2014年5月6日火曜日

出逢ってしまった

『マトリョーシカ ノート3』 (道上克著、2013年)を読んで、著者でありコレクターである道上さんのマトリョーシカを集めた情熱にも、コレクションの数にも驚きましたが、もっとも驚いたのは、古いマトリョーシカ、それも1900年初頭から40年代のマトリョーシカを、ロシアやヨーロッパではなく、日本で手に入れたということでした。
「どうして日本で?」

ソヴィエト連邦は、長い間遠い国でした。終戦後、何年か抑留されていた叔父が、収容所の体験を面白おかしく語ってくれても、巷ではロシア民謡を歌う「歌声喫茶」が流行っていてロシア民謡がいくつも歌えても、中学時代に白系ロシアの混血の同級生がいても、ソヴィエトは遠い、そして、ちょっと恐ろしい国でした。
というのも、まだ小さい頃、死んだスターリンが棺桶に入れられている写真が新聞に掲載されているのを見た時の印象がいつまでも残っていたからでしょうか。

そんなソヴィエトからあの当時、同じように貧しかった日本に、マトリョーシカが流れて来ていたとは、どう考えても信じられません。
「鉄のカーテン」を降ろしていたソヴィエトに、「雪解け」が来たと言われはじめたのは、スターリンの死後、どのくらい経ってからだったでしょうか?

1960年代以降のマトリョーシカが日本にも存在していることは、納得できます。そのころになると表向きには国交はあまりないものの、民間レベルではいろいろな交流がありました。また、1975年の大阪万国博覧会では、多数のマトリョーシカが展示され、売られたそうです。

でも、なぜ、戦前のマトリョーシカが日本で流通していて、道上さんは集めることができたのでしょう?

 
そんな疑問を抱いた私が、とうとう、いつもの骨董市で、古いマトリョーシカに出逢ってしまいました。
「わっ、出逢ってしまった!」

本当のことは、ものしりのがんこさんにでも聞いて見ないとわかりません。私が乏しい知識で想像したのは、近年になって、市場の経済原理で、ヨーロッパの古物市場から日本に、古いマトリョーシカが流れ込んだのではないかと言うことです。マトリョーシカは制作開始当初から、ヨーロッパには盛んに輸出されていたようでした。
あてずっぽうの考えがあっているかどうかわかりませんが、これを持っていた骨董屋さんは、個人から手に入れたのではなく、骨董市場で競り落としたものだと言っていました。道上さんが収集をはじめられたのが、二十一世紀に入ってからというのも、こう考えるとすっきりします。

さて、道上さんの『マトリョーシカ ノート3』を参考にすれば、これは1920年から30年につくられた、セルギエフ・パサードのマトリョーシカのようです。日本で言えば、大正から昭和の初期の時代です。
 

もともとは四人組だったのでしょうか、三人だけになっていたため、格安の値段でした。


古いマトリョーシカは、1960年代のマトリョーシカや、それ以降のマトリョーシカと比べると、色合いやお顔が違いますが、似ているところもあります。
どれも、肩ひものあるサラファン(ジャンパースカート)を身につけています。


また、一番手前の現代のもの以外は、プラトーク(スカーフ)のてっぺんに、何故か水玉が描かれています。


エプロンの結び紐もそっくりです。
 

曲げた腕の、袖口に折り返しがあって、点々が描かれているのも同じです。
 

入れ子になった二番目の子から、絵つけがシンプルになっているところも似ています。
古いマトリョーシカもそうですが、1960年代のものも、二番目の娘以下、衣服の模様が省略されています。


こちらのセットの二番目の娘は、


よく見ると、袖が描いてあるのが見えます。


それらに比べると、現代つくられているものは、小さい娘たちまでしっかり描き込んであります。

ちなみに、古いマトリョーシカの底には「Foreign made」のゴム印が押してあります。




14 件のコメント:

karat さんのコメント...

おはようございます。
私は古いものをほとんど持ってないし、マトリョーシカノートも、へー…と眺めてるだけですが…(^^;)
古いものはヨーロッパ経由ということで、なるほどと納得しました。
新潟あたりから入ってきてるイメージを漠然と持ってましたが、確かにシベリア経由で新潟からマトリョーシカっていうのはあまり考えられないかもしれないですね。
そういえば、日本の骨董商のことを描いた小説で、ロンドンの骨董市に買い出しに行く章がありました…。
ロンドンのお土産で、マトリョーシカ(現代の)をいただいたこともありますので、ヨーロッパにはたくさんあるのですね…。

さんのコメント...

karatさん
私は全くの素人、勝手に想像しているだけだから、あまり鵜呑みにしないでくださいね(笑)。でも、おかげさまでマトリョーシカノートを見て、いろいろ考えさせられることがあります。道上さんに共感するのは、ロシアではちょっと下に見られているというセミョーノフをはじめ、名もない職人さんが仕事としてつくったマトリョーシカに愛情を持たれているということです。その目で見ると、確かにロシア人の書いた『ロシアのマトリョーシカ』は、辛い時代を輸出で経済的、技術継承的に支えてきたあの渦巻き模様のマトたちに一瞥もしていない、写真も載せていないということに、大いに不満を感じます。私は、芸術ぶっているものが好きじゃないので、いよいよあの子たちが愛おしくなりました(笑)。なんか、最近マトリョーシカに入れ込み過ぎですね。今朝もマトリョーシカの写真を取っていたら、夫に「こけしが好きなのか?」と言われました(笑)。「そうよ」と言うと、「おれはなんとも思わないですって(爆)。

karat さんのコメント...

(^^)そうですね、マトリョーシカを何とも思わない人には、こけし好きなの?になりますね。
そういえば道上さんのあとがきを読むと、初めは日本のこけしのコレクションをしようとなさったらしいです。(今確認したら、そのあたりのいきさつはマトリョーシカノート2のあとがきに出てました。図書館で借りて、一部コピーしたので…。ノート3には書いてませんね…。
その後古いマトリョーシカにはまって、もとご専門だったらしい考古学の方法で分類を始めたらしいです。
あと、大勘違いですが、ずっと道上さんは女性だと思ってて(名前は「かつ」と読んでて)、ずいぶん理論的に冷静に研究する人だと思ってました。量的にもすごいエネルギーだと…。女性だったらなかなかここまではしないというような固定観念でもないのですが、すごいなと感心してました。
そして最後に著者名の振り仮名を読んで驚いたわけです(^^;)。

さんのコメント...

karatさん
あはは、絶対女性の集め方じゃないですよね。週末ごとに骨董市を千葉の端から、東京の数ヶ所も梯子して回り、マトリョーシカ一筋なんて、家のことや家計のことを忘れていられる男だけがやれることです。女性は、もっとバランスを持っています(笑)。私も何でも集めちゃう方ですが、正直夫がそうでなくてよかった(笑)。
でも、私より後から郷土玩具を集めはじめて「日本郷土玩具館」をどんどん大きくして、しかも目が高くていいものばかり集めている井上重義さんなどを見ていると、「偉業を成したなぁ」と、感心してしまいます。女性だったら、できなかったでしょうね。

karat さんのコメント...

何度もすみません。
 たしかに男性と分ったら、だいぶ納得しました。
 それから、日本郷土玩具館、を検索したら倉敷にあり、40年くらい前に一度行ったことあるなあと懐かしく見ていて、しかし井上重義さんの名前がないので、再度井上重義の名前で検索すると、兵庫県にある日本玩具博物館が出てきました。名前が重なってるようで少し違うのですね。
 今度機会があったらどちらも行ってみたい、40年前とは違う見方ができるだろうと思いました。
しかし、両方行くとなると大旅行になりますね…
とりあえず兵庫県の方かな(^^;)

さんのコメント...

karatさん
私は倉敷出身なので、日本郷土玩具館やら民芸館などにはよく行きました。たぶん、広さが決まっているので、展示も入れ替えでしょうね。ところが兵庫の日本玩具博物館は私が訪ねたときは、田んぼか畑の中にぽつんとあったような。それが、どんどん建て増しして、ブログを見ると、季節ごとの展示もしているようだけれど、面積が広いから常設もすごいんじゃないかと思います。日本の玩具から世界の玩具にまで手を広げて。たぶん、マトリョーシカだけじゃなく、ロシアのおもちゃもいろいろあるんじゃないかしら。
井上さんはたしか、電車の車掌さんだったのですが、30年以上前に、わりとはじめたばかりのときに訪ねたときに、「経済的にどうするんだろう?」と余計な心配をしてしまいましたが(笑)、ますます発展しているようです。苦労もあるとは思いますが、夢を実現して、満足されていると思います。
集めているものが彼の目を通しているのでレベルが高いとか、展示が上手とかで、高く評価されているのではないかと思います。私も行ってみたくなりました。

よこやませつこ さんのコメント...

兵庫県にあるんですね〜。調べてみて、行ってみたいと思います。なんだか、とてもうれしいです。ありがとうございます。

さんのコメント...

よこやませつこさん
長いこと行っていないけれど、きっと楽しいですよ。お雛様とか、七夕とか、季節によって趣向を凝らしているようですから、何度行っても楽しいかもしれません。

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
突然ですが、私の家には多分1960年代のマトリョーシカがあります。
亡くなった伯父(当時の社会党議員でした)が、国交前の60年代後半にロシアに行った時のお土産なのですが。
底の部分に読めないロシア語とCCCPの文字が印字してあります。
これはよくあるタイプのものなのでしょうか?
すみません、詳しく知りたくなったので^^;
マトリョーシカ、可愛いですよね。
突然の訪問失礼しました。

ようこ

さんのコメント...

ようこさん
コメントありがとうございました。何だかコメントするには認証が難しいらしいのに、よく訪問してくださいました。
マトリョーシカのラベルからの産地や年代の推定については『マトリョーシカノート3』に詳しく載っているのですが、何度見ても、あまり腑に落ちていません(笑)。CCCPと書いてあるものは、私も持っていますが、USSRの印の方がよく押されていたようです。写真を見ていないのでわかりませんが、1950年代、60年代のセミョーノフのものかもしれませんね。
私のブログの右に表示してあるラベルの「マトリョーシカ」というところを見ていただくと、産地に関してはセミョーノフとセルギエフ・パサードのものはUPしているので、比べてみることができると思います。詳しく知りたいなら、『マトリョーシカノート3』を手に入れると一番わかりやすいかと思いますが、一つ調べるために本を買うほどのこともなければ、おいおい他の産地のものも(ほんの少しですが)UPしたいと思っています。
これに懲りず、いつでも遊びに来てください。ありがとうございました。
夫の父は本屋でしたが1960年代にやはりソ連やチェコに行っていました。でも残念ながらマトリョーシカは連れて戻ってきたことはないようです(涙)。

匿名 さんのコメント...

すみません、随分間を空けてしましました。
バタバタしてまして返事が遅くなり申し訳ありません。
丁寧なお返事までいただき恐縮しております。
早速ですが、道上様のブログ5月6日付けの記事で、私が所有してるマトリョーシカに近いのは、セルギエフ・パサードのものだと思います。
ほぼ同じなのですが、「袖口の折り返しが無い」「水玉がスカーフの結び目に無い」など多少の違いはありますが、ほぼ同じだと思います。
ご親切に丁寧な返信をくださったこと、心より感謝いたします。

素敵に人生を送っておられる姿、多分私は年下であると思いますが、少しでもマネ出来たらと思ってます。

本当にありがとうございました。

ようこ

さんのコメント...

ようこさん
判明してよかったですね。それと、私は道上さんではありません(笑)。道上さんのご本には、セルギエフ・パサードのものでCCCP表示のものには触れてなかった(ような)ので、セミョーノフかと思ってしまいました。
どうぞ、また遊びに来てくださいね。

匿名 さんのコメント...

またまたお返事遅くなりました。すみません!
その上、お名前まで勘違いして。重ね重ね申し訳ありません。

またご親切なお返事ありがとうございます。

またブログ時々覗かせて頂きますね。

ありがとうございました^^

ようこ

さんのコメント...

あはは、ようこさん
そんなに返事のことは気にしないでください。そして、いつでも気軽にコメントしてくださったら嬉しいです。
こちらこそ、ありがとうございました。