2014年6月5日木曜日

メイデンのマトリョーシカ


ロシアのメイデン地方には、マトリョーシカの工場があるわけではなく、村に点在する家のそこここでマトリョーシカがつくられているのだそうです。

メイデンのマトリョーシカは、黒い線が太く、目が大きく、はっきりした色の面積が大きく、なんとなくまとまりきれないで雑然としてしまった、という感じがあります。まあ、泥臭いというのでしょうか。
そんな中で、この娘は、
「メイデンにしては品がいいなぁ」
と思うのは、ただの身びいきです。


それにしても、
「こんな汚い線を描いて、売りものにしていいの?」
と言いたくなる、素人っぽい線です。
各戸別々につくっていて、お互いに線の美しさを競う必要がなかったのかもしれません。

1917年のロシア革命以後、多くの地域で教会のイコンの絵を描いていた職人や、木工細工をつくっていた職人たちは国営工場に吸収されました。
これはソヴィエト時代につくられたものですが、メイデンではその当時も、マトリョーシカは国営工場ではなくて各戸でつくられていたのでしょうか?


ソヴィエト時代に、セミョーノフの工場でつくられたものと比べると、線の汚さが目立ちます。


メイデンのマトリョーシカはぐるぐる巻いた髪が特徴の一つですが、一番大きい娘は二つに分けた髪型をしていることもあります。
二番目三番目は、その特徴であるカールした髪ですが、末娘の髪は適当に描かれています。


前から見ると派手ですが、後ろ姿はちょっと可憐でしょうか?


これは、半端もののマトリョーシカをまとめて買った中に入っていたもの、もともとは何人いたのか、大きい娘たちが失われています。
いかにもメイデンらしい、いかつい顔をしていますが、末娘は、定番の赤ん坊のおくるみ姿ではありません。


面白いのは渦巻きのスタンプです。
普通は黒のスタンプを押しますが、左はピンク、右は緑色の渦巻き模様のスタンプが押されています。

追記:

メイデンは旧ゴーリキーから南へ180キロ、マトリョーシカ生産地群からは孤立した辺鄙なところですが、ソヴィエト時代の一時期国営工場がつくられ、マトリョーシカ、バラライカ、イースターエッグなどがつくられていました。
当時のマトリョーシカは、多くが20センチを超える大きなもので、両手をだらりと下げ、髪は一本の三つ編みにして後ろに垂らしていました。
その後工場が閉鎖されると、マトリョーシカは各戸でつくられるようになり、サイズも小さくなりました。

『マトリョーシカノート3』より

追記2:

キリル文字は全く読めない私、長く「メイデン」と言っていた産地は、このところ「マイダン」と呼ばれる方が多くなってきました。
これ以外にも、マトリョーシカ作家さんの名前の呼び方はいろいろあるし、セルギエフパサードも、セルギエフポサードと呼ぶ方もいます。
「め」と「ま」の間、「ぱ」と「ぽ」の間、日本語では表現しきれない発音なのでこのようなことが起こるのだと思いますが、一度もロシア人の方の発音を聞いたことがないので、勝手に判断しながら、訂正したり訂正しなかったりで書きたいと思います。






2 件のコメント:

karat さんのコメント...

最初の子、何だか日本的というかアジア的美人なお顔ですね…。落ち着きます。
でも4人とも全部脈絡がないというか、好きに自由に描きましたっていう感じですね。
渦巻きスタンプもテキトーだし … (^^)。
楽しいです。

さんのコメント...

karatさん
美人でしょう?(笑)途中まで丁寧に描いているのに途中で急にぞんざいになって、不機嫌この上ない顔になったりすると、「なんだ」と思いますが、このくらいの似てなさって許せます。でも二つだけ残ってたやつ、よくある顔だけど、可愛げないですね(笑)。『マト大図鑑』の写真を見るとメイデンは今でものどかな素晴らしい村で、でもマトリョーシカは垢抜けてなくて、色はど派手で、まあ、洗練される機会がなかったということなのかと(笑)、勝手に想像しています。