2009年10月24日土曜日

ラムネビンと化粧水のビン



私のガラスビンの飾り棚のビンたちの中で、もっとも古くからあったのは、このラムネビンたちだったでしょうか?あの当時、どこかでラムネを飲むと、このビンで出てきました。珍しくもなんともない、どこにでもあるビンでした。返さなくちゃならないのだけれど、先にビン代込みで払っておいて、ビンを返すと10円とか返してくれるところで、返さないで持ってきたものです。
土人形などと一緒に、結婚したとき持ってきました。



その次に古いのは、このビンです。化粧水のビンでしょうか。
ガーナのクマシという町に住んでいたとき、隣に住んでいたアメリカ人のジョーン・グラウンズに貰いました。どうして貰ったのか、たぶん私が手にとって「きれいねえ」と言ったので、「持って行きなさいよ」ということになったのだろうと思います。まったく覚えていないのですが。

1ドルが360円の時代。航空運賃は年収より高く、飛行機に乗ったら日本人は一人もいなくて、香港、バンコク、カルカッタ、カラチ、テヘラン、ベイルートと、給油しながら飛ぶ時代。日本からの新聞が2ヶ月遅れで届く時代。通常は手紙だけ、いざとなったら首都の電報電話局に行って電報を打つ時代。
今とは比べものにならないほど遠いクマシで、お隣の夫婦とは肩寄せあって暮らしていました。

夫が働く大学の構内には十分な教員住宅がありました。しかし、家が美しいからと、私たち夫婦とグラウンズ夫婦は、大学からは遠く離れたところに住んでいました。
実際、私たちの住む家は100年も経っていようという、レンガに漆喰を塗った住宅で、壁の厚さは30センチもあったでしょうか。その当時はもう使っていませんでしたが、別棟になった台所には、絵本でしか見たことのない、イギリスの古いクッキングストーブまで備えつけてありました。

それでも、単調な生活は寂しくて、2年が限界でした。「あなたの国で働きたい」と大統領宛に手紙を書いたので来ることができたのに、5年の契約があったのに、私たちはたった2年でクマシを去ってしまいました。
若くて、なにも知らなさ過ぎたのです。もう少し年取っていたら、もっと気持ちに余裕もあって、もっと暮らしが楽しめたと思います。

というわけで、このビンは懐かしい青春の思い出小瓶です。

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