2011年9月16日金曜日
西の鶏、東の鶏
人生、とくに人との出逢いは、偶然の積み重ねのように思われます。
郷土玩具の存在を教えてくれたさっちゃんとも、出逢ったのが不思議なくらいでした。
さっちゃんは、大学に入ると、留年していて私たちの同級生になっていました。ところがまったく教室には顔を出さず、ときおり構内や学校の外で、スイス人のボーイフレンドと歩いているのを見かけるくらいでした。二人とも背が高く、よく目立つ存在だったので、さっちゃんはいざ知らず、私の方は彼女の存在を知ってはいました。
一年生の夏休み、お互いにあまりよく知らなかったやすこさんと、目指す方向が同じという理由だけで、東北の織物作家や南部鉄の工場を訪ねる旅を企画していました。すると、やすこさんを通して、さっちゃんも加わることになったのでした。
打ち合わせで、初めて口を聞き、三人で二週間の旅に出発しました。
さっちゃん主導で訪ねたところは、思いもかけず、こけしをつくっている人、土人形をつくっている人、張り子をつくっている人などでした。
最初は、傍観者だったやすこさんも私も、郷土玩具の虜になるのに、そう時間はかかりませんでした。
その後も二回、三人で北陸や京都、瀬戸内などに出かけました。
相変わらず教室に姿を見せなかったさっちゃんは、二年生の夏には中退して、船でフランスに向けて出発してしまいました。
以後、誰もさっちゃんの消息を知っている人はいません。
1970年代でしょうか。確かデパートのヨーロッパ物産展といった催しで、このルーマニアの鶏を見たとき、
「おやっ」
と思いました。
学生時代に、三人で旅をして、青森で手に入れた、手びねりの人形とよく似ていたからでした。
両脇にひよこを抱えている姿は、そっくりです。
青森の人形はつがいで、雄鶏もいましたが、ルーマニアの人形は雌鶏だけでした。
ところがよくしたもので、何年か経って、ルーマニアの雄鶏も見つけました。
ただし、大きさが違うので、つがいには見えませんが。
日本の土人形は型を使ってつくるのが主流です。
その、めずらしかった手びねりの人形、棚いっぱいに並んでいましたが、ひとつとして同じものはありませんでした。
歓迎してくれた作家の方、三人でどれにしようか迷った光景などが、懐かしく思い出されます。
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