2014年6月22日日曜日

印版のお皿

お皿は、印版より手描きの方が好き、コバルトより呉須の方が好きです。
でも、めったにないことですが、模様が面白かったり値段が安かったりして、時々印版を見過ごせないときもあります。


このお皿も、トンボが気に入りました。
トンボと菊ですが、大きなラフレシアの花を描いているようにも見えます。


トンボも、なかなか、愛嬌があります。

たった一枚だけでも、昔のお皿は形が決まっているので、重宝に使えそうです。


その後、また一枚きりのお皿に出逢ったりしました。


手描きの魚模様のお皿も、似た大きさ、13センチ弱です。
16センチのお皿同様、いつか六枚くらいは揃うかな?




4 件のコメント:

昭ちゃん さんのコメント...

筑豊生まれの儀母はこのての小皿は
「おてしよ・お手塩?」と呼んでおりました。
春さんのところでは、、、

さんのコメント...

昭ちゃん
あっ、いい名前ですね。聞いたことがあります。私は、特別に何とも呼びませんが、夫はがらっぱちで言葉もぞんざいなくせに、小皿だけは気をつけていないと「おこざら」と言ってしまいます(あっはっは)。あと醤油がおしたじ。「お」がつきます。
それにしても例の秋山郷の暮しの本を読んでいますが、冬でも綿入れがない生活、すごいです。そして塩はどの家でもカマスで一俵買ってカマスの下に木彫りの受け皿を置いて塩水が出るのを受けたらしい。重い塩を売りに来る人にも、カマスで塩を買って使う人にも感心しました。きっと、何もなくても塩があれば何とかなったのでしょうね。日本の村は似たりよったりのところも多かったと思いますが、戦争中の配給で初めてお米を食べた人もいるそうです。飢饉で村が全滅した話など、ほんの150年ほど前の話ですから、これからも世の中、どうなるかわかりませんね。

昭ちゃん さんのコメント...

 父母は死ぬまで東京言葉が抜けませんでした。
私は「しょうゆ」ですが母は「おしたじ」でしたよ。
 来年で70年目、
いまだに「郷しろみ」まるで卵です。
最近まで「しらかわさん」と呼んでいましたが「ひらかわさん」でした。(大笑い)

さんのコメント...

昭ちゃん
『アンギンの発見』にあるのですが、キとチを反対にする方言があって、「トキ林へトキのチをチリに行った」と言っていたのですって。太宰のお伽草子だったかにも、「スズメ」を「シジミ」と言い、「シジミ」を「スズメ」という話が出てきます。
東京ではまっすぐは「まっつぐ」でしたね。今テレビ小説「花子とアン」で言っていますが、私の高校・大学時代には、「ごきげんよう」と言っていた友人が何人もいました。私は半分田舎者ですから、死んでも言えませんでしたが(笑)。