2011年9月5日月曜日

切手





中学生の頃から、断続的に切手を集めてきました。記念切手が出ると、郵便局に行って一枚買うといった、ささやかなコレクターでした。

その頃、母の実家に遊びに行ったおり、叔父が近くの別の親戚の家に連れて行ってくれたことがありました。初めて行った家でしたが歓待してくれ、戦前の未使用切手を、お土産にくださいました。その家は昔、郵便局をやっていたのでした。

いただいた切手はたくさんありました。しかし、子どもだった私は、額面の違う別の切手なのに、色違いで同じ模様のものは、気前よく友人たちにわけてあげてしまいました。というわけで、今残っているのは、ほんの少しです。
(写真はクリックすると拡大します)

切手集めはそれから、思い出したようにときどき再燃しました。
例えば、母の古い手紙の束を処分するときに取り分けたり、海外で暮らすと、その国の切手に関心を持つといったふうに...。




割合まめに集めだしたのは、仕事がら、いろいろな国の切手を目にするようになってからです。
私の働いていた団体では、アフリカやアジアの各国事務所との連絡は、急ぎはテレックスでしたが、通常は手紙で行っていました。




日常的に、たくさんの切手が行き交っていましたので、捨てられる運命にあったものをせっせともらい受けました。




ソマリアの切手はどれも大きく、しかし額面が安い切手しかなかったので、ソマリアからくる手紙の封筒はどれも、裏表にびっしり切手が貼られていました。
中には並べて貼りきれずに、ずらしながら、重ねて貼ってあるものまでありました。




切手には、その国の文化が詰まっています。花、動物、鳥、そして人々の生活などがうかがい知れます。

このエチオピアの切手には、都市の人々の主食であるテフを収穫して、ゴミを取り除き、粉にし、水で練って発酵させ、薄く焼き上げるまでが描かれてます。




過伐採で失われそうになっている、エチオピア在来の木の切手もあります。

今だったら、通信はほとんどEメールになってしまっているので、切手を集める楽しさは、まったく味わえなかったことでしょう。




2000年代に入り、日本の記念切手は大型シートがあたりまえになり、いつでも記念切手を目にするようになりました。それにともない、私の切手への関心は、ほぼ失われました。

それでも、持っていない切手を見つけると、丁寧にはがして、ファイルに入れることくらいは続けています。




先日母を訪ねたら、
「こんなものがあるんだけど」
と言って、郵便切手貯金臺紙なるものをもらいました。
初めて見たものです。




亡くなった父が生まれた年(大正4年、1915年)に、祖父母が買ったもので、切手でする貯金だそうです。
母は、
「おばあちゃんは、何でもとっておいたから」
とちょっと非難がましく言っていましたが、その母でさえ、身辺整理を終えたと言いながら、行くたびにいろんなものが、ひょっこり出てきます。
私の「捨てられない癖」も、もしかしたら遺伝だったのかもしれません。

これをきっかけにまた、切手に関心を持つでしょうか?
いえいえ、そんなことはないでしょう。


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