(オプーが住んでいた)には何度も行ったのにこのうちわとは出逢わずじまい、私の手に入れたのは、バングラデシュの丸いうちわ(http://koharu2009.blogspot.com/2011/01/blog-post_14.html)でした。回して風を送る原理は同じです。
私にうちわをくれた人も数奇な運命をたどりました。3人の子どもを連れて男性と遠く離島まで逃げました。今頃どうしているかしら?残された夫はしばらく悲しんでいましたが、その後再婚して、今では4人の父親になっています。
フナコレタロさんに追伸
タイのうちわと書いたのは、カンボジアのうちわの誤りでした。タイのはもう少し雑なつくりでした。
そして、うちわに描かれた不明の女優さん、山本富士子さんではないかと思います。美人女優といえば彼女だった時代がありました。
春さま 女優の名前も分かりスッキリしました。リンクされている記事の最後に載せた紙張りの団扇素敵ですね。サタジット・レイのシリーズ、もう随分と昔にみただけで、そんなシーンがあったとは知りませんでしたが、確か三部作のどれかひとつは持っていたはず見直さなくては!
フナコレタロさん
昨日は、藪蚊に刺されながら棕櫚の葉を切ってきてみました。ところが、どれも風に吹かれて葉の途中が折れている。折れてない葉は高いところにあり、しかも柔らかい葉は縮みやすい。バタバタしましたが、結局つくるのを断念しました(笑)。何ごとも簡単にはいかないものです。また、よい葉を探します。
「プラスティックの海」を見たわけですが、好まなくてもプラスティックは否応なく生活に入り込んでいます。レジ袋の使用を規制しないで生産を規制すべきという人もいますが、プラスティックは生活のあらゆる場面に網の目のように入り込んでいるし、それを紙などで代替すると、また外国の森林が失われるなど、連鎖してもいます。
大量生産大量消費のシステムを変える以外ないのだけれど、消費しなければ経済は回っていかないと、世界中の政府は躍起になって消費を促し、人はそれに乗る。この津波のように大きな流れになっている今の生活の、軌道修正は果たしてできるのかどうか、行くところまで行かなければどうにもならないのでしょうね。
ひとつ、中国や東南アジア諸国が、日本からの、外貨獲得目的のゴミの輸入を規制したのはいい傾向ではあります。日本は他人の土地から何でもぶったくってきて、そのゴミは押しつけているというのは、本当に醜い構図です。
それにしても、手づくりのものを見ると心躍りますね。
春さま
ご覧になられた映画とは違いますが、以前『 TRASHED - ゴミ地球の代償 - 』 キャンディダ・ブラディ監督 2012年 イギリス 97分。というプラスチック・スープ問題のドキュメンタリーを見ました。http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-213.html *こちらでリンク。かって中東のスイスといわれたレバノンの海岸がごみにうもれて凄いことになっていました。それと、ファティ・アキン監督『トラブゾン狂騒曲』というトルコのゴミ処理場を撮ったものも、普段はゴミについてあまり意識していない自分もかなり考えさせられた作品でした。人工的な素材を使った工業製品もけっして嫌いではないのですが、なにがやさしいかは別として、たしかに手作りのものは心が休まりますね。
春さま
ついでながら、わが町のゴミ処理場事情です。
http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-212.html
ゴミ袋の有料化がなされたのが2年前、都内の市としては一番最後でした。
土がある環境をよいことに、土に戻せるものはポイポイと地面に返し、生ごみのゴミ出しを節約しています。
フナコレタロさん
えんとつフェスティバルの話、面白かったです。今でも続いているのでしょうね。
私は、家電とか生活必需品については「ものを欲しがらない抑制」が効くのですが、不必需品となると、途端に抑制が効かなくなります(笑)。
ゴミはもともとゴミではなかったもののなれの果てですから、最初の部分までたどって考えなくてはならないのに、なかなかそこまで見えません。
100年ショップは、その背景をいやというほど聞いていたので近年まで使ったことがありませんでしたが、夫の眼鏡で、抜けられなくなってしまいました。かといってすべてのものが高額になってしまうのも考えものだし、生きるということは難しいことです(笑)。
「えんとつフェスティバル」の中にあった木靴は、デンマークの「織り物・編み物博物館」でも見ました。あのあたり、たくさんの人が木靴で生活していたのですね。日本人が下駄で生活していたように。
春さま
さきの「えんとつフェスティバル」で求めた木靴より考察してみた記事です。
http://utinogarakuta.blog.fc2.com/blog-entry-214.html
デンマークに「織り物・編み物博物館」というのがあるのですね、ぜひみてみたいものです!
100均の眼鏡とは、やはり老眼鏡のことなんでしょうか~ こちらも身に染みる齢となりましたw
フナコレタロさん
記事も動画も見せていただきました。
とくにスウェーデンの動画は興味深く、大胆な斧遣いに惚れ惚れしました。木靴づくりだけでなく、スプーンづくりも椅子づくりも、リズム感に溢れていましたね。あの職人さんたちに実際にお会いしたかったです。
「織り物・編み物博物館」の記事(http://koharu2009.blogspot.com/2015/08/blog-post_22.html)に木靴の写真は載せてなかったのですが、載せておきました。代り映えしない木靴ですが(笑)。
100均の眼鏡、私の夫のような粗忽ものには福音です。いろいろな度があり、老眼鏡だと十分間に合います。私は、まったくなくさないので、最近眼鏡屋さんの眼鏡に戻しましたが(笑)。
コメントを投稿